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【意訳】テッド・スタム:絵画とスピード

元記事:Painting Speed  By Tiffany Bell : Art in America / November 1986
カタログ:https://kewenig.com/news/ted-stamm-series-monograph

※英語の勉強のためにざっくりと翻訳された文章であり、誤訳や誤解が含まれている可能性が高い旨をご留意ください。
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Ted Stamm: PAINTING SPEED By Tiffany Bell

New York, 2023

1970年代後期、私は若手批評家としてNYのHal Bromm Gallery で開催されたテッド・スタムの展示レビューを担当した。
抽象絵画は絵画的言語を前進させると考えるスタムの、理想主義的かつ情熱的な取り組みに私は興味を惹かれた。
その当時は絵画の死を主張する議論が広く展開されていた。多くの画家はそれに納得していなかったが、抽象絵画の目標と内容を設定し直す必要がある、という感覚は皆に共有されていた。

ジュリアン・シュナーベルを例とする新表現主義や、いわゆるネオジオ・ペインティングと呼ばれるピーター・ハリーの作品はそこに応答したものだ。
スタムは当時のNY在住アーティストのひとりとして、デヴィッド・リードショーン・スカリーメアリー・ハイルマンなどの間で、近代抽象絵画の言語を受け入れると同時に拡張するため、新しい手法と内容の導入を試みていた。
私はすぐに、スタムは旧来的なただの抽象画家ではないと知った。彼は路上でグラフィティを描き、それを写真として記録したり、友人・知人を加えた参加型作品を制作していた。また、彼は現在はメールアートと呼ばれているものも制作し、時と場所を記録するポストカードやドローイングを送っていた。彼は自分の活動やスタジオ来訪者の記録に熱心で、制作手法にはゲーム性と偶然性が含まれていた。そして彼のアートと生活は、お互いに影響を与え合うものであった。
考えても仕方のないことだが、テッド・スタムがその悲劇的な死の後に登場した新しいテクノロジーを扱ったらどうなっただろう、と想像せずにはいられない。だが現在、彼の作品がより多くの観衆の注目を集め、若いアーティストとアート好きの間で語られ続けているのはとても素晴らしいことだ。

数十年前にArt in Americaに寄稿したスタム作品に関する古い記事がこのカタログに掲載されるのは光栄だ。このテキストが新しい文脈の基礎となり、彼の作品への理解を深めることを願う。

Painting Speed  By Tiffany Bell : Art in America / November 1986

ほとんどの場合、テッド・スタムの絵画は簡素でクールなミニマリスト的オブジェクトに見える。彼はシェイプドキャンバス、フラットな下地、黒い絵具、そしてハードエッジな幾何学的シェイプを用いている。
スタム自身も、自作はミニマリストの範疇に収まると考えているようだ。1983年、彼は自分の作品について “絵具を塗った物質的オブジェクトと展示空間が生み出すトータルスペース” であると述べている。
彼だけでなく私も、スタム作品における素材への関心を強調して語ることが多いが、彼の絵画にはミニマリスト的文脈とは矛盾する要素も含まれている。
スタムの円熟期は1972年から始まったが、彼はその初期の詩的な抽象絵画(1968-72)において、手仕事の痕跡をすぐには手放さなかった。また彼は、一般的にはミニマリズムには用いられない、鋭角や変則的な幾何学形状のキャンバスを使用している。
そして彼の後期作品(1980-84年ごろ)には、速度やハイテクなデザインを想起させる流線型が使用されている。それは静的かつ象徴的なミニマリストの古典的スタンスとは相反するものだ。
このミニマリストの文脈と矛盾するスタムの非ミニマリスト的側面が当初、彼の作品を理解困難なものにしていた。また、鑑賞者に混乱を与えるだけでなく、近代抽象絵画の一般的な流行からも距離を置いていたので、彼の作品が広く注目を浴びるのには時間が掛かった。
それでも、Long Island UniversityのC.W. Postキャンパスで昨年2月に開催された記念展示で彼の作品が広く認知されて以降、この秋にはCondeso-Lawler Galleryでも展示が開催され、この問題は解決しつつある。(スタムは1984年に39歳で亡くなっている)

スタムが絵画制作手法を通じて最初に行ったのは、オブジェクトネス(物質性)の探求である。彼は非参照的なアートを制作するというミニマリスト的欲求に駆られると同時に、コンセプチュアリスト的思想を制作手法に導入していた。
1972年から70年代半ばにかけて、スタムはこの2つのソースを進化させた。1972年からスタムが始めた“キャンセル”ペインティングは、鮮やかで詩的な抽象表現を、グリッド状の黒い絵具のレイヤーで覆い隠す作品だ。その色彩は僅かに視認できるものの、手仕事的な抽象が生み出す表現的な印象は、黒によって見事にキャンセル(排除)されている。
キャンセルペインティングもまたひとつの転換点で、それ以降、未処理のキャンバスに黒い絵具を塗ることは、彼の作品において最も一貫して続く特徴になった。
時折登場する白、銀、赤などを除いて、タフさと非人間性を感じさせる黒という色は、1972年以降に始めて使用された。その時からスタムはフランク・ステラと同様の手法を使い、時に重複しつつも異なる作風のシリーズを制作していた。

