【意訳】なぜフランツ・ヴェストは最も重要なオーストリア人アーティストなのか
Why is Franz West considered one of the most important Austrian artists? – Public Delivery
クリップソース: Why is Franz West considered one of the most important Austrian artists? – Public Delivery
※英語の勉強のためにざっくりと翻訳された文章であり、誤訳や誤解が含まれている可能性が高い旨をご留意ください。
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フランツ・ヴェストとは?
オーストリア人のフランツ・ヴェスト(1947-2012)は、最重要な戦後アーティストの1人で、2012年7月25日に亡くなった。彼は数十年間に渡る実績と沢山の作品を残している。
幼少期
フランツ・ヴェストは1947年2月16日にオーストリアのウィーンで生まれた。彼の父は石炭のディーラーで、歯科医師の母はヴェストを含む兄弟たちをイタリアへ美術鑑賞に連れて行っていた。
こうして彼は若いうちにアートに出会ったが、26歳になるまで本気でアートを勉強することはなかった。彼はアカデミー・オブ・ファインアーツ・ウィーンに入学し、そこで友人作家のブルーノ・ジロンコリと共に学んだ。
初期作品と芸術的方向性の模索
彼はポップアートの影響を受けて雑誌の写真に絵具を塗ったコラージュへ転向する前に、1970年代からドローイングを描き始めている。雑誌の画像を使ったこれらの制作は、1961年から1970年にウィーンで活発化したムーブメント、アクショニズムの作家グループへの反応だった。
ペインティングと雑誌の切り抜きを止めたあと、ヴェストはパピエマシェ(張り子、あるいは漆を模した硬質な紙粘土のような素材)、石膏、ワイヤー、アルミ、ポリエステルといった一般的な素材を使った彫刻の制作を始めた。ヴェストは絵画制作を完全に止め、コラージュ、家具、彫刻、エンヴァイロメント・アート(環境芸術)、フィッティング・ピースやアダプティブと呼ばれる持ち運び可能な彫刻を制作した。
評価の上昇
ヴェストのキャリアがブレイクスルーしたのは1992年にドクメンタ IXに参加した時だ。彼のいくつかの作品は椅子やソファーとしてドイツのカッセルに配置された。その手頃な価格によって作品はアート・ワールドで急速に広まり、最終的には大量生産された。
皆から歓迎されたわけではないが、この作品はヴェストのアートに対するアプローチを明確にした;アクセシブル(接しやすい)アートである。ロバート・フレックによるインタビューの中で、彼はこう答えている。
“私は全ての中で路上の作品が一番好きだ。観るために特別な旅を要求せず、単にそこにある。見ようとする必要すらない。きっとこれが理想的なアートだろう。”
その作品、Auditorium(観衆)のために、ヴェストはウィーンのドライクリーニング店全てを訪れ、古くてボロボロの、放置されたペルシャカーペットがないか尋ねた。その薄汚れたラグは、即席のソファーの形になるように金属製のフレームを覆った。
フランツ・ヴェストは合計72個のAuditoriumソファーを制作し、72人が使用できるようにした。この作品が初めて展示されたのは、ドクメンタ Ⅸの駐車スペースである。この行為はメインイベントの外側で汚いラグに寝そべる多くの人々を生み出し、ヴェストの反体制的なアプローチを示すことになった。
日常的に使われる素材
彼の初期彫刻は日用品を組み込んでおり、機械の部品、ボトル、家具の一部といった無数の日常的なモノを、石膏やガーゼで覆っている。彼はどんなものでも自分の技法に落とし込んでしまう。日常的なモノを、石膏や古い電話帳のパピエマシェのなかに閉じ込めるのだ。鑑賞者は時折、そのオブジェクトが元々何なのか判断できない。
ヴェストはそのキャリアを通して簡単に手に入る素材で彫刻を作っている。ポリスチレン製のランプ、パピエマシェ、古いビーチサンダル、山積みの帽子、段ボール製の筒に加え、子供時代に使っていたベッドや母親の古い洗濯機などだ。彼はその洗濯機を “Eo ipso(On its own account)” (1987)という作品に使用した。真珠光沢の産業用塗料で緑に塗装したラブシートだ。
称賛と死
フランツ・ヴェストは多くのコンテンポラリーアーティストに影響を与えた。リチャード・プリンスもその一人で、不愉快で卑猥なコラージュ作品、デ・クーニング作品の再制作など、ヴェストの初期コラージュ作品に似た作品を制作している。ヴェストはまた、レイチェル・ハリソンにも影響を与えている。彼女の作風はヴェストに近く、味のある即興的な彫刻やアッサンブラージュを制作している。他にもヴェストのパフォーマンス的作品との類似点は、エルヴィン・ヴルムの“One Minute Sculptures ”に見ることができる。
ヴェストの作品はドクメンタやヴェネチア・ビエンナーレで繰り返し展示されてきた。彼の作品はウィーンのアルベルティーナ美術館、マーストリヒトのボンネファンテン美術館、スペインのマラガにあるCAC、ロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館といった著名な美術館のコレクションに所蔵されている。
