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原爆ドームと平和記念資料館に行った話

昨年訪れた広島についてと、
今年の平和記念式典などの備忘録です。長くなった。
まずは知ることから。

原爆ドームのそばを流れる元安川の対岸で、水音を聴きながらそれを眺めるのは不思議な心地でした。
原爆ドーム周辺には当時を語り継ぐ石碑や看板がたくさんあり、そこかしこでツアーガイドさんの解説が聞こえてきたりもします。
被爆者は水を求めて川へ飛び込んだそうなので、きっとここでも。

"原爆ドームのもとの建物は、チェコの建築家のヤン・レツルの設計により、大正4年(1915年)4月5日に広島県物産陳列館として完成しました。"

"昭和20年(1945年)8月6日8時15分、一発の原子爆弾により広島市街の建物は一瞬にして倒壊し、灰燼に帰しました。広島県産業奨励館は爆心地から北西約160メートルの至近距離で被爆しました。爆風と熱線を浴びて大破し、天井から火を吹いて全焼しましたが、爆風が上方からほとんど垂直に働いたため、楕円形のドームを覆う銅版が熔け、爆風が抜けたことにより、建物の壁の一部は奇跡的に倒壊を免れました。しかし、当時この建物の中にいた人は全員即死しました。"

"当時、原爆ドームについては、原爆の惨禍を後世に伝えるために被爆後の姿をそのまま残すという意見と、危険建造物であり被爆の悲惨な思い出につながるということで取り壊すという二つの考え方がありましたが、次第に保存を求める声が高まり、1967年(昭和42年)に第1回保存工事が行われました。"

私はチェコアニメやチェコの絵本が好きなので、原爆ドームがチェコの建築家によって設計されたのだというのも印象に残りました。
当たり前だけれど、もともとは「原爆ドーム」ではない、市政の人々が普通に利用する建物だった。
もしこうした建物が撤去されてしまったら、戦争の記憶それ自体がすぐに忘れられ、ねじまげられてしまったろうと思います。
「現物がそこに在り続ける」ことには大きな意味がある。


平和記念公園では
原爆ドーム・原爆死没者慰霊碑・平和記念資料館が一直線に見渡せる。

広島平和記念資料館

常設展示を順路通りに進めば、本館にてさまざまな「モノ」が展示され、悲惨な記憶の一端に触れることができます。
原爆で崩れた建物の一部、ひしゃげた三輪車などの日用品、亡くなった方の遺品とプロフィール、手紙、被爆者の記憶に焼きついた風景の肉筆画、
生き残った人々のその後の人生の記録…などなど。

↑昨今は現地に行かなくてもこんな仮想体験ができるんですね…
とはいえ現地での体験に勝るものはないし、帰宅後に振り返るのに良い動画だなと思いました。

街のジオラマに映像を投射して、原爆投下ビフォーアフターを表現している所もわかりやすかったです。
これらは個人的な記録として撮影するのはOK(書籍やwebに掲載するには事前の申請が必要)。

"爆心地を中心に直径5キロメートルの範囲を表した広島市の地形模型に映像を投影し、多くの人々が住む都市の上に原爆が投下され、焦土と化したことを伝えます。”

https://hpmmuseum.jp/modules/exhibition/index.php?action=ItemView&item_id=29&lang=jpn


しかし、一通り巡った後に「ペース配分を間違えたな…」と思いました。
個人的には東館からの「核兵器の危険性」「広島の歩み」のエリアに時間を割いた方がよかったと思いました。
(本館での展示は濃くて長いので、東館から先は疲労であまりじっくり閲覧できなかった…)
『火垂るの墓』『風が吹くとき』などのアニメーション映画、漫画『はだしのゲン』など…幼い頃から「戦争・原爆の悲惨さ」を語る作品に触れる機会はありましたが、
「そもそもどういう経緯で原爆が落とされたのか」「核兵器、水素爆弾の開発はどう進められたのか」「核兵器廃絶実現に向けた世界の動きとは」ということを語る「物語」(歴史の授業で習う「情報」とはまた別枠で)に自然に触れる機会はなかったなと思うので…
「被爆国=被害者」としての印象ばかりが強く、このあたりの情報がまだまだ咀嚼できていないので、機会があればまた訪れたいなと。

核爆弾や被曝した建物の模型、図説、動画も豊富でわかりやすかったです。
パネルに書かれた文章を読み進めるだけでなく、自分の指で液晶画面にタッチして情報を読み進めたほうが印象に残りやすいなとも。

↑のサイトにもわかりやすい図説などあり。
広島平和記念資料館で見た動画では
世界で最も核弾頭数が多かった年は1986年、とありました。
ソ連(現・ロシア)が45,000発、アメリカが23,317発、そのほかイギリス、フランス、中国、イスラエルも含めておよそ7万発
自分が生まれる2年前…と考えるとわりと最近に感じて、空恐ろしい。
2022年にはロシア5,977発、アメリカ5,428発…でかなり減ったけども。
2023年のデータはこちらに↓