Ted Stamm, Olivia Roll 5C (Chance), 1973, acrylic on canvas, 36 x 96 in, 91 x 243 cm

キャンセルペインティングの後、彼は“ロール”ドローイングとペインティングの制作を始める。これ以降、彼の作品から人間的な手仕事感が排除された。
スタムはダイスを振ったりルーレットを回して作品の外観を決定するシステムを発明した。
番号には予め決定されたパターンが割り振られており、一投目でで絵画のフォーマットを決め、二投目で絵具のレイヤーを何層にするかを決めた。(多くの場合、友人たちがそのダイスを振り、完成した作品には彼らの名前が付けられた。)
これらのスタム作品は、彼の周囲にいたコンセプチュアリスト達のアイデアを組み合わせて開拓されたものだ。このアプローチにおいてスタムは、偶然性よりもシステマチックな側面を強調している。

Ted Stamm Woosters, Lisson Gallery, New York. Exhibition view.

1974年にスタムはシェイプドキャンバスへと方向転換する。最初に彼が開発し、またキャリアを通じて制作し続けたのは、矩形の左側に小さな三角形がくっついた形状である。彼はこの形状を自分が住むウースターストリートの車道で見つけて以来、“ウースターズ”と呼んでいる。
“キャンセル”と“ロール”のシリーズは、コンセプチュアリスト達の思想を制作手法を通じて具現化したものだが、“ウースターズ”はフォーマリスト的表現の実践であった。ロバート・マンゴールドの絵画を連想させるその様式では、絵画的に引かれた線と、木枠の縁が生み出す現実の線が等価に機能する。ステラが1966年に制作した“イレギュラー・ポリゴン”においても、物質的なシェイプと描かれたシェイプが対比されている。
ブルックリン・ドジャースから名付けられた“ドジャー”はスタムの絵画において2番目に多い作品形式だが、その形はカーブした球場の外周を参照したものだと考えられる。

Ted Stamm, DGR-37 (Dodger) 1977, oil on canvas, 33 x 128 in, 84 x 325 cm

1975年に制作し始めた“ドジャース”は基本的に、弧を描いた木枠が左側で四角形へと変っている。これらの絵画は“ウースターズ”と同様に、平面性、正面性、物質的シェイプと描画上のシェイプの統合といったフォーマリスト的思想と結びついているが、その風変わりなフォーマットはミニマリズム絵画から派生したものには見えない。
おそらくステラ絵画の独特な形状に影響を受けたのだろう。初期の“ドジャース”でスタムは、切断したり切り込みを入れた木枠を特定の角度で木枠に取り付けていた。
また、その黒い色面のだらしない塗りが不規則さを際立たせている。シェイプ全体を強調するのではなく、1~2箇所の輪郭線とだけ対応しているのだ。
この風変わりな形式は、スタムが初期に制作していた詩的な抽象画の人間的側面を連想させるものでもあった。

Ted Stamm, SLDR-003 (Slider Dodger), 1981, oil on canvas 33.75 x 94.25 in, 85.7 x 239.4 cm

1976年から、“ドジャー”の形はシンプルになっていく。初期の“ドジャース”には絵具の滴りや修正跡が見られたが、その表面はより滑らかになり、黒い色面はより平坦に塗られ、その輪郭はよりくっきりと塗り分けられた。
手仕事感や独特なデザインによって組み込まれていた人間的側面は、後期の“ドジャース”ではより象徴的に表現されている。
スタムは“ドジャー”の形状を自分自身、つまりは自分のサインの様なものだと考えていたのだ。そのことは、よりコンセプチュアルな作品でも“ドジャー”のシェイプが登場することからも分かる。

Ted Stamm, 31 Revisited Designators, 1979. Soho, New York. c-print on paper, 8x 10 in, 23 x 25 cm

1976年、スタムはストリート・ピースのシリーズを制作開始した。手の込んだ最初の“デザイネーター・シリーズ”において、彼は小さな“ドジャー”の形を、自分の住んでいる建物、地域の郵便局の階段、親しい友人が住む建物といった、自分にとって重要なNYの各所に控えめにステンシルしていった。
このプロジェクトは最終的に4つの段階を踏む。まず、彼は黒いシェイプを塗る。2度目に訪れたとき、そのイメージが変化していたら、そこに銀色の“ドジャー”を上描きした。3度目は、その銀色のシェイプの上に黒のTの字をステンシルする。そして最後の訪問時には銀色のTを描く。
このプロジェクトにおいて、“ドジャー”は自分にとって重要な場所を指し示すだけでなく、過ぎ行く時間も記録している。この作品は、スタムがこの世界に存在していることを象徴的に記録したのだ。

