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【意訳】オクウィ・エンヴェゾー:新型国際展の開拓者

Okwui Enwezor Pioneered a New Kind of Global Exhibition

Clip source: Okwui Enwezor Pioneered a New Kind of Global Exhibition

※英語の勉強のためにざっくりと翻訳された文章であり、誤訳や誤解が含まれている可能性が高い旨をご留意ください。もし間違いを発見された場合は、お手数ですが 山田はじめ のTwitterアカウントへご指摘を頂けると助かります。

オクウィ・エンヴェゾーは新しいタイプの国際展の開拓者である。彼はキュレーターとして、世界中を巡回する野心的な展示によってアフリカン・アートと写真の立ち位置を向上させた。
By Brian Wallis

Okwui Enwezor, 2015. Photograph by Alexa von Arnim

先進的キュレーター、オクウィ・エンヴェゾーが2015年のヴェニス・ビエンナーレのタイトルとして選んだのは “All the World’s Futures”(全世界の未来)だった。多くの人はこれを希望のある楽観的な予言として受け取ったが、2019年にミュンヘンで55歳の生涯を終えたエンヴェゾーにとっての未来は抽象的な理想ではなく、社会の変化を実現することだった。個々人が考え、行動しながら進む共同体的対話のプロジェクトの中で、アートと展示が中心的な役割を果たしていたのだ。
多くのキュレーターと違い、エンヴェゾーは展示を自分の“チェンジ・アジェンダ”(変更事項)を簡潔に表すエッセイや議論として捉えていた。
なので彼は既存の美術批評におけるカノン(正典)を書き換えるだけでなく、アートとアーティストの役割を再検討するラディカルな思想を導入した──それは社会と政治の概念を形成する思想でもあった。

Okwui Enwezor and Artur Walther, New York, 2011
Courtesy The Walther Collection

エンヴェゾーは紛れもなく同世代で最も影響力のあるキュレーターだった。ドクメンタやヴェニス・ビエンナーレといったメガサイズの展示に予想外のグローバルな視点を持ち込んだのである。
1990年代後半以降はビエンナーレや大型展示が急増する時代だ。彼はその敏腕興行師だったが、博識と学術的態度を用いて展示を作り上げていく。

エンヴェゾーはナイジェリア生まれで、1980年代前半にNYへ移住した。そのお陰で彼は、アートワールドにおける商売優先の見せ物的で派手な展示や、空間に介入する意味ありげで巨大な作品から距離を取れた。
彼の展示はテーマを重視し、非西洋のアーティスト達の力強い声明を取り上げるのが特徴だ。文筆家、批評家、映像作家、パフォーマンスアーティスト達が参加する点も同じく重要である。

エンヴェゾーがキュレーションしたヴェニス・ビエンナーレでは、カール・マルクスの資本論の朗読(3冊全部!)が行われた。彼の展示は常にこのようなライブ型参加者の貢献によって作られ、盛り上げられていく。
そこには豊富なアイデアだけでなく、若手アーティストの視点や無視・疎外されてきたアーティストのミニ回顧展を組み込んで補完されており、充実した内容だった。

Samuel Fosso, Self-Portrait, 1976–77 © the artist and courtesy JM Patras/Paris

最初にエンヴェゾーが務めた大きなキュレーションは、記念碑的展示:“In / sight: Aafrican Photographers, 1940 to the Present ”(イン/サイト:1940年から現在までのアフリカ人写真家たち)だ。1996年、NYのグッゲンハイム美術館でオクタビオ・ザヤと共に企画したこの“イン/サイト”において彼はアフリカ系アーティストたちを国際的なステージに引き上げ、今では規範的(カノニカル)とみなされている。セイドゥ・ケイタマリック・シディベサミュエル・フォッソデヴィッド・ゴールドブラットなどは皆、エンヴェゾーが後に書いた本の中でも紹介されている。

その後もエンヴェゾーは1997年から2017年にかけて素晴らしい大型グループ展を開催していく。第二回ヨハネスブルク・ビエンナーレ(1997)、ドクメンタ11(2002)、第二回セビリア・ビエンナール(2006)、第七回光州ビエンナーレ(2008)、ミーティング・ポインツ(2011)、パリのパレ・ド・トーキョーにおけるラ・トリエンナーレ2012、そして超大型のヴェニス・ビエンナーレ(2015)だ。これらの間にも無数の小さな展示を企画している。

エンヴェゾーにとって展示とは、審問・調査・アーカイブ拡張の機会だった。彼の探求したこのアイデアは、 Archive Fever: Uses of the Document in Contemporary Art (2008)(アーカイブ・フィーバー:コンテンポラリー・アートでのドキュメントの使い方)で素晴らしい効果を生み出している。エンヴェゾーは展示を“思考装置”として捉え、展示の形式・意義・歴史について学んだ。彼はこのプロジェクトでアートの自律性だけでなく、“公開討論会としての展示の自律性”にも価値を置いたと述べている。

彼が2002年にドイツのカッセルで企画したドクメンタ11は大胆かつ革新的なブレイクスルーだった。この展示は、本当の意味で最初の国際展である、と広く認識されている。
彼は展示空間を大幅に拡大し、非西洋の声をしっかりと取り入れ、ナイジェリアのラゴスから西洋のセント・ルシアまで4大陸からの参加者で組織された学術研究協議会(あるいはプラットフォーム)を開くなどして、展示の扱う領域や目標に対する固定観念を破壊したのだ。
この展示、および5つのプラットフォームは国境を越えて存在する政治的問題に取り組んでいるアーティストやコレクティブを前面に打ち出し、文化のハイブリッド化と文化的移住がコンテンポラリー・アート的実践における重要な問題であるとした。

