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本当の気持ちに気付くまでの100本ノック

デザイン事務所勤務を経て、今の職場でインハウスのグラフィックデザイナーとして働き始めて10年ほどが過ぎた。

ここまでの道のりをお話しすると、子どもの頃から図工の授業が好きで、小学校の卒業文集に書いた将来の夢はデザイナーで、そのままデザインの学校に通い、志望した企業に無事内定をいただいた。

というものでは全くなく、むしろ紆余曲折、もはや紆余紆余紆余曲折くらいの道のりだったと思う。

子どもの頃に図工が好きだったこと、文集に書いた夢がデザイナーだったことは嘘ではない。

けれど成長するにつれてそんな想いは現実の影に隠れてしまい、気付けば親に薦められて受験した高校を卒業し、四年生大学に進学し、そのまま安定した企業に就職することが私に課された最重要ミッションになっていた。

当時もデザイナーの夢を忘れていた訳ではなかった。就活中も漠然と「デザインやものづくりに関する仕事がしたい」という気持ちを元に志望企業を選んでいた。

けれど芸大やデザイン学部に通っていたわけではないので専門職を目指すことは難しいし、応募資格も満たしていない。となると、まずは営業職で入社し実績を積んで、いずれ社内のデザイン部や企画部といった部署を目指すという方法が最善に思えた。そこで当時の私はひたすらに営業職の求人にエントリーすることにした。

しかし私が就職活動を始めた大学生のころは、リーマンショック後の「新就職氷河期」と呼ばれる時代だった。しかも営業職には全く向いていない自覚もあった。

毎日エントリーシートを提出しては落ち、なんならエントリーした時点で落ち、たまに面接に行っては落ち、もっとたまに最終面接に行っては落ち…
そんな日々が2年近く続き、気付けば落ちた企業は100社を超えていた。

今思えば本当によくやったなと思うが、当時の私は就職=自分の価値だと真剣に思っていた。つまり内定をもらうまでは胸を張って生きる価値がないし、もしこのまま就職出来なければ自分の人生は終わりだとさえ思っていた。(こんな闇に落ちる学生さんが少しでも減っていることを切に願います…)

そんな暗闇の中を歩くような毎日を過ごしていたある日、ついに1社の企業から内定をいただいた。

その瞬間は嬉しくて涙が出たことを今でも覚えている。結果を伝えた母も一緒に泣いていた。

しかしその達成感はその時だけのもので、徐々に心の中に別の恐怖がじわじわと広がっていった。

「これでデザイナーになる夢は消えた」

そう思ったからだった。泣いて喜んだ内定先も、今は社名すら思い出せないほど正直何の思い入れもなかった。

そこでようやく、影に隠れていた、というか自分でむりやり押し込んでいた夢に対する本気さに気付いたのだった。

そうして初めて「内定を辞退して、デザインの専門学校に行きたい」と泣きながら親に打ち明けた。初めて親の顔色を窺わず自分の人生を選択した瞬間だった。

そこから急いで内定辞退の連絡を入れ(担当の方が慣れた様子で分かりました、とだけおっしゃったことがせめてもの救いだった)、専門学校に願書を出し、奨学金を借り、晴れてデザインの勉強を始め、そしていろいろあって今に至る。

正直グラフィックデザイナーになってからも修行のような日々で、激務な上に収入も満足なものではないけれど、自分の選択を後悔したことは不思議となかった。

今振り返れば地獄のような就活の日々は、自分の本当の気持ちに気付くための100本ノックだったのだと思う。自分の人生は好きに選んで良いし、私の気持ちは本気なのだ、という自信にもなった。

「制服がかわいい高校に行きたかった」と少し荒んでいた高校時代も、「門限を気にせず羽目を外して遊びたかった」と往復4時間掛けて通った大学時代も、今思えば親を説得するほどの強い気持ちもなく、うまくいかない人生の言い訳にしていただけなのだと気付いた。

そうして今も仕事に悩み幸せな働き方を模索しているけれど、今後訪れるどんな選択もきっと大丈夫だし失敗してもまた選びなおせば良いだけ。そんな風に思えている。

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