Ted Stamm, C-DGR-5 (Concorde Dodger) 1980, oil on canvas, 36 ½ x 109 ½ in, 92.7 x 278.1 cm

後期の“ドジャース”は2つのシリーズに分けられる。1978年から開始した“C-Dodgers:C・ドジャーズ”は、基本的に同じシェイプだがより単純かつスマートである。1979年の“Zephyrs:ゼファース”も似たようなシェイプだが左側に矩形がなく、黒く塗られた部分はハッキリとした十字になっており、彼の絵画と建築的環境の関係性を強調している。また後期の“ウースター”は、鑑賞者が直立姿勢であることを強く自覚させるものだ。

Ted Stamm, LWX-2 (Lo Wooster), 1983, oil on canvas, 48 x 168 x 2 1/2 in, 121.92 x 426.72 x 6.35 cm
Ted Stamm, IXS, 1983, acrylic on canvas, 56 x 237 in, 76.2 x 381 cm

作品の展示方法に目を向けると、スタムは1980年の“Low Woosters (LXWs) :ロー・ウースターズ” を極めて床に近い位置に架けている。1983年の "Incline Experimentations (IXSs) :インクライン・エクスペリメンテーションズ”では床から半インチ以下の高さに、“ウースター”のシェイプを思わせる細長い三角形が僅かに傾けて架けられている。(その角の先端は壁に近い。)
ここで強調されている物質性は、絵画の象徴的性を高めるだけでなく、この頃に導入された躍動感や速度などの新しい要素との対比になっている。

Ted Stamm, ZYR-4 (Zephyr), 1979, oil on canvas 33 x 114 in, 83.8 x 289.6 cm

大学では工業デザインの学生だったスタムは、高速移動する乗り物のデザインに興味を持った。彼の絵画のタイトルの多くも、車・電車・飛行機などから来ている。
例えば Zephyrs (ゼファー) は曲線的な高速鉄道の名前である。C-Dodgers におけるCは、超音速の旅客機:コンコルドを意味している。その省略形で表記されたタイトルもまた、速記や技術用語などを示唆している。
彼の躍動感への関心は、その絵画がより流線的でハイテクな外観へと開拓されていったことからも分かる。スタムが最後に制作した大作のひとつが、アルミニウムに描かれた長細い絵画、CDX-1 (1983)である。彼は完全に満足していた訳ではないが、この作品は他のいかなる絵画よりもレーシングカーやジェット機のパワーとスピードを明確に表現できている。
テクノロジー的デザインと結び付いたスタム作品は、静的で実存主義的な古典的ミニマリストのオブジェクトとは異なり、エネルギーが潜在的に込められているような印象を受ける。

彼の作品は興味深いことに、最近発表された画家/批評家のピーター・ハリーのスタンスと似ている。両者の作品の表面の仕上がりとマスキングされたエッジはクールでSF的な外観を生み出し、その線は躍動感や循環と結び付いているように見える。
ハリーの作品は電流の速度と絵画的躍動感を関連付け、“超現実的でポスト工業的な世界”を描いているため、スタムとの関連性を見い出せる。ハリーは幾何学的構成への興味を、電気回路図と蛍光色の組み合わせによって描いているのだ。
だが、スタムのスピードとテクノロジーに対する思想はハリーと同じに見えたとしても、スタムはハリーのように、現代文化の中に存在するパターンを表現する手法として抽象を使ってはいない。
スタムは自己投影的な抽象という、モダニストの伝統領域の中で制作しているのだ。ハリーの絵画は現実から切り離された記号として存在しているが、スタムは明確かつ持続的に物質性を強調することで、アートと生活の時空が物理的に繋がっていると示している。
またスタムは、ハリーと同様に工業化以降の周辺環境に応答しているが、ポストモダン的な文脈をはっきりと自覚した上でテクノロジーを引用しているというよりも、モダニズムそのものを受け入れている。

スタムの速度に対する考えは、彼のモダニスト的信条から分岐したものである。彼はイタリアの未来派のように近代的デザインとテクノロジーに魅了され、それが未来の絵画のアイデアへと繋がっていった。実際に彼は、自分の活動は絵画を前進させるものだと主張し、"Painting Advance Stamm 1990" というスローガンと共に公言していた。
その活動は理想主義的だったが、スタムの絵画は、モダニスト的問題意識に根ざした抽象画でも現代の現実の複雑さに取り組むことができると示唆している。

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