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『推し、燃ゆ』で最も狂気的な一節

推しは、いつか引退したり、卒業したり、あるいはつかまったりして急にいなくなる。バンドメンバーなんかになると突然亡くなったり失踪することもあるらしい。
(宇佐美りん『推し、燃ゆ』p.35)

正気か。


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小説『推し、燃ゆ』を読んだ。読んだので感想を書く。
(少しだけ内容にも触れますが、なるべくネタバレしないように気をつけます。)


推しのアイドルがいる主人公。
CD、DVD、テレビ、ラジオ、写真集。推しが露出するメディアというメディアをひとつも逃さずチェックする。発言は全てルーズリーフに記録する。

溜まった言葉や行動は、すべて推しという人を解釈するためにあった。(p.17)
あたしのスタンスは作品も人もまるごと解釈し続けることだった。推しの見る世界を見たかった。(p.18)

共感できない。

文章のふちに沿って、車輪がよどみなく回るように視線をすべらせる。主人公との接点も交点も生まれる気配がない。

私にだって好きなミュージシャンがいたり、芸人がいたり、YouTuberがいたりする。だが、彼ら彼女らを全て解釈できるなんて到底思えない。そこまでディープに追いかけてはいないし、世界観の獲得など望んでいない。
私は私の世界から、好きな人を見る。

現実には、主人公のようなスタンスで推しを推す人がいるであろうことも想像できる。
しかし、それこそ私とは世界が違う人だと思う。
異世界の住人が推しを推している。その有り様を読んでいる。

共感が一切供給されない文章を消化し続けて数十分たったとき、件の一節にぶち当たった。
視線にブレーキがかかった。


推しは、いつか引退したり、卒業したり、あるいはつかまったりして急にいなくなる。バンドメンバーなんかになると突然亡くなったり失踪することもあるらしい。

まるで「バンドメンバーでもない限り突然死しない」とでも言いたげな語り口。

確かに、バンドメンバーが若くして亡くなるニュースは何回も見たことがある。思い出せば数人の名が浮かぶ。
だが、「バンドをやる人間は早死にする」なんて因果関係があるはずもないし、そもそも死は誰に、いつ、どうやって訪れるか予測できない。私にも、誰にでも。

しかし主人公は、「突然死」を「バンドメンバー」特有の現象かのように語る。
主人公の推しはバンドメンバーではない。それが余計に他人事だと思わせるのかもしれないが、「漫才コンビの片方は影が薄くなりがち」とか「二世芸能人は親と比較されがち」などと同列の「あるあるネタ」として扱えるのか。
活字の陰に、冷たく研がれた刃が見えた。


そこまで断言するなら調べてみよう。
経験的に「バンドメンバーの早逝」はよく聞くように思うが、実際にそうなんだろうか。

大手芸能メディアの『ORICON NEWS』で、"訃報"と検索してみた。

著名人の訃報が数多くヒットする。全て確認し、職業別に亡くなった年齢の平均を集計した。

訃報の記事に、没年齢も含めて掲載されていた著名人は746人。全体で計算すると、没年齢の平均は68歳であった。
しかし「バンドメンバー(66人)」に限ると、平均は55歳。
「俳優・女優(168人)」は平均74歳、「声優(64人)」は平均73歳、「落語家(30人)」は平均71歳で亡くなっている。「バンドメンバー」の没年齢は目立って若く、全体の平均を下げる方の天秤に載っている。

なんとなく思っていたことは事実だったのか。
ニュースを何も考えずに眺めていれば「バンドメンバーは若くして亡くなる人が多い」印象を抱くのは、確かに自然なことではある。

だが、普通は言わない。

SNSで訃報が目に入ったとして、「また早死にしてるよバンドマン」などとコメントできる人がいたら、よほど言葉と心を軽視している人である。
ちらりと頭をよぎったとしても、不幸な知らせに悲しむ人のことを想像できるなら、とても書き込めるものではない。

思ったことはあるけど口に出すのははばかられる、良識と世間体で封印していた本音。

バンドメンバーなんかになると突然亡くなったり失踪することもあるらしい。

それを、主人公あかりの単刀直入な一言であらわにされたのだ。


そして、さらに考えるべき要素がもうひとつ。
小説全体から見ると、この部分はさほど重要とは言えないのである。

前後を読めばわかるが、「バンドメンバーなんかになると…」の一文は、削ったとしても特に文脈は損なわれない。この後で何かしらのバンドが登場するわけでもない。なぜ、あかりはバンドメンバーなんかのことを付け足したのだろうか。

著者の宇佐美りんさんは、さまざまなWeb媒体でインタビューを受けている。

宇佐見りんさん「推し、燃ゆ」インタビュー アイドル推しのリアル、文学で伝えたかった
作家は「小説の奴隷」になれるか…宇佐見りん・村田沙耶香、芥川賞受賞対談
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全てに目を通したが、あの一節に触れている箇所は見つからなかった。


あかりは狂っていく。
炎上するSNSの激流にあらがって、推しにのめり込んでいく。
学校の先生にも家族にも、あかり自身にも止められず、推しと命が不可分になっていく。肉体よりも。

その様子と「バンドメンバーって突然死しがちだよね」が、どうつながるのかはわからない。
だが、精緻な描写に感性を炙られながらどれだけ読み進めても、件の一文は私の足首をつかんで離さなかった。

伏線とも示唆とも暗示とも、いずれの意図も見いだせない。
他愛のない一般常識、気の利いた付加情報。その程度のテンションで放たれる、

バンドメンバーなんかになると突然亡くなったり失踪することもあるらしい。


狂気以外の何を感じよう。


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