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なぜ人はオチでコケるのか。〜ズッコケが奏でる新世界〜

「今日はこのくらいにしといたる。」

めだか師匠が言ったのに、ズッコケてから笑うのはなぜ?

4コマ漫画でもオチでコケる。なぜか4コマ漫画の結になる。読んで字のごとく、起承転結の転じゃないの?

なぜ人は「オチ」で転ぶのか。

私には長年の疑問だった。 フィギュアスケート大会なら、転倒した選手には激励の拍手が起こる。ところが、「オチ」で転んだとなると人は笑う。こらえていたけど吹き出したとかそんなレベルじゃなく、堂々と爆笑を相手に手向ける。それがマナーと言わんばかりに。 もっと不思議なことに、転んだ当の本人は羞恥心などこれっぽっちもない。むしろ、どうぞ!笑ってください!と大胆に、かつ自発的にコケる。 

 そもそも笑いはなぜ起きるのか私は考えた。どうやら「想定していたことと現実に起きたことのギャップで笑いが生まれる」ようだ。この「ギャップ」がボケやオチだ。これに人は驚いたり、拍子抜けしたりする。そして、笑いが生まれる。 

ここで、コケによる笑いの構造を確認しておく。

 まず登場人物は3タイプ必要である。

・ボケる人物(A)
・それを見聞きする他の人物(B)
・そのやりとりを見届けるオーディエンス(C)

たいてい、「Aがボケる→Bがコケる→Cが笑う」という順序で展開する。 

ここでのAは基本コケない。Aはその場に突っ立ったままだ。

あくまでBのみがコケる。 このBがコケる行為は、ボケには当たらず(つまり予想外の展開ではなく)どちらかというと、予定調和的に行われる。 なぜなら、CはBがコケるとうっすら気づいている。

となると、だ。Cたちが笑いを感じた対象は、明らかにAのボケである。

怖いくらいにBがコケる必要がどこにも見当たらない。 それでもBはコケる。体力を消費しようがコケる。そして、なぜかそれをAもCも待っている。まるでセーラームーンの変身を待つ悪役のごとく。

なにがBにそうさせるのか。CはなぜAのボケの直後に笑わない。

 謎は深まる。

私は、図書館に通い漫画の歴史を調べた。そして、吉本新喜劇の動画や芸人さんたちのインタビューを漁った。

 すると、コケには3パターンありそうだということ、そしてそれぞれコケる目的が違うことに気がついた。それぞれ詳しく説明する。

1.  4コマ漫画型〜驚きの誇張〜 

2.  吉本新喜劇型〜拍子抜けの誇張〜 

3.  ずっこけ型〜コケの簡略化〜 

 1. 4コマ漫画型〜驚きの誇張〜 

 ギャグ漫画などにおいて、最後のコマのオチに対し、他の登場人物がコケる。「ドテッ」「ドサーッ」「ズコー」といった効果音もついていることもある。コケる様子は天に向けて上がった足のみで描かれることが多い。 

 このコケの場合、「なぜコケるのか」に対する答えは、「驚きを誇張表現しているから」だ。

 前述の登場人物Aの奇想天外な言動にBは驚き、圧倒され、後ろに倒れこむ。

その倒れ方は、爆発的風圧があるかのようだ。それくらい予想外の展開でしたということだろう。

 よく漫画のオチで、帽子が宙に浮いたり、体をくの字にして驚いてる姿が描かれている。これも驚きの誇張表現として、帽子が吹き飛んだり、地面から浮いたりするのだろう。 

これをさらに誇張表現し続け、その最終形態がこの足を上げるようなコケ方なのではないか。という推測だ。 

 1925(大正14)年の麻生豊「ノンキナトウサン」巻の四ではすでに、4コマ目で驚きにより帽子や体が宙に浮く表現がある。 

 麻生豊の「ノンキナトウサン」の表現は、1923年 朝日新聞社「アサヒグラフ」で連載されたアメリカ作家、ジョージ・マクナマス「新爺教育」からかなり影響を受けているという。

