【意訳】クリストファー・ウール:沢山の失敗を残しておく
Clip source: Punk painter Christopher Wool: ‘I make lots of mistakes – and keep them in’ | Art and design | The Guardian
※英語の勉強のためにざっくりと翻訳された文章であり、誤訳や誤解が含まれている可能性が高い旨をご留意ください。
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Punk painter Christopher Wool: ‘I make lots of mistakes – and keep them in’
Thu 2 Jun 2022 06.00 BST
Last modified on Wed 19 Oct 2022 15.05 BST
クリストファー・ウールのテキストペインティングは数百万ドルで販売されている。だがシカゴ生まれの彼は近年テキサスの砂漠を放浪し、有刺鉄線を狂気的な、時に危険な彫刻に変えることを楽しんでいる。
“私は才能無しで生まれました。” ポニーテールにフランネルシャツを着た67歳のウールはそう言うと優しく笑った。“なので、その前提で制作しています。”
私たちはブリュッセルの グザヴィエ・ハフケンス・ギャラリー にいる。ポストコンセプチュアル的、ポストモダン的、ポスト新表現主義的な抽象芸術家:クリストファー・ウールは、この空間をパンクな感性で満たしている。
ウールにとって初めてとなるヨーロッパでの大型展示は、そのほとんどが近年のテキサス州の砂漠で開花した創造性によって構成されている。
“私はパンデミックによって解放されました。1日12時間を作品制作に使えたんです。”
ねじれた有刺鉄線の断片、粗大ごみの写真、NYのスタジオで制作された、一見すると修正した文字に見える巨大な4つの絵画で構成されたこの展示は、質素かつ素晴らしい仕事になっている。
その絵画は、厚塗りされた油絵具の層が下地を覆い隠しているが、まるでウールが不安と疑念に苦しんで塗り潰してしまったかのように見える。
最も冒険的ではないのが絵画でした。だから画家になったのです。
今週の初め、パリのルーブル美術館の来訪者がモナリザにケーキを投げつけたが、ウール作品にそういった手助けは必要ない。彼は自分自身で作品を破壊し、抹消するまで上塗りするからだ。ウールは、妻であり画家のシャルリン・フォン・ハイルが面白おかしく言った言葉を引き合いに出す。
“あなたが良い1日だったと感じながらスタジオを後にしたなら、多分、本当はそうじゃない。”
ウールはこう説明する。“私はマスターピースを作ろうとしたことがありません。それが私にとってのポストモダンであり、アーティストは完璧な作品を作るものだ、というモダニスト的発想の終わりを意味します。私は沢山の失敗を犯しますが、それを残しておきます。失敗を利用し、また再利用するのです。”
ウールはヒップホップ・ミュージシャンのように古い素材をサンプリングするが、そこに一捻りを加える。そのソース・マテリアルである古い絵画や写真は、彼自身によって更に再制作され、汚され、脱構築され、あるいは単にいじくり回される。
“私はマスターピースを制作しませんが、別の方法で作品を強くします。ビートルズとセックスピストルズの違いのようなものですね、適切な比較じゃないかもしれませんが。”
グザヴィエ・ハフケンス・ギャラリーの台座には、彼がマーファに住んでいるときに見つけた有刺鉄線の断片が展示されている。テキサス州西部の砂漠に存在するそのアーティスト居住地は、ケヴィン・ベーコンとキャスリン・ハーン主演でTVドラマ化されたクリス・クラウスの作品:アイ・ラヴ・ディックで有名になった土地だ。
ウールはその有刺鉄線のいくつかをねじって新しいかたちへと変えている。またその1つを、親切な鋳造所の助けを借りて3mほどの巨大なブロンズ彫刻へと拡大し、天井から威圧的にぶら下げてみせている。
だがいくつかのワイヤーの断片は、シンプルにファウンド・オブジェクトとしてそのまま提示されている──まるで、牧場の使用人が荒野に放棄したものに、アーティストの手によって生み出されたものと同等の審美的重要性があるかのように。
このウール展のキュレーターであるAnne Pontégnieは、彼の作品には自虐的な感覚があると考えている──完璧な傑作を軽視し、不安感、自己消去、自己参照と共に制作していることを鑑みれば、彼女は正しい。
実際にウールの作品は決して完結していない。更に汚そうと思えばできてしまう余地を持ったオープンテキスト(解釈の余地が開かれている文章)なのだ。
一方で、ウールを裕福な有名人に変えた痛烈なテキストペインティングはこの展示に含まれていない。
彼と同世代のバーバラ・クルーガーやジェニー・ホルツァーは大量消費主義を風刺した。クルーガーは“我買う、故に我あり”(I shop therefore I am)と書き、ホルツァーは“私の欲しいモノから私を守って”(Protect me from what I want)と書いた。
だが、ウールの作品はさらに無愛想で難解だ。3段に渡って配置された文字は“TROJNHORS”(トロイの木馬Teの省略)と書いている。
もうひとつは、『地獄の黙示録』の中の一文“SELL THE HOUSE SELL THE CAR SELL THE KIDS”(家を売れ、車を売れ、子供を売れ)を引用し、5段に分割して言葉を崩している。
