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「にんちしげん」 と読みます。 認知=捉えられること 資源=どのくらいできるか。 つまり、 認知資源 私たちが、自分や周りのことを、どれくらい捉えられるか、把握できるか、です。 例えば、 メタ認知の研究(三宮 2008,2018,2022など)を読むと、人間の認知資源は相当限られていることが分かります。 例えば、誰かと話していて、 自分が話している時の自分の表情がどんなだったかを、常に覚えていることは難しい。 複数の人で話していて、全員
ふたつのことです。 1 認知 2 自身の言動 1 「認知」について 本来、地球や宇宙には、ただ事象だけがあります。惑星があったり、銀河があったりします。 (本当は無いのかもしれませんが、人間の目や赤外線ではあると認識されています) 惑星や隕石がぶつかって消えたり、銀河がまるごとブラックホールに飲まれるようなことがあっても、それはいいことでもありません。悪いことでもありません。ただ事実です。 でも、もしその銀河に「人類に友好的な宇宙人」がいたとしたら、
誰かが失敗するとうれしい。 「○○さんが失敗した。フフフ」 理由の一例 「自分は大丈夫だけど、あの人は失敗した」 専門的には…(例) 他者との比較による自己優位性の確認 社会心理学における下方比較 「人の不幸は蜜の味」と思うことによるメリット ・優越感にひたれる 「人の不幸は蜜の味」と思うことによるデメリット ・他者との比較なので、無意識にも、自分より「上」とも比べてしまう つまり… この方法をする人は、苦しみの中にいる。 この方法
ネットで 「ネガティブになる方法」 と検索しても出てきませんので、ここに書きます。 例 ・完璧主義になる ・自分にコントロールできないことを考える、悩む ・自分自身のことばかり考えすぎる ***** 究極のおまけ ポジティブになる方法 ネガティブになる方法 実は、同じです。 私たちが経験するできごとは、すべて、ポジティブでありネガティブです。 私たちが、勝手に「これはポジティブだ」「あれはネガティブ」と判断しているに過ぎません。 つまり、自分の認知なのです。
怪しいタイトルです。 【相対的幸福】 「~があれば幸せ」「~ができたら幸せ」 例 車、食べ物、就職、資格、人間関係、周りの人に褒められる…。 【絶対的幸福】 「絶対者による幸せ」 この場合の「絶対者」は、自分自身ととらえます。 だから、自分が幸せと思ったら幸せです。 例 強い信仰 自分の認知 「自分にはすでに十分にある」「満ち足りている…」という自然な感覚 難しいのは、相対的幸福です。 なぜかというと、自分にコントロールできない部分があるからです。 「不確定要素」がいっ
稲盛和夫さんの言葉です。 20代の私は、さっぱり意味がわかりませんでした。 今はちょっと分かったつもりになってきたので、書いてみます。 ***** 自分のためにがんばってはいけない。 私欲ではいけない。 他者のために。 一切の私欲なく経営できたら、それは絶対に、必ず、成功するということ。 もし、私欲が入ると、失敗します。 最近は、 サイゼリヤさん 「サイゼが潰れたら喜ばしい」(と創業者が自ら言う) https://toyokeizai.net/articles/-
存在論 「この世には、何かの本質があるはずだ」 (何かが存在する) 認識論 「固定された本質などはなく、人がそれをどう捉えるかだ」 (人がどう認識するか) 怖いのは、 自分の立場と自分の主張を違えていることが、往々にしてあることです。 自己内矛盾、みたいな感じのが、気づかぬうちに起きています。 例えば、私は認識論的な立場にいます。 つまり、「うんうん、人によって、いろいろあるよ。それぞれのやり方でいいんですよ。」 という考え方です。 それなのに
出典は忘れましたが、 紫式部は 「自分の本名を他人に知られるのは、魂を取られること」と考えていた、 と、何かで読みました。 その人の名前は漢字なのか、ひらがななのか。どんなスペルなのか。どんな文字なのか。 濁点がつくのか、つかないのか。 これらはアイデンティティです。 自分を形づくる、大事な要素です。 こう考えると「ペンネーム」の意味も出てきます。
結論を先に書きます。 「脳に感謝しろ」 「すでに脳に感謝している」 (脳でなく、体のどの部分でもOK) 「~さんに感謝しろ」 「すでに~さんに感謝している」 「自分はすでに最高の力を発揮し始めている。ますます力が出てきている」 が、魔法の言葉です。 (あやしい?) (この記事は、マヌルネコのスタンプと「ことば」記事の次に書きました) 20代の頃、自己啓発本に興味を持って、100冊以上読みました。 最初は、西田文郎の「No.1理論」を、何度も
あるとき、吹奏楽の指導をしていて、 「敵は誰?」「自分です!」 という話をしていた時期がありました。 これは、原田教育研究所の原田先生からの受け売りです。 いい言葉だなと思って使っていました。 ある時、生徒が 「先生、じゃあ、負けた自分はどうなるんですか?」 と質問しました。 私はさっぱり答えられませんでした。 あれからおよそ7年間、自分なりの答えを探し続け、 それらしいことをひらめいたので書きます。 結論としては 「敵は誰?」「いません!」 という正
「八風におかされない」という仏教の考え方があります。 (ウィキペディアより:多分、合っていると思います) 「八風」 利い(うるおい)‐目先の利益 誉れ(ほまれ)‐名誉をうける 称え(たたえ)‐称賛される 楽しみ(たのしみ)‐様々な楽しみ 衰え(おとろえ)‐肉体的な衰え、金銭・物の損失 毀れ(やぶれ)‐不名誉をうける 譏り(そしり)‐中傷される 苦しみ(くるしみ)‐様々な苦しみ 仏教では、これらを「よくない」として戒めます。 この中には一見、「よいこと」も含まれます
資本主義は、資本を大事にします。資本とはお金です。資産、土地、現物、何でも資本として捉えます。 「お金があれば、やりたいことができる」という仕組みは、人間の欲を引き出しやすいです。 一時的にお金を稼ぐためであれば「強欲」になれば、願いは叶います。 欲に向かって突き進めば、ある程度の金銭的・物質的な成果は得られるでしょう。 しかし、強い欲は、 「こうありたい」から「こうでなければならない」と変化する場合があります。 この「こうでなければならない」が、 社会の
世の中には一見、わけの分からない「教え」があります。 「損して得取れ」 「徳を積む」 「ゴダック・ピン」(スリランカ仏教の「徳を積む」) 「日にひとつ、いいことをしなさい」 「お天道様が見ている」 「右の頬をぶたれたら、左の頬も差し出しなさい」 「あなたが人に与えるものを、あなたが受け取ります」 「利他が利己になる」 まったく意味が分かりません。 だって、「隣の人に100円あげなさい」ということなんです。 自分は100円損するじゃないか、と。 **
仏典のお話。(サンユッタ・ニカーヤ) ある人が、ブッダに対して、怒っています。 怒る人 「おい、何とか言え!」 ブッダ 「…。あなたが家にお客さんを招いて、たくさんのお料理で、もてなしたとする。でもお客さんはその料理を食べなかった。その料理は、誰のものだと思うか?」 怒る人 「それは、自分のものだろう! 自分で食べていい!」 ブッダ 「私はそれを受け取らない。そのまま持って帰るがよい」 *** アンガーマネジメントから 怒っている人がいて、