「"戦後"に終わりはない」って本当だなぁ…と。


2023年、
広島平和記念公園とパールハーバーの姉妹協定

"市が二つの公園を「戦争の始まりと終焉の地」と表現した点も、佐久間さんは見過ごせない。「原爆投下が戦争を終わらせたと米国は主張するが、違う。終戦後の世界をどうリードするかを見据えた戦略の一環で、米国は原爆を落とした」
前広島市長の秋葉忠利さん(80)も「始まりに真珠湾攻撃があったから広島に原爆が落ちた、という考えにつながりかねない。そんな米国の描いたストーリーが前面に出された協定を結べば、広島が原爆の使用と米国の核政策を正当化することになる」と危ぶむ。"

https://www.tokyo-np.co.jp/article/259885


広島平和記念式典

"被爆から2年後の1947年(昭和22年)8月6日、広島市で第1回平和祭が開催され、浜井信三広島市長による平和宣言のほか、ダグラス・マッカーサー連合国軍最高司令官からのメッセージも読み上げられました。朝鮮戦争が勃発した1950年(昭和25年)は占領軍の指令により平和祭が中止とされました。1951年(昭和26年)からは平和記念式典として再開され、現在まで続いています。1971年(昭和46年)からは日本の首相が式典に参列するようになりました。
歴代市長の平和宣言には、力による平和の否定、原水爆の全面的禁止、被爆体験の継承など、さまざまなメッセージが込められています。"

広島平和記念資料館 平和式典の始まり


"「被爆の実相」というのはもともとは、被爆者の声が届かなくなったり、歴史が伝わらなくなっていく危機感の中で、核抑止論などに対置するものとして、具体的な被害のありようを伝えていくことが大切だという確認があり、その中で強調された言葉だったはずです。
けれども核保有国の元首が短時間滞在し、そういう「ポーズ」をすることが「被爆の実相に触れる」という言葉に置き換えられてしまっている――それを広島市がむしろ実践していることが問題だと感じます。"

"最近では「ピースウォッシュ」という言葉を使う人が出てきましたが、こうしてジェノサイドの最中でも平和式典に参加することを日本側に受け入れられ、「普通に扱われている」ことを利用するはずです。"

https://d4p.world/28470/



平和記念式典、広島(6日)ではイスラエルを招待。
長崎(9日)では招待せず。

G7のうち、日本を除くアメリカ、イギリス、フランス、カナダ、ドイツ、イタリアEUの大使や代理大使が直筆のサイン付きで、長崎市の鈴木史朗市長あてに書簡(7月19日付)を送付。

"9日の長崎原爆の日に行われる平和祈念式典について長崎市はイスラム組織ハマスと戦闘を続けるイスラエルの駐日大使を招待していません。
これをめぐって、G7=主要7か国のうち、日本を除くアメリカやイギリスなど6か国とEU=ヨーロッパ連合の東京に駐在する大使らが連名で懸念を示す書簡を長崎市の鈴木市長に送り、駐日大使らの参加見合わせを表明しています。"
"長崎原爆の日の平和祈念式典に長崎市がイスラエルを招かないことについて、日本を除くG7各国の駐日大使らは連名で「イスラエルを式典に招かれていないロシアやベラルーシのような国と同列に扱うことになり、不幸で誤解を招く」などと懸念を示す書簡を市長に送りました。"

"長崎原爆被災者協議会の田中重光会長は「長崎市の対応が正しいと思う。ロシアやベラルーシを招待しない中で、イスラエルを招待することはダブルスタンダードだ。ロシアもイスラエルも戦闘を続けている中、そうした国の人が慰霊に参加しても原爆で亡くなった人たちは喜ばないと思う。長崎と広島で対応は違うが、長崎は長崎としての考え方があると思っている」と話していました。"

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240808/k10014541441000.html

"イスラエルのギラッド・コーヘン駐日大使は5日、長崎市で原爆の日の9日に開かれる平和祈念式典に招待されなかったことについて、長崎市長が安全面の懸念を「でっち上げている」として非難した。"

