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【30分投稿チャレンジ】SNS会議してみない?

拝啓みなさま、お疲れさまです。木端みのです。
おはようございます。

ただいま午前8時53分、朝の電車のなかです。
どこへ向かうのかというと美術館です。
美術館で、こどもさんにアート体験を提供する美術館ボランティアの説明会にいきます。
繁忙期ではありますが、昔から興味があった【こどもさん】と【アート体験】をともにする機会を得られるかもしれない。
それも公的機関の指導の元に経験をつめる、またとないチャンスなので仕事をはやめに終わらせて…長崎駅行きの電車にとびのりました。

今回は何の記事かというと、【30分チャレンジ】です。電車が駅につくまでに、noteを書いて投稿する。そんな、大人みたいなこどもみたいな大人の遊びです!

気軽に書きます。気軽に読んでくださいね。
今回のお題は、SNS会議してみない?です。

私はもっぱらアナログ手帳を何冊も使い倒す、手帳沼の人間です。12月のあたまの先の、アホ毛(死語?)がじょじょに見え始めた11月のおわり。手帳界隈で、よく聴かれる単語があります。【手帳会議】です。

手帳会議とは、手帳を複数使いするユーザーが持っている手帳を全部机の上に出し、一冊一冊どういった使い方をするか【手帳のあり方を再定義】する会議…そう私は認識しています。会議といっても、話し相手はいません。ただただ一人で、言葉に出したり出さなかったりしながら手帳と向き合う時間です。強いていうなら、話し相手は自分自身です。

「トラベラーズノートさんには、最初ダイエット記録をお願いしていたけど…やっぱりトラベラーズノートさんのよさは片手でさっと記録できる【手軽さ】だと思う。名前の通り、旅の記録用にもどそうかな?でも、最近忙しくてあんまり旅行行けないんだよな…そうだ!旅に行ったような気分になって、雑誌で調べたその地域の名所を記録していく【妄想旅日記】はどうだろう」
「ジブン手帳さん、ジブン手帳さん、24時間軸で行動記録を書き込める週間バーチカルには本当にお世話になっております。つきましては…」
「それで、ほぼ日手帳さんにおかれましては…」

手帳会議は、毎年または季節ごとに、人によっては月が変わるたびに行われる神聖な儀式。どれも大事にしたい手帳たち。だから、ちょっと違うな?と思いながら使いたくない。何回役目が変わってもいい。いつかしっくり馴染むその瞬間まで、自分と顔を突き合わせてひとりで行う会議です。
さみしくない。これが、すっごく楽しい!

だって、すべては自由にしていい。怒られたりしない。
たとえば、31個のマスにわかれている1月のカレンダーを毎日会った人の似顔絵で埋めてもいいんです。
自分ひとりの空間だから、自分で勝手に決めて、いつ変えてもいい。

社会のなかでその一員として暮らしていると、自分で決められないことも多い。慣習、軋轢、人と人との譲り合いがあたたかくも不自由につながることもあります。

手帳のように、こんなに自分にそってくれる存在はない。そう私は思っています。

じゃあ、私たちは何を不自由に思っている?
明確なルールであり、暗黙のルールであり、自分自身にかしたルール。それです。

だから、私はSNSを手帳に比べて不自由だと思っている。
人を傷つけないという明確なルールがあり、
むやみに深入りしないという暗黙のルールがあり、
これはインプレッションが伸びそうにないから黙っておこう…という自分自身にかしたルール。
これはSNSの話をしていますが、いま生きている社会の話でもある。

今回私がこの記事を書こうと思ったのは、SNSに窮屈な側面を感じているあなたに【自分が自身にかした最後のルールをいったんおいとこう】という話を提案したかったから。忘れるでもなく、なくすでもなく、いったん横においておく。その話はいったん横においとこうよ。だって、それは明確なルールでもなく、暗黙のルールでもない。自分が自分にかしたルール。枷なのかもしれない。

さっきはインプレッションを気にして投稿を遠慮する、という例を出した。他にもあるかもしれない。これを言ったら自分が教養がない人間だと思われるかもしれない。このレビューの星が低い、クソなB級映画をしんそこ好きだと言ったら?
わたしはなにも、すべてを赤裸々に語ってほしいと思うわけではない。
でも、いやなんだ。それが本当の気持ちじゃなくて、あなたがつらくて、でもそのうち…本当の気持ちじゃないこともわからなくなって、つらいこともわからなくなって。その姿を見るのがたまらなくいやで、そんな自分勝手な思いからこれを書いている。

だからこの自己中な考えが受け入れられなかったら、画面を閉じてもらってもいい。でも、もし心あたりがあるなら。

SNS会議してみない?

例えば、インスタグラム。
例えば、ティックトック。
例えば…自分の、自分のためのブログだってそうかもしれない。
インスタさんに、ティックトックさんに、今年は何を書いたっけ。
インスタにはキラキラわたしを魅せて、エックスでは暴言全開というのは駄目かもしれない。これは、明確なルールや暗黙のルールをおかす危険性がある。ひとを傷つける危険性だ。
9割がたの自戒をこめて言っている。わたし、気をつけて。

インスタさんにはスタバのカスタマイズを載せても、エックスさんにはサッポロ一番にもやし大盛りを載せる。そんな使い分けはあってもいいんじゃないか。
愛しいじゃないか、と思う。かわいいじゃないか。
人間っぽい。

これは、たとえばの話だ。
わたしがしたかったのは、この話。
【自分自身にかしたルール】を机の上に並べてみよう。そして自分と話してみよう。

本当はどうしたい?

駅についた。所要時間から、わたしのすんでいる地域が想像できるかもしれない。とてもいい場所です。とだけ言っておこう。何とも形容しがたい、つまり特徴があまりない、私が生まれ育った街。だから、何にでもなれるという場所でもある。

実はいま9時56分だ。1時間もこの画面を開いていたのか。海の横スレスレを斜めに傾きながら走る、遠回りの鈍行列車に乗ったことにも気づかなかった。

海沿いを歩いて、美術館をめざす。
有名な建築家がたてた、その建物がわたしは好きだ。
この街が好きだ。そう言えることが、幸いだと思える。

30分チャレンジは失敗した。
面白い失敗だった。帰りは車窓から海を眺めてみよう。

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