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#0228【南北合一と足利義満(日本史通史)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。

日本史は、鎌倉幕府の崩壊から建武新政の誕生と瓦解、そして南北朝の動乱目まぐるしい時代を迎えてきました。

(前回:No.227【妥協の産物、室町幕府(日本史通史)】)

背景には、武士と貴族の対立だけでなく実力主義の横行による権威やモラルの瓦解といったものも大きかったと感じます。

南朝と北朝それぞれ、自分たちに都合の良い天皇を担ぎ上げることで正統性を担保していました。そのため、実力者たちは権威は自分たちで作り上げることができると思い始めます。ある武士は、皇族や貴族はどこかに島流しにしてしまって、金ぴかの像でも崇めればいいだろうと言い放ちます。

こういった権威を否定し、自分の実力をもって世に意見するような武士のことを「婆沙羅(ばさら)大名」と言います。彼らは華美な衣装に身を包み、自らの力を誇っていました。

その一方で社会はますます不安定化していきます。「実力があればそれが全て」。モラルも何もない殺し合いが続きます。

現代に置き換えれば「金を稼げれば、それが全て」といった価値観でしょうか。従来の権威を否定していくことは時に必要ですが、急進的すぎると乱れた世の中となり、最終的に困るのはいつの世も庶民たちです。

こういった時勢が続いている中、三代将軍の足利義満の時代を迎えます。

彼は自分の側近部隊を鍛え上げて軍事力を整えるとともに、武士と貴族の序列化を進め、秩序の再建に取り組んでいきます。

将軍のサポート職として管領(かんれい)というものを設けるとその地位につける武士の家系を整理していきます。すなわち、人事権を掌握します。

そして、統制に服さない武家を打倒していくことで直轄領を増やして、経済力も付けていきます。

暴力装置・人事権(賞罰権)・カネ(経済力)。

およそ人を統制するために必要なものを手に入れていった足利義満は、50年以上続いた南北朝の分裂状態に終止符を打つことに取り組みます。

南朝を正統と認め、南朝の後亀山天皇から北朝の後小松天皇に譲位をする。これによって天皇は後小松天皇だけとし、以降の天皇位は南朝系と北朝系が交互に継承していくことを提案しました。

言うなれば鎌倉時代末期の両統迭立という元のカタチに戻る提案です。

既に死に体であった南朝としては、受け入れられる内容です。北朝としては、南朝を正統とすることになり、今後も交互継承となることから受け入れがたいものでしたが、義満の威光の前に頷きます。

1392年に南北合一が遂に果たされました。

しかし、義満は混乱の原因となる両統迭立を認めず、南朝の継承は認めませんでした。以降、現代に至るまで、天皇位は北朝系が独占していきます。

義満は南朝をペテンにかけたわけですが、課題によっては、誰かが強引にでも前に進めなければ解決しないこともあります。

合併した会社が、社長ポストなどを旧会社それぞれのたすき掛け人事を横行させるようでは発展は阻害されます。

義満の決断は、現代においても示唆に富んでいると感じます。

南北合一を果たした足利義満は、さらなる権威・権力を求めて政治を執り行っていきます。

続きは来月の日本史通史シリーズで。

以上、今週の歴史小話でした!

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