また、21世紀の世界再編に伴う肉体的・精神的変化を理解するのに最適なのは文化的形式を通して考えること、というのがドクメンタ11の暗黙のテーマだった。執筆・撮影・視覚化・上演などの表現はアイデンティティを形成し、社会悪を指摘して今日の世界情勢に挑むことができるのだ。

Nontsikelelo (Lolo) Veleko, Cindy and Nkuli, 2003
© the artist and courtesy the Goodman Gallery, Johannesburg

エンヴェゾーは国際的な文化の中で生きていたが、仕事を通じてアフリカン・アートを重視し、自分の中心に据える姿勢へと立ち返っていく。
根強い植民地主義的・西洋中心的思想による軽蔑や無視を単に是正するだけでなく、異なる歴史や形式に基づいたアプローチで同時代性の複雑さを強く主張していった。

包括的かつ組織的なアジェンダによって、彼はアフリカ大陸、およびその移住者達のアートと文化が改めてより深く知られるように尽力した。
その初期にはアフリカンアート、およびアフリカ系アメリカ人アーティストに関する批評的対話が欠如している問題に取り組み、1994年、オル・オギュィベ、サラ・ハッサンと共に批評系出版社 Nka: Journal of Contemporary African Art を立ち上げている。

後にエンヴェゾーは、主に写真を取り上げた国際巡回展によって歴史の分節を大胆に描いてみせた。以下がその一例だ。

 ・The Short Century: Independence and Liberation Movements in Africa, 1945–1994 (2001) (短い世紀:アフリカにおける独立・自由化運動1945-1994)

 ・Snap Judgments: New Positions in Contemporary African Photography (2006) (スナップ・ジャッジメント:現代アフリカ写真の新しい立ち位置)

 ・Rise and Fall of Apartheid: Photography and the Bureaucracy of Everyday Life (2012) (アパルトヘイトの興亡:日常生活における官僚政治と写真)

また彼は、アフリカのポートレイト写真に関する重要な展示、Events of the Self: Portraiture and Social Identity (2010) (わたしの出来事:ポートレイトと社会的アイデンティティ)をドイツのノイウルムにあるThe Walther Collectionでキュレーションした。

これらの歴史的、かつ驚くほどタイムリーな展示は、従来の美術史における西側文化中心な語り口に対するポスト植民地な反撃である。
また、これらの展示はアフリカ諸国の複雑なアーティストの系譜を辿る調査結果を豊かに描き出し、アートと写真が自己表現と政治的自己決断力にどれほど活力を与えてきたのかを証明した。

エンヴェゾーの展示はよく政治的と評される。場合によっては退屈で説教くさい、という侮辱にも聞こえかねない言葉だが、それは大間違いだ。彼はアートを社会運動において重要な翻訳と変換の形式であると理解し、社会的不平等と権力乱用について語り直すことができると立証していた。
また、出版を頻繁におこなって ウィリアム・ケントリッジデヴィッド・ゴールドブラットサンツ・モフォケングインカ・ショニバレイト・バラダローナ・シンプソンロティミ・ファニ・カヨデライル・アシュトン・ハリスといったアーティスト達を評価してきたエンヴェゾーにとって、本当の政治的権力とは、芸術的なもの以外も含むあらゆるものに意味を構築することだ。単にイデオロギーをプロパガンダ的に主張するのではなく、もっと捉え難く寓話的な方法で、日常生活の中で政治を表現・主張するのだ。

James Muriuki, Matatus II, from the series Town, 2005 
© the artist and courtesy the The Walther Collection

エンヴェゾーは2011年から2018年までミュンヘンのハウス・デア・クンストでディレクターを務めていたが、彼はその組織に理事や官僚として所属するのを良しとせず、“非提携”状態であることを望んだ。ハウス・デア・クンストはそもそもアドルフ・ヒトラーによって建設された、ドイツのナショナリストの作品に注目を集めるための美術館である。エンヴェゾーは第2次世界大戦から続くこの暗雲に取り組み、ケイティ・シーゲル、ウルリッヒ・ウィルメスと共に彼の最後の壮大な大規模展示、Postwar: Art between the Pacific and the Atlantic, 1945–1965をキュレーションした。

エンヴェゾーは65カ国から218人のアーティストの作品を350点借りると共に、学術的討論会を開催した。技術革新・植民地解放運動・市民権と人権を巡る国際的闘争の中で、ポスト第二次世界大戦のアーティスト達が実際にはどんな政治的状況に身を置いていたのか、ラディカルな再考を促す内容であった。
長く信じられてきたアメリカの絵画の勝利とフォーマリスト達による従来の美術史のナラティブを全て覆し、過去に対する文化的・差別的・お国柄的な先入観を是正し、より平等にニュアンスを捉えた批評的アプローチでモダンアートを捉えなおす試みがこの展示であった。

アートと展示は我々の生きる面倒で不安定な世界に常に応答する役目があると考えていたエンヴェゾーは、政治的実状を排除したり未来への取り組みを怠っている展示と芸術的実践に反対していた。
“展示とは公共空間における議論です。予見的な実践をおこない、意志を表明する場なのです。”とエンヴェゾーは語る。
“展示は、多様な大衆の議論が生み出すとても社会的な状況を止められない。ましてや文化的な文脈から距離を取ることなどできません。”

彼にとってアートは“分析用の虫眼鏡”だった。それを通して観ることで未来を把握し、社会に貢献するのだ。
またエンヴェゾーにとって展示とはアートのプラットフォームであり、西洋の資本主義と、その植民地主義的なビジネスが引き起こした大惨事の遺産を乗り越えるための思考装置であった。
“未来について考えるとは、この世界における自分自身の可能性について考えることなのです。”

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