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いろはにほへど
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす
学校が始まりました。
水泳の授業がなくなります
部活の大会が中止になりました
修学旅行は延期です
体育祭や音楽発表会は中止になりました
夏休みが短くなります
などなど・・・
これらは残念?
かわいそう?
仕方ない?
子どもの頃、「かわいそう」というのがどこか憐れみを感じて「かわいそうと思われることがかわいそう」なんて屁理屈をこねていました。
その思いは今でも変わらなくて、「かわいそう」の中にはなにか違和感を感じます。
そして、学校休校が続き一様に子どもたちがかわいそうという風潮になりがちなことにも違和感を覚えます。
学校というところは精いっぱい頑張ることが推奨されて、先生をはじめ誰もかれもが全力投球、一生懸命みんなが一丸となって頑張ることがいいこととされています。私もそれを求めていたこともあります。
もう、それいらなくないですか?
それに気づく数か月でもあったのではないかと感じています。
またそこに戻すんですか?
仲間と一緒に打ち込める何かがあることは素晴らしいことです。打ち込めるものが見つかったのなら迷うことなく、進めばいいです。
だけど、そのタイミングは人それぞれでそこにその時は乗れない人だっている。
かわいそうと思うのではなく、これからどう楽しんでいくかを考えたい。
冒頭の引用は「いろは歌」です。これを漢字にすると
色は匂へど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず
一般的な意味は「匂いたつような色の花も散ってしまう。この世で誰が不変でいられよう。いま現世を超越し、はかない夢をみたり、酔いにふけったりすまい」(ウィキペディアより)
いろは歌を初めて知ったのは、小学生5年か6年生の時に校長先生から教えてもらいました。場所は家庭科室だったことをおぼろげながら記憶しています。
その時にこれが日本語のひらがなの元になったこと、お釈迦様の言葉であることを知りました。
当時は意味までは全く分からなかったけど、口に出したときの音の響きがきれいで心地良くて、学校帰りに、お風呂の中で諳んじては覚えました。
言葉の意味が理解できるようになった今、諳んじてみるとやっぱり響きが美しく、心地よく、何より今のこの状況にはぴったりです。
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