#0074【ハンムラビ法典(メソポタミア、BC18世紀)】
1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
No.73の続きで、古代メソポタミアの歴史をみていきます。
シュメール人の都市国家は、BC2400年頃にアッカド人のサルゴン1世の手によって征服されます。
その後メソポタミア地域はアッカド王国によって統合が進みますが、BC2250年には北東から侵入してきたグティ人によって滅ぼされてしまいます。
アッカド王国が滅亡後、グティ人による支配が80年ほど続いたのち、シュメール人が復権しますが今度は遊牧民のアムル人が侵入してきます。以降300年近く、メソポタミアの地は都市国家が分立した戦乱の地となります。
この戦乱に終止符を打ったのがハンムラビ法典で有名なハンムラビ大王です。
アムル人が建てた古バビロニア王国の第6代ハンムラビ大王は、メソポタミア全域の統一に成功します。
統一に成功してからは治水・灌漑事業を進めて、農業生産力の向上を図ります。同時にハンムラビ法典282条を制定して領域内の他民族を支配するルールを明確化しました。
このハンムラビ法典には訴訟法・刑法・民法・商法などが含まれ、その内容は多岐に亘っています。もっとも有名なものは、同害報復規定である「目には目を、歯には歯を」でしょう。
自分がされたら嫌なことはしないようにするためのものですが、これは復讐を是とする発想です。日本でも江戸時代まで「仇討ち」はむしろ立派なこととされていたため、同害報復規定はごく最近まで一般的な法理論でした。
なお、バビロニア王国内では身分制が敷かれていたため同一身分である場合は同害報復ですが、貴族が平民や奴隷を傷つけた場合は同害報復は適用されずに貨幣での解決となっていました。
不公平に感じますが、一方で貨幣経済が浸透していたことの証左でもあります。「金で解決」ですね。そもそも平民や奴隷では解決できるお金を持っていないため、同害報復を適用せざるを得なかった背景もあると思います。
農業の発展により、富の蓄積が可能となったことから生産に直接携わらない余剰人員が養えるようになりました。そこから軍人・政治家・祭司階級が生じてきました。持てるものと持てないもの。この差を力で埋めようと戦乱が続いてしまいました。
戦乱を起こさせないようにするためには、その気持ちを起こさせないようにする圧力としての抑止力が必要です。
人間が社会を営むためには必ずルールが必要ですが、明示されなければ抑止力となりえません。成文化されたルールであるハンムラビ法典の誕生は、人類史上において画期的なものだと思います。
以上、本日の歴史小話でした!
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