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ときがきた

あたらしい自分

noteのアカウントを取得して1年が経った。ようやく自分にとって書くタイミングがきた。「自分の思考と触れること」に許可が出せたタイミング。この1年自分と向き合うことを続けている。その中で自分の思考に触れて安心する瞬間がたくさんあった。今までは、深く語り合える友人と対話することで自己を知り深める作業を繰り返していた。

あるとき、友人が「本当に自分と向き合うことは、本来自分一人でしかできないはずだ」と言っていた。この言葉がずっと心に残っている。当時の私は、人の意見を聞くことで自分を照らし合わせ、自分を判断していた。そこからヒントをもらうことでしか、自分の思考に触れられない感じがしてた。そこには人に合わせてきた根っからの他人軸である自分と、自己肯定感の低さが関係している。自分の考えを述べることも、noteをはじめられなかったことも、今の自分の姿を見せつけられることが怖くて認めたくないからだ。でも、この1年大きな自己否定を払拭して、もう怖くなくなったのかもしれない。気づけば、自分の考えを書いてみたいニーズが生まれていた。その中であたらしい自分と出会ってみようと思う。

自己と向き合う

書きたいと思えたきっかけは「いくつもの月曜日」という、Lobsterrというニュースレターがまとめられた本を読んだこと。Lobsterrのニュースレターを購読しているのだけれど、はじめて読んだときにあたたかくて良質な文章だと思った。それから購読をはじめたものの、たまに気が向いたら読むくらいで正直読めていなかった。今思えば、その文章を読むことは「自分と向き合う」ことになるから避けていたのかもしれない。私は人一倍「自己」を恐れていることが、この一年の自分との向き合いを通して明らかになった。心理学的にみて、どのような構造で私の身に起こったのかも論理として理解できた。その経験を経て、ようやく「自己」と向き合うタイミングが訪れたみたいだ。そして今回「本」という媒体になった途端に、文章の内容が頭に入ってきた。きっとうまくまとめ直されてもいるのだろう。この本が出版されてすぐこの存在を知っていたが、その時私は買う気にならなかった。オンラインイベントの存在を知り、そこで本付きのチケットがあったので軽い気持ちで一緒に買ってみたのだ。タイミングというのは不思議なもので、読み進めていくと、本当に今必要とする言葉が散りばめられていて、ハッとさせられた。そして、なんともいえない自己充足感を得られるのだった。この本に書いてある「良質な思考に触れる」感覚だった。まさに不思議な親密感を与えてくれて、聡明な友達とときどき会って話を聞く感覚なのだと思った。

心の余白

世の中には、必要のない情報が溢れていて、最近情報を追うこともやめてしまった。必要な情報だけを選びとることにさえ疲れてしまった。おそらく大半が私にとっては必要のない情報だからだ。必要な情報は意図せずにやってくる。この本に、ニュースレターはJOMO(Joy of Missing Out)だと書いてあった。深くて、遅くて、静かで、意味がある「追いすぎない喜び」である。まさに私が求める生き方そのものなのだと思う。自分が自分であればいい。心の余白が生まれたとき必要な情報は入ってくるし、その情報が自分にとって大切な情報なのだと思う。心の余白とは、心の「特等席」に自分を座らせてあげることだ。私は今までの人生、この「特等席」に自分を座らせていなかったのだ。この一年かけて、この席を自分のものにできた。5年ほど前に読んだ服部みれいさんの「あたらしい自分になる」という本のタイトルが思い出される。今まさに、あたらしい自分になるときがきたのだと思う。これから「あたらしい自分」を書き記していきたい。

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