"被爆者団体などは、何万人ものパレスチナ人が殺害されているイスラエルのガザ攻撃を理由に、広島・長崎両市に対してイスラエル大使の招待を見送るよう要望。ロシアとベラルーシはロシアのウクライナ侵攻を理由に招待されておらず、イスラエルに対しても同じ扱いをすべきだと訴えている。"

https://www.cnn.co.jp/world/35222414.html?ref=rss


"与党幹部によると、政府は長崎市がイスラエルを式典に招待しないことを決め、各国大使らが反発していることが分かると、外交問題に発展する事態を懸念。鈴木史朗市長と関係のある現職閣僚や元参院議員を通じて水面下で翻意を促したが、市の方針は変わらなかった。"

https://www.jiji.com/jc/article?k=2024080801237&g=pol

"核兵器禁止条約を採択した2017年7月7日の投票では、122の国が賛成投票をしました。一方で、核兵器を保有している、ロシア、アメリカ、中国、フランス、イギリス、パキスタン、インド、イスラエル、北朝鮮の9か国と、保有国の「拡大核抑止(核の傘)」の下にある国々などは2023年時点ではこの条約に参加していません。
わたしたち日本も、アメリカの「拡大核抑止(核の傘)」の下にあり、条約に参加していない国のひとつです。"

https://peace.jccu.coop/nuclear_TPNW


長崎平和宣言

8月9日の長崎平和記念式典から1日遅れの8月10日、
ページ下部の「賛同」ボタンをクリックしました。

↑2024年の平和記念式典について、
この動画がわかりやすくまとまってると思います。


『はだしのゲン』について

平和教育の教材に『はだしのゲン』を採用した広島市の教育委員会。
2023年、それを差し替えることになった件について。

"Health for all.jp代表の茶山美鈴さんは、広島市の説明に対し「論点が2つある」と切り出します。ひとつは“現代の児童の生活実態に合わない”という理由に「そうなると今後、時代が進むにつれ時代背景が違うに決まっている。この論点だと『はだしのゲン』のような平和教育に使われる教材が生活に合わないからと、どんどん削除されてしまう」と危惧。
そして、もうひとつは“鯉盗みは誤解を与える”という言い分にも異論を唱え、「学校教育内、家庭内で教材を使って子どもに寄り添って平和教育を実践していくことが被爆国・日本として大事だと思う」と訴えます。"

TOKYO MX 「はだしのゲン」の教材削除から考える、“平和教育のあり方”とは?

"市の教育委員会は、「検証会議」から削除の方針を示した「改訂会議」までの間に、どのような議論をしたのかは一切明らかにしておらず、その判断に至った経緯が分かる資料も残されていないとしています。
また、保守系団体の代表が削除を求めていたということについても、意思決定をする教育委員会のどのレベルにまでそれが伝わっていて、実際のところどう影響したのかどうか分かっていません。取材した関係者の多くは経緯については語ることを避けていて、決定までの議論が不透明のままになっているのは問題だと感じました。"

NHKクローズアップ現代 「はだしのゲン」はなぜ削除されたのか?

"私はこの問題について、「図書館の自由」の原則から「学校図書館は、“自由な学びの場”であり、学びの保障には、その場所が自由であることと、学ぶための環境が必要」であるから「特定の本を撤去することは、あり得ない」ことを指摘しています。
教委や学校現場では“(政治的に)中立”という立場を強調されますが、それをいうなら、どんなイデオロギーにも、いかなる立場にも一方的に屈してはならないことが“中立”であるはずです。あらゆる妨害に耐えながら、「図書館の自由」の原則を守り通すのが図書館の使命だからです。松江市教委は、最終的に「閲覧制限」を撤回します。"

https://www.chosyu-journal.jp/kyoikubunka/26101


"焼津港所属の第五福竜丸は1954年、太平洋で操業中にアメリカの水爆実験による「死の灰」を浴びて、乗組員全員が被ばくしました。

現在の広島市教委の中学3年生向けの教材では、核兵器をめぐる世界の現状について学ぶ際に、導入部分として、第五福竜丸の被ばくに関する記述がありました。ところが、これについて、教材の検証会議が「第五福竜丸が被ばくしたという記述のみにとどまり、被ばくの実態を確実に継承する学習内容となっていない」と課題を指摘。このため、新年度からの教材では記述をなくし、地図や表、グラフなどから、具体的にとらえられる資料に変更されたということです。"

TBS NEWS DIG 「絶望感 この事実を抜かすことは決してしてはならない」遺族憤り…第五福竜丸が教科書から消える “被爆地”市教委が決定


『はだしのゲン』が教科書から削除される経緯の不透明さ、学校図書館から本書を撤去しようという圧力にはかなりの不信感があるのですが
一方で漫画編集者 荻野謙太郎 氏の指摘には「なるほど…」とも思わされました。

