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☆40歳の地図☆

『お年玉』                             

断つ!捨てる!離れる!と書く断捨離。       

 なかなか強烈な言葉が並ぶ。      

 もちろん俺も整理整頓が苦手で、捨てられずにいろんな
物がたまっていくタイプだ。

でも 反面、やり始めると止まらなくなり
クローゼットや引き出しがスッキリしていく事に
快感を覚える。
(またすぐに物は増える)

 捨てるものを決めていく度に 

 あっ!このカバンはあの時、あのお店で買ったヤツだ! 

 様々に感情や当時の感覚、もうちょい言うと音楽や香りみたいなものまで
うっすらと彩り始めてしまう。(俺だけなのかな?)

 断捨離とは   想い出の一人旅

JR東海のキャッチフレーズのようだ(笑) 

 大きなごみ袋に入れる時に、その時の心や想いも捨てるようで
苦しかったり、寂しかったりなんていうノスタルジーにも浸り始める。

 だからと言って

もう使うことはないし、着ることもないんだ 

 そんなモノたちにも愛しき感情を

断つ!捨てる!!
そして離れる!

 なかなか大変なんだよね。

 ヒトが怒る時、

ある一線を乗り越えるエネルギーというか覚悟がいる。

 だけどひとたび怒り出すとあの一線はどこへやらで平気で怒り続けられたりする。
(自戒の念しか込めてませんが(笑)

 この愛しきモノたちと離れる行為も 

その一線を越えられたときにズバッ!といく事は非常に重要になっていくのを感じるのだ。 

 その中であるものに出会う。

 なんだこれ???

 お年玉袋だ。 

 中にはお金が入っている。 

 なんか様々封筒が出てきてそこにもお金が入っていた。 

 祖母や母さんにお年玉や誕生日にもらったお金だった。 

 それは子供の時ではない。 

 ほんとに良い歳をぶっこいてる時期に戴いたものである。 

 なんか欲しいものない?

ないよ。(あっても自分で買うよ)

 じゃあ好きなもの買いなさい☆ 

 みたいに戴いたものである。

 ・・・ 

 おれさぁ!お年玉10万もらったぜ! 

 子供の時のこと。

 お母さん! 〇〇くんはお年玉10万円ももらったんだって!

 いいな・・
俺なんか図書券じゃん!!! 

(母さんはお金を持ってゲームや駄菓子、ガチャガチャに使う事を嫌がっていたため
図書券に換金されたりしていた。笑) 

 来年は何万もらいたいなぁ

と子供心で何気なく言うことに対して

母さんは怪訝そうな表情をいつも見せていた。

 そういえば子供キャンプでバザーオークションみたいなのがあった時にも
いわゆるセリのようなシーンで俺と弟が興奮してた時、

 母さんはその場から俺たちを引き離し、ひどく怒ったのを覚えている。 

 中学生ぐらいになると思春期も入り混じる。 

 祖母の家に新年のご挨拶に伺い、 お年玉を戴いた。

本当にダメなんだけど 

俺にはすでに買いたいものがあり、

お年玉を予測していくらもらえたか?
それに届くのか?どうか?ということしか考えていなかった。

 流石にこの時はもう図書券ではない。 

 甘ったれなことを自覚して書くと

 図書券に変えられていた不自由さや 

他の家庭にはあるが俺にはダメというもの(ゲーム、炭酸飲料、カップ麺) 

全てへの反動も大きかったと思う。

あの時はね・・・。 


都合が悪いな・・

 時を戻そう
(Byぺこぱ) 


 お年玉なんていらないから(笑) 

俺、いくつだと思ってんだよ!
もう30歳超えてんだよ?(笑) 

 お金はあっても困らないから。 

 いやいや困んないくらいはもう自分で仕事してますから!

 15年余りで随分と景色が変わる。 

 昔にあんなに何か買うためにあてにしていたお年玉やお誕生日。 

打算的な収入でどこか当たり前でいたことさえも恥ずかしくなる。 

 いまならよくわかる 

 お年玉=何かを買うためにあてにするもの。

 お誕生日プレゼント=ほしいものをねだる機会。 

 こうやってとらえてほしくないよね。 我が子供に。 

 おばあちゃんはあげたいのよ。

 いくつになっても孫なんだから。

 そういわれて戴いた そのお年玉袋だった。 

 母さんからの封筒にも 

35歳のお誕生日おめでとう! 

美味しいものや好きなものを買ってね。

 みたいに書かれている。 

 もうすぐ50歳がみえる俺(笑) 

 今思えば お年玉 という制度に異議すら唱えたくなるよ(笑) 

やめたほうがいい。
子供に悪影響(自分が大人になっただけだが(笑)) 

その中で、子供にどう育ってほしいか?という想いが図書券になったことも 現在はすべて納得がいくのだ。 

 母さんもおばあちゃんも買いたいものやほしいものを与えられたらどんなに気楽だったろうか。 

母さんやおばあちゃんにもそれぞれ葛藤があったはずだ。 

30歳を越えてお年玉や誕生日お祝いとして戴いたものは 

何に使ってもダメな気がしていてたんだ。

銀行のATMに預けたら、もうそれはおばあちゃんから渡されたお金じゃなくなってしまうよ。 

 食べ物なんて食べたら終わっちゃう。 

 バイクや車の代金の一部にしてもし俺がそれでケガしたらおばあちゃんはなんて思うかな・・とか 

 服だって時計だって劣化するし例えば服が流行らなくなって着なくなったらその想いだって
廃れるようでさ・・・ 

 使えるわけねーじゃん!!! 

 ってお金が引き出し整理してたら
たくさん出てきてしまったのだ。 

 それはちびっこの時、無邪気に羨ましいとおもった金額を越えてしまっていたよ。

俺はちびっこの時、どんな顔してお年玉もらっていただろうか? 

きっと不服そうに図書券かよ!!!とか言っていたのだと思う。 

 中学生になれば思春期的に 

あっ。ども。ありがとございます。 

なんかぶすっとして
もらっていたのだと思うな。 

(父さんはこういう正当な時にこそ俺を怒ってくれと心から思うよ。) 

おばあちゃんも母さんもどこか俺を喜ばせたかったな・・・という想いがあったと思う。 

 だから

30歳になっても・・・ 

いくつになってもさ・・・

でもそこでも喜べなかったね。
違う意味でね。 

 断つ!捨てる!離れる!

このお年玉たちとしなくてよかった。 

おばあちゃんはもういない。 

母さんはまだ元気でいる。 

図書券から始まり30歳を越えたお年玉・・

そんなすべてがあって現在とても喜べています☆

使い方は永遠のテーマでまた引き出しにしまいました☆

そうやって想われて俺が創られてきたことを嬉しく思います。

 このnoteが誰かのココロの葛藤を断捨離できたら嬉しいのです☆

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