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大人になると、変わってしまうもの。

大人になると、変わってしまうことがたくさんあると思う。
無邪気になって心から思いっきり遊ぶこと。好奇心のままに、突き進むこと。
子どもの頃はできたのに、大人になってできなくなってしまうことは、たくさんある。


そんな中でも、とりわけ「男女の仲」というものが変わってしまうのが、当時のわたしにとってものすごく気持ちの悪いものだった。




時は中学生。好きな髪型や服装を身にまとうことは許されず、誰もが制服にぴしっと身を包み、同じような髪型で学校生活が始まった。

わたしは、男子と遊ぶのが好きだった。
あの子は性格悪いからこっちに来たほうがいいよ。あいつ調子に乗ってるから無視しよ。
そんな女子特有の諍いのない、平和な付き合いができたのが男子だった。


男子と遊ぶ時は、だいたいゲームをやっているところを眺めるか、その子が持ってる漫画を読ませてもらう。今までと何ら変わりのない、ただそれだけの関係だった。


でも、第二次性徴期に差し掛かった同級生たちの目は、気持ちの悪いものだった。

「お前たち付き合ってんのー?!」

茶化したてる男子たちと、それを横目にジロジロと舐め回すようにこちらを見ている女子たち。

あんたたちだって、ちょっと前まで逃走中ごっこして、みんなで遊んでたのに。
今更、中学生になったから、なんだ。


恋だとか愛だとか、そんなもので片付けられてしまうような、陳腐な関係性で決めつけないで欲しかった。


ただの友達なのに。


どす黒い何かが、もやもやと心の中で渦を巻くのを、ただただ行き場もなく持て余していた。




ある日家に帰ると、重苦しい空気をまとった母がわたしを呼びつけた。

また、ヘマしちゃったのかな。怒られるのかな。
飛び跳ねる鼓動を押さえつけながら、母の元に向かう。


心臓が口から飛び出しそうなぐらいの心地で母の部屋に向かうと、そこにはいつもの眉間に皺を寄せた顔ではなく、苦虫を噛み潰したような顔の母が立っていた。

少し言い渋るようなそぶりを見せて、母は続ける。


「あんたたち、別に付き合ってるんじゃないんだよね?ただ遊んでるだけなんだよね?」

 

自分の娘が他の親から、いかがわしい目で見られている。その不安を両目にじっとりと浮かばせて、母はわたしに訪ねた。


「付き合ってないよ。ただゲームしてるの見てるだけ」


するりと言葉が出る。当たり前だ、事実なのだから。

母はその言葉を聞くなり、たちまち安堵の顔を見せた。


「そういうことを考える親の方が、浅はかなのよね」


どこか諦め切ったような目でそう言う母が、この時ばかりは心強かった。そして、同級生たちに感じたような心のモヤが、大きな口を開けてわたしを飲み込んでいった。


ほんとうに、おとなはきたなくて、だいきらいだ。




今、彼がどこで何をしているのか、さっぱりわからない。
あの時以来、なぜだか居心地が悪くなってしまって、疑われないように女子とつるむようになったからだ。(そのあと結局いじめにあい、他の男子とつるむようになるのだけれど)


男女が一緒に遊ぶということが、性的な目で見られてしまうこと。

今回は本当になにもない、ただの友達でゲームや漫画を嗜む仲だったからよかったものの、確かに中学生で妊娠してしまうケースもあるので、何が正解なのかはわからない。


ただ言えるのは、正しく性教育をすることが大切なんじゃないのかな、と思った。
今でこそ、保護者が主体となって性教育をおこなう家庭もあるが、日本ではまだどこか、性教育がタブー視されているように感じている。

それだから、誤った認知や歪んだ性知識が生まれてしまうのではないか、と。


この話の終着点は結局ないのだけれど、最近子宮頸がんワクチンのフォローアップチケットを頂いたので、思い出話を書いてみた。

もうどっちみちわたしは経験済みだし、副反応が怖いから打たないつもりけど、妹が迷っているみたい。


まだそういう行為をしていないなら、打ったほうがいいと思うけれど、あれだけ騒がれたワクチンがなぜ今になってOK出た?というところがあんまり納得いかない。

みなさんのお嬢さまはどうされたか、お聞きできれば幸いです。





※アイキャッチは素敵なお写真をお借りしています。ありがとうございます。