デヴィッド・ツヴィルナーは世界を先導するギャラリーのひとつで、そのスペースでヴェストは特筆すべき個展をいくつも行っている。彼らは2014年にもヴェストの1990年代の作品に着目した展示を企画している。
ヴェストは生涯を通して沢山の賞を受賞した。1986年にオットー・マウアー・プライズ、1988年にウィーン市視覚芸術賞、1993年にジェネラル・ファウンデーションの彫刻賞、1998年にケルンのルートヴィヒ美術館によるヴォルフガング・ハーン賞、2011念にはヴェネチア・ビエンナーレで生涯功労に対する金獅子賞と、オーストリア共和国科学文化勲章を受賞している。
ヴェストは2012年7月26日にオーストリアのウィーンで死去した。フランツ・ヴェストはアーティスト仲間のタムナ・シルビラーゼと結婚し、2人の子供を授かった。シルビラーゼは2016年に癌により44歳で亡くなっている。
分析
ヴェスト作品の多くは彼の幼少期と10代の影響を強く受けている。彼は薬物に依存しており、初期のドローイングの多くは下品で卑猥だった。ヴェストは漂流的でウィーンのアートワールドでは知られていなかった。彼は有名になって、みんなが間違っていて自分こそがアーティストであると証明したかった。
その名声と称賛に対する欲望は彼の世代の若手アーティストに典型的なものだったが、フランツ・ヴェストは自身の成功によって、アーティストは時として節度と道理をわきまえる必要はないのだと証明した。ヴェストにとってアートとは相互作用であり、知的挑戦と崇高な美的体験であった。そのコンビネーションが彼の作品を本質的かつ独特なものにしたのだ。
ヴェストはまた、彫刻と人体の関係性に関する作品でも記憶されている。ヴェストの作品と家具は民主主義の精神を強調しているように見える。作品と家具の両方がデ・スキルド(脱技巧化)された外観をしており、誰もがアーティストになれる、というアイデアを視覚的に表現している。また、彼はアートと家具を合成することで、想像力で全世界をまるごと包み込むファンタジーを生み出している。
ヴェストが作るものは全てがとても好かれやすいが、その人気者の裏の顔は抜け目ないヒップスターである。フランツ・ヴェストのアートは万人受けするものではなく、制度化されたアートのシステムを完全に否定するものでもない。センスの良いスタイリッシュなその作品は、浅薄だが極めてクールなのだ。
家具
彼は1980年代はじめに家具彫刻の制作を始め、装飾され、作品を壁に架けた小さな部屋のようなセットにそれを設置した。つまり、鑑賞者はそれを持ち運んだり取っていくことはできないが、そこでくつろいだり上に座ることができる。その奇妙な見た目のソファや椅子は、石膏、布、発泡スチロールといった一般的な素材で鋳鉄を覆ったものが多い。彼の椅子や長椅子のいくつかはクッション性が最小限で、生成りの麻で布張りされている。
彼の作品は鑑賞者が座ったとき、壁が背になるように配置されることが多い。そうすることで、鑑賞者は参加者でありながら視線を集めるオブジェクトにもなる。ヴェストの家具インスタレーションには野心的な大作もあり、多くの観衆をリラックスした相互作用へと導く。
ヴェストの家具は社会的にぎこちなく、存在論的に曖昧で、奇抜だ。汚れた白い凸凹のオブジェクト、と言う人もいる。完成品は眼を惹くものではなかったが、ヴェストは気にしなかった。 “作品がどう見えるかよりも、どう使われるかが重要です。” それは作品は家具として機能すべきだと言う意味ではなく、公共空間でこう振る舞いたい、と思う鑑賞者の期待を転倒させる機能だ。ヴェストは鑑賞者を不快にさせて喜び、彼らが奇妙な状況にどう対処するかを眺めて楽しんでいた。
椅子
フランツ・ヴェストの椅子はバカらしく、破壊的で、彼の家具の中で最も魅力的だ。彼は自分の家具を“グッドデザイン”にしようとはしなかった。
ランプ
この作品によって、ヴェストは所有者の個人的、身体的なプライバシー空間への侵入ができるようになった。彼は擬人化的で実際に使用可能な作品によって、自分の作風の不快さを軽減している。
Lamp: Private Lampe des Künstlers II, 1989
“Private Lampe des Künstlers II” はフランツ・ヴェストが自分の奇妙で楽しい金属のオブジェクトが個人邸宅で飾られる機会をつくるために制作した数多くのランプ作品の中のひとつだ。このランプは扱い易そうな金属の鎖で作られ、禁欲的な見た目をしている。だがこのランプには唯一の装飾として、痛ましい裸電球が取り付けられている。
ソファ
ヴェストの家具作品における傑作の幾つかはソファ作品だ。彼は偶発的な方法で家具を制作するが、それが鑑賞者にとっての魅力になっている。一般的な家具とは異なり、ヴェストのソファはどれもがほとんど無作為かつ無計画に見えるが、彼は制作者として最小限かつさりげない介入をしている。
Sofa: Curaçao, 1996