 オチに対する「驚き」、そしてアメリカ漫画の「リアクションの激しさ」の化学反応。それがこのコケのルーツではないかと推測する。 

 2. 吉本新喜劇型〜拍子抜けの誇張〜 

 このパターンでは、前方や横方向に「おっとっと」とコケることが多い。 「肩透かし」「拍子抜け」の表現である。 

 Aのボケに対する「肩透かし」や「なんでやねん」を誇張表現するためにBはコケている。

 そのコケ方は、ほぼ「のれんに腕押し」状態であり、そのままどこにも寄りかからずに転んでいく。 

 ただ厳密にいえば、吉本新喜劇のコケの起源は、元々はチャーリー浜さんらによる偶然の産物だったようだ。たまたま観客にウケたことをきっかけに、吉本文芸部の竹本浩三氏が「乗る・コケる・どつく・スピード」のオリジナル喜劇を作、演出し、確立したらしい。

それが熟成して、「コケ」は伝統芸の域に入った。さらには「笑うタイミング」を知らせる役割も担うようになった。いわばオチにはなくてはならない存在だ。 

 実は、吉本新喜劇以外にもこのパターンのコケがある。

ご存知、「桂三枝の新婚さんいらっしゃい」のイスから転げ落ちるアレだ。 

 桂三枝さんは、「サワコの朝」(TBS)に出演した際に「素人には、ツッコめないからコケる」とおっしゃった。

 すなわち、コケる動作は「笑う合図」であり、「静かなるツッコミ」という役割もありそうだ。 

やはり、コケる行為自体がおかしいのではない。我々にはもう「コケたらそれは笑う合図」という公式が体に染みついているのだ。もはや習慣だ。 コントや演劇でコケたら、笑ってしまうのだ。これはパブロフの犬に近しい。

 3. ずっこけ型〜コケの簡略化〜 

これは、2.吉本新喜劇型の派生型である。似ているが極めてあっさりしたコケ方だ。 後方に体を反り、胸の前で手をパアッと写楽のごとく広げ、ついでに片足を前に出すコケ方。 例えば、植木等の「こりゃまた失礼しました!」に対するずっこけもこのタイプが多いのではないだろうか。 

 このコケが必要なのは、2. 吉本新喜劇型と同様、「笑う合図」「静かなるツッコミ」のためである。 

あえて2.吉本新喜劇型と区別するのは、このコケ方の特徴だ。もう一つ役割がある。 

 このずっこけ、なんといっても立ち直りが早い。次の展開へと向かうため、すぐさま体勢を整える。コントや演劇などに多く、その後予定された展開がある、さらに畳みかけるようなボケ(オチ)が待っているが、一旦ここで小ボケを入れる場合、このずっこけを使うと考えられる。つまり、「笑う合図」と「すぐ次に行きますよの合図」なのだ。

だから、観客Cたちは大爆笑はしないようにする。軽めの笑いでメインディッシュを待つのだ。 

 余談だが、4コマ漫画のオチではこのずっこけはあまり見ない。後ろに待つ展開もないからだ。フィナーレにしてはあまりにもショボい。やはり足をあげるしかない。 

それに加えて、漫画の人物は物理的に不可能な動きも対応できる。たとえ、盛大にコケても次のコマで体勢を整えることができる。だから、このずっこけをする必要がない。 

 以上が、コケの3つの型である。

 ちょっとここで、「こける」「ずっこける」それぞれの意味について辞書で調べてみる。

 こける【転ける・倒ける】 ① 安定を失って倒れたり転がったりする。ころぶ。 ② あまり良からぬことをする。 ③ 女が男に体を許す。 ④ 芝居が当たらず客が不入りになる。 
 ずっこける ① ずりおちる。 ② 普通の状態からはずれる。脱落する。 ③ はめをはずす。ふざける。 
 ※いずれも大辞林 第三版より。 

 ない。 どこにもない。笑う合図とは書いていない。 

ずっこけるの③ふざける。とあるが、前述の通り、ふざけているのはAであり、ずっこけたBではない。 

 コケたら、皆揃って笑う。コケることは、静かなるツッコミであり、声をあげて笑ってもいいとみんなが知っている。ここまで浸透している。 

 これは、もはや文化である。 そろそろ辞書に載ってもいいだろう。 

 我々は、新たな知見を得た。 コケによって我々は笑う自由をもたらされている。しかも、コケによって笑いの強弱もコントロールされる。コケが我々の笑いを指揮している。 

 オチのコケは、小澤征爾だ。

そして、日本の笑いは、我々が笑うことで完成する。いわば、ドヴォルザークの「新世界」におけるシンバルだ。我々観客もオーケストラの一員で、指揮者の合図で最後に笑う。その一発が決まってこそ、この曲は完成なのだ。

さあ 今日からは、決してコケは見逃すまい。そして、共に奏でよう。笑いのユニゾンを。

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