また文芸評論家 藤田直哉 氏の評も。

"大学で教えているので、学生に社会的なテーマを扱った作品を見せることがあるのですが、あまりに悲惨な現実や、社会の負の側面を描いたものに対して、トラウマになるから見たくないという反応がくることはありますね。深刻な物事に対して、認識や思考にフィルタリングがあるように感じることもあります。アニメーション作品でも、身体が損壊する描写が無理という声もありました。『はだしのゲン』が読まれなくなっているとしたら、そういう感受性の変化があるかもしれません。"
"当時はまだ原爆症に苦しむ人もいたでしょうから、こういうヒーローがいることが希望になったと思うんです。『はだしのゲン』という作品が世の中に広がって共感を生み、人々の考えを変えていけば、世界が変わるかもしれないという希望が出てくる。
それだけに、ゲンの憎しみの対象は、原爆を落とした原因としての天皇の戦争責任とアメリカの二つにシンプルに集約されます。現実はもっと複雑なので、その単純化は弱点ではあると思いますが、そこをフェアに描いたらこのストレートさや痛快さもなくなるのかもしれません。"

https://news.yahoo.co.jp/articles/9be050984db7771cb52cd913d157d6432293266c?page=4

実は私も小学生の時、『はだしのゲン』を少し読んだけど絵柄のくどさや内容の重さに怖気付き、読破はできませんでした。
(その「少し」で、戦争の悲惨さや、「お上」に盲目的に従うことの怖さもしっかり記憶に焼き付いたのでやはり凄い作品だと思います)
また、広島出身の人の「まだ幼い頃、心の準備ができていないのに凄惨な画像・映像を見せつけられてトラウマになり、平和活動全般へ忌避感を抱くようになってしまった」という話を聞いたこともあります。
表現は凶器にもなりうるのだよなと、あらためて思いました。
とはいえ。


「うさぎ島」こと 大久野島

こちらは2019年に訪れた「うさぎ島」。
ネットで「うさぎがいっぱいの観光スポット」的な記事を読み、軽い気持ちで行ってみたら「毒ガス資料館」なんてのがあって驚いた記憶。

"毒ガス兵器は第一次世界大戦に用いられ、130万人を超える被害者を生み出す深刻な被害をもたらした。1925年、ジュネーブ議定書は、こうした毒ガスや生物兵器の使用を禁じた。
「日本はその時、積極的に賛成したんです。戦争での使用は禁止すべきだ、と。ところがその後、中国では2000回以上、日本軍が毒ガスを使っていることが分かっていきます」"
"日本軍の毒ガスは主に中国で使われ、死傷者は8~9万人と推計されている。敗戦にともない、毒ガスは中国に大量に遺棄されていくが、何も知らない現地の人々が戦後、それらに触れ、被害が拡大していくことになる。それでも中国人被害者に対する日本政府からの公的な救済措置はなく、公式の謝罪もないままだ。"


韓国人原爆犠牲者慰霊碑

恥ずかしながら、
「原爆で亡くなったのは日本人だけではない」ことに思い至ったのはわりと最近です。
慰霊碑が亀の形をしているのは、「死者の霊は亀の背に乗って昇天する」という故事から。

"明治維新以後、朝鮮支配を進めた日本は、明治43年(1910年)の日韓併合により朝鮮を植民地としたため、生活基盤を失った多くの人々は職を求め日本に渡らざるを得ませんでした。
戦時中の労働力不足を補うため、強制連行や徴用によって多くの朝鮮人が日本で働かされ、数万人が広島市内で被爆したといわれています。"

https://peace-tourism.com/spot/entry-50.html

映画『この世界の片隅に』での
「海の向こうから来たお米…大豆…そんなもんでできとるんじゃなあ、うちは」というセリフ。初見では意味がわからなかったのですが
ネットで「原作では「暴力で従えとったいう事か。じゃけえ暴力に屈するいう事かね。それがこの国の正体かね」というセリフである」と知り、調べ、ああそういうこと…と。


海外の視点

ロシアによるウクライナ侵攻から、海外から広島へ訪れる人が増えたと聞きます。私が訪れた時も、外国人観光客だろう人が多いと感じました。

↑2005年放送
「原爆を開発、投下に同行、映像撮影したアグニュー博士と被爆者の対話の一部始終」
この頃の広島平和記念資料館の展示は、今よりおどろおどろしいかんじ…
公式noteには動画にはない発言の文字起こしも↓

原爆投下を正当化は絶対にしてはいけないと思うけど、それはそれとしてパールハーバーについてもちゃんと知らねばなぁとも思う。
あとキューバ危機とか。知らないことばかり。


2024年3月に映画『オッペンハイマー』が日本公開されて、見てみたい気持ちはあったけどたぶん(心身ともにしんどくて)無理だな…と、パンフだけ購入して見送りました。そのうち配信で見れたらいいな…

また、2019年公開のこの記事。8月になると毎年思い出します。


次に広島へ行く機会があればホロコースト記念館にも行ってみたいなと思っています。
「アンネのバラ園」があり、再現された「アンネの部屋」や日記のレプリカもあるらしい。

それに長崎も。
日程の都合などで足を運ぶことが叶いませんでしたが、今年の平和記念式典のアレソレを経て、行きたいなと思いました。いつか。


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