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旬を食す

今日の夕飯の我が家の食卓に、こごみが出てきた(写真が少しボケてしまった)。

クサソテツは、コウヤワラビ科の多年生シダの一種。別名ガンソク。若芽はコゴミといい山菜のひとつである。日本各地、中央ヨーロッパおよび北ヨーロッパ、北米大陸の北東部の河川敷や山麓の湿地に自生する。また観葉植物として庭に植えられることも多い(以上、Wikipediaより)

今年はじめてのこごみ。わらびは私もよく採ってきて食べるが、こごみは採ってきたことがない。これは近所の人からのもらい物だという。

先日記事をアップしたタラの芽もそうだが、日本人は昔から旬の山菜を食してきた。タラの芽、こごみ、わらび、コシアブラ、ネマガリダケ、たけのこ、などなど。みんな山菜は、その植物の新芽であり、パワーがみなぎってている。春を迎え、新しい生命が育つ、そのパワーと栄養をいただくというのは、きっと健康にもいいと思う。

今はハウス栽培などが発達し、さまざまな野菜が一年中食べれるようになった。旬というものがなくなり、規格品が多くなった。その一方で、売ることが目的になったために農薬が使われるようになった。もちろん、お偉い農林水産省が基準を決めているのだとは思うが、そんな基準など本当に正しいのかわからない。

山菜には農薬は使われていない。そして規格品も存在しない。気候に左右され、収穫量も大きく変化する。今年はたけのこが大豊作だという。

一番はやはり、旬のものであるということだ。季節感のなくなった生活の中で、四季を感じられる旬の山菜、野菜はとても大事だと思う。元々、野菜だって野に生えていたものを、人間が食べやすいように改良したものだ。雑草という草はないと昭和天皇が言ったというが、流通が発達していなかった昔の人は、野に生えているものを食べれるか食べれないか試してみたのだ。きのこも野生鳥獣も魚もそうだ。自ら生き物をさばいて、まさに命を「いただいて」いたのだ。

いまの私たちの食卓は、流通の発展により世界中のざまざまな食材が、一年を通じて手に入るようになってしまった。そしてそれらの食材は、加工された形でスーパーなどに並び、どんな形かわからないまま、口の中に入るようになっている。

先日、たまたま聞いていたラジオで、息子が海でとってきた魚は食べられるのと親に聞いたというが、魚はスーパーに切り身で売っているものという認識だという。

私の家の近くには肉牛を育てている畜産農家もいるし、牛の屠殺場もある。牛は人間に乳を提供し、また肉牛として食べられるために改良されたと聞いたことがある。鶏も豚も同じだと思うが、人間のエゴによって改良されてきたのだ。遺伝子組み換え食品など、言語道断だということだ。

話が逸れてきたが、旬の山菜をいただくということは、環境や自然とっても人間にとってもとても良いことであると思う。「今だけ、金だけ、自分だけ」人間のエゴが、地球環境を壊しているのだということを認識しなければならない。

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