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自由

美術はどうやら自由そうだ、そうやってはじめてみたけど「美術っぽくしてる」と言われる。自由な美術、あれもこれも美術だけどどうやらわたしのは美術じゃない、っぽくしてるだけの美術ではないもの。その「美術」が何かは「美術大学」や「芸術大学」で学べば教えてくれるらしい。密教の手印のようですね。
あれっぽいこれっぽい、似てるもの見つけては束ねるのが仕事の「学芸員」に美術認定をしてもらえないけどおまえらは本当に何なんだ。
不自由だ。とても不自由だから書くことに専念したい、と思うようになったのは2年くらい前から。書くことは少なくとも、美術よりも間口が広いように思えたのと、貧乏でも続けられるからいいと思った。表現することをやめることはできないけど、レジデンスを出たらスタジオと住居両方確保するのはもうどうかんがえても金銭的に無理。私に払える家賃は4万円くらい、そんなのワンルームしか借りれない。ものもいっぱい捨てないと。書くことはテーブルさえあればできる。紙に書かずにパソコンで書くならものも増えない。素晴らしい。自由だ。金がなくても、大学に行けなくても、書くことは誰にでも認められている。これが文芸界にはいるとかになったらまた学芸員みたいなやつがでてきて話は別なのかも知れないけど、今のところ私は自由に書くことを楽しめている。誰かに〇〇っぽいと言われてもむしろそれは褒め言葉に思える。
美術の人にあーだこーだ言われるのはもう疲れたし、父は母の味方だからもう帰ることは永久にないし、ワンルームでわたしは表現を続けるしかない。死ぬときは死ぬけど、死ぬまではそうするだろう。私が創作をやめることはない。


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