家具作品は時に文学的な言葉や、鑑賞者を様々な行為を演じるように誘う壁書きに囲まれている。それは鑑賞者に様々な行為を演じたり服を脱いだり、ときには排便するように誘っている。
彼の作品のひとつ、Curacao (1996) にはこんな指示書が含まれている。“席に付きたいならできるだけ服を脱ぐ必要がある、少なくとも靴は。美術館の守衛は一時間ごとに一杯のキュラソーをくれるが、自分自身で注いではならない。”この青い酒は殆どの場合、黄色い布が軽く張られたソファの端にある、青いパピエマシェ製の壺のような棚に入れられる。
Sofa: Eo Ipso, 1987
ヴェストのソファの中で最も語られているのはEo Ipso (1987)だ。この作品は2つの細長いラブシートの組み合わせでできているが、もうひとりとスムーズに会話できるような形状ではない。ヴェストは人生をより不快なものにしようとするのだ。彼はこの作品を作り、傍観者に晒した。この実用的じゃない座席に座った者は誰であろうと必ずアホに見える。
彫刻
1996年からヴェストの彫刻は美術館の広場、後援、彫刻庭園などに設置されはじめた。彼は単色の彫刻を作るようになり、オレンジ、ピンク、水色などのパステルカラーを使った。
これは1995年に急逝した最愛の異母兄弟に捧げたもので、ヴェスト曰く、その色は彼にとって葬儀への花束に思えた。この彫刻は相反する外観を持っているように思える。威嚇的なのか好意的なのか、糞便趣味なのか無害なのか、その色は病的なのか親しみやすいのか、鑑賞者は判断がつかないのだ。
1970年代
Passstücke (Adaptives), 1974
1970年代にヴェストはアダプティブを制作した。小さく持ち運び可能な彫刻である。このシリーズにおいてヴェストは古いゴルフクラブを折り曲げて、フィッティングピースやアダプティブと呼ばれる彫刻を作った。それは肩に掛けたり、持って踊ったり、腰にぶら下げたりするような形をしている。
“フィッティングピースは、完全性と美に関する全てのアイデアを退ける新しい美学を表現している。その作風は汚く、いびつで、欺瞞的ですらある。その醜さに反審美的な意図が込められているにも関わらず、完成品は魅力を感じさせる──ヴェストが常に得意とする反転だ。その触覚的な性質は、完璧という概念から程遠い、ぎこちなくグロテスクな仕草への理解を促すのだ。” ─ クリスティン・マセル
1980年代
Labstücke (Refresher Pieces), early 1980s
ヴェスト作品には、ギャラリーの閉鎖空間で観たり扱ったりできる、使用方法の説明映像付きの作品がある。こういった彫刻の多くはLabstücke(ラベル)と呼ばれるシリーズや、リフレッシュメント・スカルプチャーとして知られるようになった作品だ。ラベルはウイスキーやビールの瓶をモチーフに制作されており、盛り硬められた物体から瓶の首が飛び出している。これらの彫刻は幾つかの台座の上に立っていたり、酔っぱらいのように傾いている。
ビール瓶を使ったことについて、ヴェストはこう語っている。 “そのときはベロベロに酔っぱらっていたが、空き瓶を投げ捨てたくなかった。その形が中身を思い出させるからだ──私の中に注ぎ込まれ、今や私自身となった酒を。”
1990年代
Legitimate Sculptures, 1996
1980年代、ヴェストは自分のアダプティブ作品が美術館やギャラリーで展示する際に問題を抱えていると気づいた。それを理由として、彼は持ち運びできない自己完結的な作品を制作し、“レジティメイト・スカルプチャー”(正統派彫刻・合理的彫刻)と名付けた。
アダプティブと同様に、これらの作品もファウンド・オブジェクトによって制作されている。1996年、彼のレジティメイト・スカルプチャーは人間サイズのリベット打ちされたアルミニウム作品に姿を変え、世間がイメージする彼の顔となった。このタイプの作品で死後に完成したものは2点あり、その一つは18フィートを超える青い花瓶で、Wの文字に似た緩いカーブを描いている。
2000-2010
The Ego and the Id, 2008
The Ego and the Id (自我とエス)は高さ約20フィートの、リポンのように弧を描いたアルミニウム彫刻2点で構成されている。1つ目はまばゆいピンクに塗装され、もう一つはグリーン、イエロー、ブルー、オレンジとカラフルに塗装されている。
そこには6つの椅子が作品の一部として組み込まれ、鑑賞者に座る機会を提供している。この作品タイトルは精神構造をエス(無意識)、エゴ(自我)、スーパーエゴ(超自我)の3つで説明したジークムント・フロイトの最も有名なテキストを引用している。ヴェストは本作をボルチモア美術館の回顧展のためにデザインした。
2010-
Parrhesia (Freedom of Speech), 2012
ヴェストは通常、パピエマシェを巨大な、喧嘩腰で集合した頭部のような形状へと造形する。例えばParrhesia (Freedom of Speech), 2012 は、トゲの上に乗った7つの頭部に見える像で構成され、その漫画の様に生き生きとした表面と奇妙な輪郭は、騒がしい井戸端会議のようだ。
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