コミュニケーションで大事な二つのこと。「明瞭性」と「共感性」。
コミュニケーションにおいて重要なことは二点あると思っています。
まず「明瞭性」です。
取り違えが起きないような表現がポイントになってきます。
たとえば日本語の「結構です」はYesでもNoでも文脈で意味が変わるので、「明瞭性」に欠ける表現です。
抽象的な表現を避けて、具体的な表現を心掛けることでも「明瞭性」は高まります。
「なるはやでお願い」ではなく、
「今日の午後1時までに仕上げて欲しい」でもなく、
「今日の午後1時までに片面白黒印刷した状態で左上にホチキス止めして僕のデスクの上に置いておいて欲しい」となるとグンと高まります。
その一方で、この「明瞭性」にも課題があります。上の文章を読んでお気付きのように「くどくて、事務的で、温感が下がる、冷たい感じがする」ということです。
明瞭性の高い文書としては、人間が扱うものとしては「法律」、機械が扱うものとしては「プログラミング言語で書かれたコード」があります。
どちらも、明瞭性が高く誤読を防ぐ、乃至は文法を間違えると機能しないといった形で明瞭性を担保していますが、この二つには「読みやすい」という認識は一部のマニアな方を除いて起きづらいですよね。
そこで、「明瞭性」の次に大事になってくるのが「共感性」です。伝えたいことを具体的に事務的に正しく正確に伝えると同時に、人間同士がやり取りをする以上欠かすことができない要素が「共感」というものです。
どうして、それをやって欲しいと自分は感じているのかを相手に届ける必要があります。これは細かいニュアンスのところも多分にありますが、「よろしくです!」と「ヨロシクです!」と「宜しくデス!」では、同じ言葉なのに広がる景色は微妙に異なってきます。相手との距離感や自分の伝えたいことによって方法は変わってきます。
リモートワークの機会が増え、コミュニケーションにおいて誤解が生じないように「明瞭性」を意識するシーンは多いと思います。しかし、それと同時に人間は感情を持っています。そこに寄り添った「共感性」を含めたコミュニケーションになっているのか。今一度、自分の言動やチョイスを見直していきたいものです。
ただ、「明瞭性」と「共感性」には一部、トレードオフの関係があるところもあります。
ドリカムの名曲、「サンキュ」は男友達なのか女友達なのかが「不明瞭」です。しかし、だからこそどちらのケースの人、さらに当事者でない部外者にも「共感」をもたらすことができていると僕は考えています。
相手に「ナニカ」を伝えることってホントに難しいし、大変なこと。だから、毎日の言動を一つひとつ丁寧にすることで、地道に研鑽していくほかないんですよね。
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