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ネガティブ思考は必要です。 ネガティブ思考があるから、私たちはサバイブできます。 ネガティブな思考(ああ、こうなったらどうしよう)、危機管理(災害など)に備えるから、私たちは生き残ってきました。 ポジティブだけなら、人類は滅亡していたかもしれません(ご飯や家の心配を全くしなくなる) しかし! 古宮昇先生曰く、 「ネガティブであること」 と 「幸せになること」 は異なります。 私はとても納得しています。 生き残るために必要なネガティブは必要だが、ネガティブで
「にんちしげん」 と読みます。 認知=捉えられること 資源=どのくらいできるか。 つまり、 認知資源 私たちが、自分や周りのことを、どれくらい捉えられるか、把握できるか、です。 例えば、 メタ認知の研究(三宮 2008,2018,2022など)を読むと、人間の認知資源は相当限られていることが分かります。 例えば、誰かと話していて、 自分が話している時の自分の表情がどんなだったかを、常に覚えていることは難しい。 複数の人で話していて、全員
ほぼすべての「ものごと」「できごと」には2面性があります。 それは、「いいこと」と「悪いこと」です。 例えば私が、 英語の勉強をやって、難しい論文を書いたとします。 英検1級も取ったし、論文も査読が通ったとします。 これはいいことです。 しかし、もし英語をやらずに論文ばかりを書いていたら、もっとすごい論文になっていたかもしれない。 逆に、英語ばかりやっていたら、すごく英語が上手になっていたかもしれない。 このように、ほぼ全てのものごとには、ポジテ
ふたつのことです。 1 認知 2 自身の言動 1 「認知」について 本来、地球や宇宙には、ただ事象だけがあります。惑星があったり、銀河があったりします。 (本当は無いのかもしれませんが、人間の目や赤外線ではあると認識されています) 惑星や隕石がぶつかって消えたり、銀河がまるごとブラックホールに飲まれるようなことがあっても、それはいいことでもありません。悪いことでもありません。ただ事実です。 でも、もしその銀河に「人類に友好的な宇宙人」がいたとしたら、
「私のことを嫌っている人」のことは、イヤだなと思うでしょう。 しかし、こうも考えられます。 「私のことを嫌っている人」は、 「私を嫌うためにエネルギーを使ってくれている」と。 「私のことを嫌っている人」は、 「私になにか、望みがある」と。 具体的に、例えば、先生と保護者。 先生の対応がイヤで、保護者の人が怒る。文句を言う。嫌う。 これは、先生に「してほしい対応」があるから。 「先生に○○してほしいのに、先生はしてくれない」 だから保護者
誰かが失敗するとうれしい。 「○○さんが失敗した。フフフ」 理由の一例 「自分は大丈夫だけど、あの人は失敗した」 専門的には…(例) 他者との比較による自己優位性の確認 社会心理学における下方比較 「人の不幸は蜜の味」と思うことによるメリット ・優越感にひたれる 「人の不幸は蜜の味」と思うことによるデメリット ・他者との比較なので、無意識にも、自分より「上」とも比べてしまう つまり… この方法をする人は、苦しみの中にいる。 この方法
文献を探していて、 「時間ないけど、一応さらっと読んでおくか…」 と積んでおいた本がびっくりするほど新しい知識に満ちていたので共有します。 取り上げた内容は私の主観による抜粋でほんの一部です。目次ではありません。 書籍 河村茂雄 2022 子どもの認知能力を育成する 教師のためのソーシャル・スキル 誠信書房 序章 ・認知能力、非認知能力の分かりやすい定義を「資質・能力」として示す ・自律性の定義とその確立方法 ・非認知能力の2本の柱 ※ここは「なんでこの言葉が取り上げ
ネットで 「ネガティブになる方法」 と検索しても出てきませんので、ここに書きます。 例 ・完璧主義になる ・自分にコントロールできないことを考える、悩む ・自分自身のことばかり考えすぎる ***** 究極のおまけ ポジティブになる方法 ネガティブになる方法 実は、同じです。 私たちが経験するできごとは、すべて、ポジティブでありネガティブです。 私たちが、勝手に「これはポジティブだ」「あれはネガティブ」と判断しているに過ぎません。 つまり、自分の認知なのです。
怪しいタイトルです。 【相対的幸福】 「~があれば幸せ」「~ができたら幸せ」 例 車、食べ物、就職、資格、人間関係、周りの人に褒められる…。 【絶対的幸福】 「絶対者による幸せ」 この場合の「絶対者」は、自分自身ととらえます。 だから、自分が幸せと思ったら幸せです。 例 強い信仰 自分の認知 「自分にはすでに十分にある」「満ち足りている…」という自然な感覚 難しいのは、相対的幸福です。 なぜかというと、自分にコントロールできない部分があるからです。 「不確定要素」がいっ
稲盛和夫さんの言葉です。 20代の私は、さっぱり意味がわかりませんでした。 今はちょっと分かったつもりになってきたので、書いてみます。 ***** 自分のためにがんばってはいけない。 私欲ではいけない。 他者のために。 一切の私欲なく経営できたら、それは絶対に、必ず、成功するということ。 もし、私欲が入ると、失敗します。 最近は、 サイゼリヤさん 「サイゼが潰れたら喜ばしい」(と創業者が自ら言う) https://toyokeizai.net/articles/-
存在論 「この世には、何かの本質があるはずだ」 (何かが存在する) 認識論 「固定された本質などはなく、人がそれをどう捉えるかだ」 (人がどう認識するか) このnoteやYouTubeでは、いろいろな「質問コーナー」があります。 YouTuberやブロガーが、世の中の一般的な質問に答えていくものです。 「これ、どうしたらいい??」 という質問があって、 それに対して、 特定の「正解」を提示する のが、質問コーナーです。 必ず正解があります。 私
存在論 「この世には、何かの本質があるはずだ」 (何かが存在する) 認識論 「固定された本質などはなく、人がそれをどう捉えるかだ」 (人がどう認識するか) 私は20代まで吹奏楽や教育を無限にやりました。 午前3時まで学校にいました。 年間の休みは8月13日と、12月29日~1月3日のみです。 年間7日間以外は、毎日学校や研修でした。 その末に思ったことは 「人間の本質は何か?」 です。 生徒たちを上手に指導できず、 どんな指導がよいのか悩みました。 世界中の教育を知ろう
存在論 「この世には、何かの本質があるはずだ」 (何かが存在する) 認識論 「固定された本質などはなく、人がそれをどう捉えるかだ」 (人がどう認識するか) 怖いのは、 自分の立場と自分の主張を違えていることが、往々にしてあることです。 自己内矛盾、みたいな感じのが、気づかぬうちに起きています。 例えば、私は認識論的な立場にいます。 つまり、「うんうん、人によって、いろいろあるよ。それぞれのやり方でいいんですよ。」 という考え方です。 それなのに
若い頃、教員採用試験を受ける前から 「生徒に対し、教育的愛情を持った人」 であるべきと教えられてきました。 しかし、私は、生徒に対して教育的愛情があるかと言われると、正直微妙です。 「生徒が好き」 「子どもが好き」 というのは、少なくとも、当てはまりません。 なんというか、 そういう個別の「人」でなく、 教育、指導、支援、育成、授業そのものに関心があるのです。 だから私は、特に好きな生徒もいなければ、嫌いな生徒もいません。苦手な生徒もいません。 こ