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母のお弁当

母との対話後。
家の中の雰囲気が明らかによくなりました。家の気が変わった、ということをこんなにリアルに感じたのは初めてです。家の中全体が柔らかくなりました。

母は料理上手、というか家事全般がすばらしいです。
それに甘えて昼の弁当もずっと作ってもらっていました。自分でお弁当箱に詰めていることはありましたが、あまりの手際の悪さに母が「あんたはやらんでいい」と言い、それから料理は助手としてしかやっていません。

弁当くらい自分で作ろう、と思い、今週はおにぎりを握っていくことにしました。
1日目は母が気を利かせてくれて、炊き込みご飯が朝炊き上がっていました。
そのご飯でにぎったおにぎりは美味しかったです。
2日目はごま塩にしました。このおにぎりが…美味しくなかった。
なんでこんなに美味しくないおにぎりが握れるの?と我ながら不思議になりました。
お米に申し訳ない気持ちになりました。わたしの心は満たされることはなくて、スーパーで「ネギダレチキン(そんなような名だった)」を買い、むしゃむしゃ食べました。
二口めくらいまでは美味しかったです。その後は、ただ口に放り込み、咀嚼して飲み込む作業という感じ。後味のネギ臭が寝る前まで続き、胃ももたれていました。

それで、気がつきました。
わたしがしたいことって、美味しくご飯を食べることなんだなあって。

自分で握ったおにぎりも取り組み方が甘かった。
だからこれから、おにぎりを極めよう!…とは思わなかった。
わたしは母に「明日から弁当を作ってください」とお願いした!

翌日食べた弁当は、美味しかったです(涙)
最近、一口30回噛むようにしているのもあり、美味さが染み込む、染み込む。
思えば、母の弁当も当たり前になっていたし、「またこのおかずか…」とがっかりしていることもありました。感謝がなかった。
これからは母に感謝して美味しくお弁当をいただきます。
ありがとう ごめんなさい

しかし、なぜあんなに美味しくないおにぎりが作れたのか、自分でも不思議です。いつもはもっと美味しいのに。
わたしが無意識で母の弁当を欲していたとしか思えない。

今日はカツ丼弁当です。
早弁したくらい楽しみです。

では、また

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