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乳をめぐる冒険の序章|2023.04.20

先日、子が生後2カ月を迎えた。前回の日記は生後2週間くらいだったので、それからもう2カ月くらい経ったということだ。あれからずいぶん体も気持ちも楽になった。

1カ月半ほど前に、里帰り先から東京の自宅へと戻ってきた。自宅では夫がこれでもかというくらいに知恵を絞り手間をかけ、私と子が快適に過ごせるように環境を整えてくれていた。それでも実親の手厚いサポートが終わると思うと心細くて涙が出た。これだけ手を尽くしても私が泣いているのを見て夫はがっかりしたようで、初日の夜から2人で泣いたりした。

そのころから状況はいろいろと変わったけれど、まずは授乳の困難が軽減したこと。東京に戻ってきたころには、母乳を飲むのを嫌がる子によって精神力がじりじりと削られていって、もう授乳のたびにがんばって飲ませるのを放棄し始めていた。乳を直接吸うのが難しいのはもちろん、病院で勧められた乳頭保護器を使っても飲んでくれないのだ。乳をふくませようとすると大泣きする子がひどくかわいそうで、そそくさと引っ込めて哺乳瓶でミルクを飲ませる、の繰り返しだった。そんなに分泌量の多くない胸だけれど、6時間も飲まれないと張って痛みだすので、自分で絞っては捨てた。

母乳を飲ませることをほぼ諦めつつもどんよりしている私に、夫は「飲ませたいならきちんと飲むように導かなくては」と言った。「今のあなたはもう飲ませるのを最初から諦めているように見える。この子は自分の意志で拒否しているというよりも、習慣で拒否しているだけだと思う。大泣きしたら哺乳瓶でミルクがもらえると思ってるはず。母乳を飲ませたいなら、他の生き物と同じように “しつけ” なければ」

私は「大泣きしている子に無理強いするのは "虐待" じゃないのか」と反論したけれど、本当に思っていたのは「私が1カ月も戦って、成功と失敗を繰り返しながら試行錯誤して、悩んで、苦しんできたのを知っていてそんな厳しいことを言うのか」ということだった。内心、というかもしかしたら口に出していたかもしれないけれど、「こんなに疲れているのにまだ努力が足りないというのか!」と怒り心頭だった。

どうやって落ち着きを取り戻したのか覚えていないけれど、たしか少しの間、夫婦お互いに相手の無理解を嘆き悲しんだ気がする。ただそのあとは、夫の言うとおり多少泣いても根気よく母乳を飲むまで粘り、母乳を飲んだあとはごほうびにミルクをあげる、というような ”しつけ” を試みたところ、日に日に上達して、乳頭保護器をつければほぼ確実に飲んでくれるようになっていった。保護器なしでも飲めるようになってほしいな、と近所の助産院にも相談に行き、指導を受けたあとはますます上手に飲んでくれるようになった。助産師さんもまた「おっぱいには大きな問題がないので、飲めるようになると思いますよ。あとはしつけてあげる感じです」と言った。夫と同じことを言ったのだ。

私が受けた指導の一部を紹介すると、以下のような感じです。
・授乳前に毎回、親指と人差し指でCの字を作って、乳輪の周りをギュ、ギュ、とつまむようにマッサージすること。親指と人差し指を乳の中心で打ち合わせるようなイメージで。1つの角度につき最低10回、45度ずつ回転させて360度。
・乳をふくませるときには子の首をしっかり持つ。大きな口を開けた瞬間に舌の上に乳を差し込む。けっこう泣いても離さないで吸い付くまで待つ。でも、5分以内に決着をつけること。それ以上戦うとおっぱいを嫌いになってしまう可能性があるから。
・夜(22時~5時)には最低2回授乳すること。母乳を出すホルモンの分泌を促すためらしい。

そんなわけで、うまく乳を飲めるようになった子はすくすくと育ってくれて、自分の手をよく眺め、しゃぶり、よだれを垂らし、人の顔を見てはニッコニッコ笑っている。首もずいぶんしっかりしてきた。肌トラブルや数日の便秘など、人並みの悩みはあるけれど、今のところ深刻になるほどではない。わりと穏やかな性格のようで、今もスヤスヤと気持ちよさそうに昼寝している。夜も5、6時間まとめて寝てくれるようになった。本当にありがとう。(ただ、助産師さんによると脱水症を避けるために4時間くらいで起こして飲ませたほうがいいらしい。特に夏は。)

最近の変化と言えば、哺乳瓶で飲むのを嫌がるようになってきたこと。「哺乳瓶拒否」ってどこか他人事に感じていたけれど、我が子が陥るとは。まぁ、まだ縦揺れして機嫌を取れば飲んでくれるので、おそらくこれは序章といった感じなのだろう。もう少ししたら嫌がらない哺乳瓶探しの旅に出なければいけないのかもしれない。あるいは絶望の末に完全母乳にするのか。それは避けたいが、まぁ、完全母乳で育てている人もたくさんいるのだし、今から心配してもしかたないのだし。

子を育てるのは大変だ。でもそもそも日々、仕事して、家事して、必要な手続きをこなして生きていくのはとても大変だ。疲れて疲れて、ある日ふと立ち止まるともう一歩も進みたくない気分になってしまってもおかしくない。この幸せな日々は、薄くはないけれど、決して盤石ではないガラスの上を歩いているみたいだ、と思う、というか、あえてそう思うようにしている。私は今ガラスの上にいるのだ、そのことを忘れないように。そうすることで守れる健康がある。自分にも人にも優しくできる、気がする。


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