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日記 私の暮らす国

2019/06/15

 今週はあまり調子が良くなかった。研究ノートや思考記録の下書きがあるものの、読みやすくまとめられないしそもそも調子がすこぶる悪い。

昨日は一日中パソコンを触っていた。久々にメディバンで絵を描いてみたり、YouTubeで料理動画を見たり、Stadio One 4 Primeをインストールして遊んだりした。(ヘッダーを見たら分かるが、肝心の録音が全然出来ん)

 私が自堕落に陥っている最中、香港ではデモが起こっている。
デモは「逃亡犯条例」の改正案反対がことの発端らしい。しかし、香港では今自由と民主主義が危うくなってきているという内容を複数のネット記事で見た。
中国政府が検閲の圧力をかけ、言論活動等の表現の自由が脅かされつつある状況。ツイッターのツイートで見たのは香港での使われている言語が変わっているとか。真偽が定かではない恐ろしい内容のツイートを多く見た。

 自分の暮らす国とすぐ近くの国、自分と変わらない年齢の人間がデモに参加して警察と武力衝突している。これらの写真や映像を見ていると妙な気持ちになった。平和ボケした時代に平和な国で生まれ育ったのだから仕方のないことなのかもしれない。だけど、「悲しいニュース」だと、自分と距離を置いて見るほどのんきに見過ごせるニュースでも無い気がするのだ。

 国内の民法で流れるテレビニュースではほとんど政治、事件、エンタメ、スポーツに関するニュースしか出回っていない。それも、ため息の出るような暗いニュースや芸能人の結婚不倫麻薬逮捕みたいなニュースを繰り返し報道する。とても退屈でつまらない。
 しかし、旅行の際に見たフランスのテレビニュースでは、教育現場に密着したニュース、アート作品や美術館の特集、ワイン農家の取材、レストランのニュースなど様々な文化的なニュースが流れていた。

 元々フランスには歴史のある文化的な国のイメージがあったけれど、テレビニュースでさえもこんなに豊かなのかと関心した。
それに対して私の暮らす国にはもはや、心豊かな人間の教育や文化的な教養や成長を促す力が無い国になりつつあるのでは無いかと思った。
 歴史的に様々な優れた文化を所持しているのに、それを今後の文化に繋げていくための支えがない。私が言える立場では無いが、具体的に言えばこの国の人間の多くがそもそも自国に対して無関心だったり、無知である。このまま進めば、少しずつこの国は貧相になっていくと思う。

 角川文庫の巻末、角川源義による「角川文庫発刊に際して」刊行の辞の全文を引用してみる。

 第二次世界大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、私たちの若い文化力の敗退であった。私たちの文化が戦争に対して如何に無力であり、単なるあだ花にすぎなかったかを、私たちは身を以て体験し痛感した。西洋近代文化の摂取にとって、明治以降八十年の歳月は決して短かすぎたとは言えない。にもかかわらず、近代文化の伝統を確立し、自由な批判と柔軟な良識に富む文化層として自らを形成することに私たちは失敗して来た。そしてこれは、各層への文化の普及滲透を任務とする出版人の責任でもあった。
 一九四五年以来、私たちは再び振出しに戻り、第一歩から踏み出すことを余儀なくされた。これは大きな不幸ではあるが、反面、これまでの混沌・未熟・歪曲の中にあった我が国の文化に秩序と確たる基礎を齎すためには絶好の機会でもある。角川書店は、このような祖国の文化的危機にあたり、微力をも顧みず再建の礎石たるべき抱負と決意とをもって出発したが、ここに創立以来の念願を果すべく角川文庫を発刊する。これまで刊行されたあらゆる全集叢書文庫類の長所と短所とを検討し、古今東西の不朽の典籍を、良心的編集のもとに、廉価に、そして書架にふさわしい美本として、多くのひとびとに提供しようとする。しかし私たちは徒らに百科全書的な知識のジレッタントを作ることを目的とせず、あくまで祖国の文化に秩序と再建への道を示し、この文庫を角川書店の栄ある事業として、今後永久に継続発展せしめ、学芸と教養との殿堂として大成せんことを期したい。多くの読書子の愛情ある忠言と支持とによって、この希望と抱負とを完遂せしめられんことを願う。

 一九四九年五月三日

 ざっくり要約したら、文化的な衰退は国にとって良いことでは無いから今の文化を育てよう、と記されている。これは決して私個人に無関係な内容では無い。個人が暮らしにくいと感じる国へと変化していく要因の一つでもあるだろう。
そんな大げさなと思う人もいるだろうけど、大げさだと感じる人間が多ければ多いほどますますこの文章の批判した内容に近づいているような気がする。
実際この先私の暮らす国がどうなるのかわからない。だけど今はただ、なんとなく嫌な雰囲気を感じる。就活とか自分の将来になんかについても。

 こうやって自分が思案して憂いているだけではきっと何もかわらないのだろう、というショックとか何かに対して諦めざるを得ないような気持ちがある。現在に香港に起こっているような危機が今後迫ったとしたら、私の暮らす国はどうなっちゃうんだろうとか。

 こういう大きなスケールのことを考えて、自分は具体的に何ができるのかを考えると結局何もできない無力さを感じる。
実際私が何もすることは無いけれど、まずは自分が自分らしく生きていけるよう努力することが何かに繋がる行動の第一歩になる。そう思って頑張って生きるしかないのだ、多分。

今日からまたコーディングとプログラミングする!