三月の食卓

コロナ禍がはじまってから、もうどのくらいなのかわからない。
自分のTLを確認してみると1月の後半には仕事に影響が出ていたし、2月にはすでに5月の舞台や催しがダメになり始めているとボヤいていた。
それでも打ち合わせがあれば都内には出たし、マスクはつけていたけれどもアルコールだって持ち歩くことは無かった。
じゃあ自分のコロナ禍が具体的に始まったのはいつなのか。
はっきり覚えている。それは蟹が届いた時だ。

その蟹は北海道から来た。
北海道のちょっといいお宿で提供されるはずだった5Lサイズのズワイ蟹が5肩。近所の仲の良い家々と共同購入だった。
送料込みで10,800円着払いという明らかな捨て値でやってきたその蟹は、宿泊した旅館でプラス6,000円払って出てくる焼きガニと同じくらいのものだった。
そのころコロナは北海道で猛威を奮っており、北海道のいろんな食べ物が普段では考えられないような価格で叩き売られていた。

二度目にコロナ禍を感じたのはカッテージチーズだった。
全国の学校が休校になり始めて、給食の牛乳が余っており、酪農家を救うために蘇を作ろう!というムーブメントの真っただ中。
光熱費をケチった我が家はカッテージチーズを作り、ホエーでスープを、チーズでフワフワパンケーキを作った。
どちらもおいしいけれども、普段はコスパの悪さからあまりつくらないものだった。
しかし、休校でヒマを持て余している子どもへのデモンストレーションにも最適なチーズづくりはその後も三回ほど続いた。

その次はステーキだった。
週に一度、立ち寄るスーパーでコロナが出た。スーパーはしばらく休んだのち、再開してからは生鮮食品のセールが始まった。(それは今も続いている)
シャウエッセンが250円で売られていたし、生本マグロのサクだって格安で叩き売られていた。
そしてわたしは黒毛和牛サーロインステーキを半額で購入した。
翌日、夕食に焼いて出すために低温調理器にかけられた肉を眺めながら、これは多分めちゃくちゃまずいことになっているぞと思った。近づいてきているなと思った。肉はめちゃくちゃうまかった。低温調理器はいいぞ。

そのころになると、わたしの仕事(エンタメ2本・その他1本、計3本を基本の仕事にしているフリーランスです)のうち、エンタメの一本が折れてしまった。いまだ回復の兆しはない。
仕事先はどこも打ち合わせをキャンセル、もしくはビデオ会議に切り替え、都内に出ることも無くなっていった。
最後に都内に出たのは、最初の週末自粛の前日金曜日。
打ち合わせ二件のうち一件は、先方の社内にコロナが出たため中止になった。しばらく髪を切るとかも難しくなるだろうなと思い、表参道のshotac先生のところでプリンを黒くし、髪を切った。
その後、空いた時間で表参道で蕎麦を食べた。アナゴの天ぷらと天せいろ。それが最後の外食だった。

その後、家族全員ほとんどを自宅で過ごしている。
ファミリー向けマンションとはいえ、24時間遊びたい盛りの五歳と七歳がおり、三度の食事におやつも食べる。
空気は日に日に重くなる。最初は勉強をしてゲームをしてと、メリハリのあった時間もとけてゆき、今ではゲームもしたがらない。
人が少ない時間に公園へ行っても、友だちと遊ぶことを覚えた子ども達にとって、楽しいのは最初の10分で終わる。
お互いの家に遊びに行くのも、ママ友のLINEグループでも全員なんとなくそういう空気を避けるようになっている。

学校に行きたい、学童へ行きたい。お外に行きたい。そういう子ども達をなだめるように、毎日ポップコーンを膨らませ、苺とスプレーホイップでパフェを作る、買い出しのついでにミスタードーナッツを買って帰り、ホットプレートで分厚いパンケーキを焼く。少しでも楽しい時間をすごしてもらえるように。本来ならそれは休日のおやつだ。

変化はそれだけではない。
閉まるのが早くなったスーパーマーケットや市場は、早い時間帯からセールを行うようになった。週末なら買おうかなと思う食材が平日の夕方からすでに札が貼られるようになった。そしてわたしは反射でそれを買う。そして食卓にのぼる週末のような食事。コロナが始まってから食卓にだけ現れる祝祭。
観劇や外食、春物の買い物など、日々の合間にあったはずの祝祭が形を変えて、家族の食卓に上がる。払い戻されたチケット代、キャンセルになった飲み会費用、買おうか悩んでいた春物のワンピース。ケーキを食べながら眺めるはずだった桜に、白木蓮。苺のアフタヌーンティー。それらはすべて形を変えて食卓に並ぶ。

食卓だけじゃない。ココアの上にのせられるマシュマロ、冷凍庫に隠していたピスタチオのアイス、缶の中で薄紙にくるまれたチョコレート。箱に入った梅が枝餅。普段のおやつとして食べるには少しカロリーが高く、少しずつ消費されるはずのそれらが当たり前の顔をして仕事机の上に鎮座する。
いいことがあった日、悪いことがあった日、祝いたい日、慰められたい日。そんな時に口にするものを常に食べている。嬉しいことも悲しいこともないのに、ただうっすら耐えられない日々。

もうどうしようもない。

そんな中、いまわたしが一番欲しいのは生ハムの原木だ。暴力的なフォルムのなまめかしい豚の足。実はこの冬、ひょんなことから一本の原木と同居していた。一冬もつだろうと思われた3キロの原木は恐ろしいことに一か月で姿を消した。前を通るたびにひと削ぎすると、生ハムは一か月で消える。その代償にわたしの足はパンパンにむくんでいた。
しかし、生ハムと暮らしている日々の安心感はすさまじかった。仕事で理不尽なことがあっても、帰宅すると生ハムがある。電話口で面倒なオーダーを出されても、目をやるとヒヅメが見える。子どもが夜中まで寝付かないのに翌朝一番の納品があっても肉削ぎナイフを握れば無敵だった。この安心感。何しろ、食べても食べても無くならないのだ。(無くなりました)(一か月で)

何故原木は消えたのか。それはおそらく3キロしかなかったからだ。つまり5.5キロならば問題がない。祝祭は常に玄関に鎮座し続ける。(生ハム原木は風通しのいい場所に設置しましょう)(我が家は玄関が一番風通しが良かったので)5.5キロが骨だけになったころ、きっとコロナも去っている気がする。そうしてきっと日常が戻ってきたころ、この春の食費に震えあがり、通常の質素な食事に戻るのだろう。だからこそ、四月の食卓には生ハムが必要なのだ。

だからアジコおじさん、生ハムの許可をください。




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2020年の冬の生ハムを買います。