中でも最高の作品は、1行目に “FO” と、その下に“OL” の文字を書いた作品で、Untitled (Fool) (1990) と呼ばれている絵画だ。ある批評家いわく、この作品は“言葉を突き付けるのと同時に、意味を探ろうとする鑑賞者を風刺している。”
Fool(馬鹿者)の絵画は2014年にクリスティーズで個人が1400万ドルで落札した。その人は、作品を所有することによって毎日風刺されていることだろう。その1年後、同じ構成のUntitled (Riot) (1990) は2990万ドルもの価格に到達した。
ウールは以前、それらのオークションが冒涜的であるかの様に語っている。“車に乗っているけれど自分で運転していない、というよりも、後部座席で疲れ果てているのに、誰もどこへ行くのか教えてくれない、という感じです。”
私がその発言を引用すると彼はこう言った。“覚えてないですが、聞いた感じでは言ったんでしょうね。”
作品売買について語っているとき、ウールはポケットに入って来た数百万ドルのことよりも、RIOTが売れたことでグッゲンハイムの個展で展示できなくなった苛立ちについて語った。
“ウールはお金のためにやっているのではないんです。”と、彼と共に20年間働いてきたPontégnieは語る。“彼は絵画に恋しているんです。”
ウールは1960年代のシカゴで育った。“住む場所としては素晴らしかったですね。”と彼は語る。ウールの母は精神科医で、父は分子生物学者だった。“若い頃に、興味深いものが沢山観れました。”
11歳のウールはアートコレクティブのThe Hairy Whoの展示を観に行き、後に象徴的なアフロ・フューチャリストのジャズ楽団:Art Ensemble of Chicagoのフロントマンであるロスコー・ミッチェルを観た。この2つの出来事が、アートが持つ破壊的なパワーをウールに教えたのだ。
1972年、ウールはNYにいた。“私は若く、あらゆるものに反抗する準備ができていました。可能性は無限大に見えていましたね。誰もが創造的でした、たとえそれが、いわゆるスリーコードに収まるようなアイデアでも。そこにあるDIYの美学が、私に強く語りかけてきたんです。”
彼は最初から絵を描きたかった訳ではない。“映画製作者になりたかったんです。だけど、自分は協調性がない人間だと気づきました。”典型的な自虐に、ウールはこう付け加えた。“最も冒険的ではないのが絵画でした。だから画家になったんです。”
ある日、大家が花柄模様を付けるローラーでアパートの壁を塗っているのを見たときに、ひらめきが振ってきた。そのグリッチ(ズレ)と失敗にウールは深く共鳴したのだ。彼はローラーやシルクスクリーンが生み出すくっきりした痕跡と、その不完全性を好んでいた。
ウールは、コピー機でイメージをコピーしてはそれを更にコピーすることを何時間も繰り返し、より毒々しい色を重ね合わせていた。“複製のアクシデントに関心があるんです。”と彼は語る。
シンディー・シャーマンやリチャード・プリンスといった他のピクチャーズ・ジェネレーションの作家たちは広告を1次素材として盗用していたが、ウールは詩的なエラーと事故によって、絵画に新しい命を吹き込んだ。
彼は人工的な手法によって描画される抽象画へと傾倒し、美的な奥行き感を生み出すためにレイヤーを積み重ねていった。.
批評家のウォルター・ベンヤミンは機械的複製の時代を恐れた──写真、レコード、映画が芸術作品のアウラを破壊するだろう、と。
ウールはそれを反転させて、もうずっと前に死んで埋葬されたと思われていたアウラを作品に取り戻すために、機械的技術を使用している様に見える。
ウールは写真を頻繁に使用する。それは絵画の制作過程を記録するためであったり、引用するための素材を作るためであるが、死体を探し回る写真家:ウィージーの足跡を辿る様にして、NYの危険地帯を深夜徘徊しながらの撮影も楽しんでいる。
East Broadway Breakdownは1990年代に撮影された作品の写真集で、まるで死体の写っていないウィージー作品の様だ。
テキサスで彫刻を始めましたが、どうすれば良いのか知りません。
都会のゴミ。特に観るべきものがない。この非人間的で悲惨な光景は、バワリー通りを撮影したマーサ・ロスラーのコンセプチュアルな初期写真と呼応している。ウールの写真に酒飲み達は写っていないが、彼らが打ち捨てた空き瓶がセンターステージに立っているのだ。
ウールは手を上げ、指でカメラのフレームを真似た四角をつくった。“みんなはこっちを写真に撮りますが、”そう言うと彼は手を少しだけ下げた。“私はこっちを撮るんです。”彼の目は、見下されるようなものへと向けられるのだ。
このブリュッセルの展示では、ウールがテキサスの砂漠を撮影した写真と、彼が90年代にNYで撮影した写真が共鳴している。ウールはローアングルから撮影することで、砂漠の壮大さではなく負の側面を写し出している: 轍のついた無人の道路、投棄されたベッドフレーム、塔のように積み上げられたタイヤなど、乾燥地帯に広がる孤独と虚無である。
テキサスではインスピレーションに事欠かなかった。“その風景の開放感は、彫刻のためのものだと感じました。”
実際にマーファは彼の働き方を変えた。“私は彫刻を始めましたが、初心者なのでどうすればいいか分かりません。”ここでもまた彼は、才能の無さを乗り越えなければならない、と自虐を言う。そしてウールは笑ってこう付け加えた。“その前提で制作しています。”
At Xavier Hufkens St-Georges, Brussels, until 30 July
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