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時間旅行者としての自覚

私はタイムトラベラーである。
きっとあなたもそうでしょう?

未来人です。という話ではなくて
過去から来ました、侍でござる。でもない。

専門的な話はよくわからないので、突っ込まれても何も出てきません。科学的根拠を語りたい方は、そっと閉じた方が良いと思います。何故、こんな書き出しなのかというと、実は最近思うことがありましてー

私たちは場所や境遇は違えど、同じ時間を過ごしているはず。はず。きっと多分そうですよね?

というのは、1分は1分だし、私の1日の長さは、あなたが過ごしている1日の長さとちょうど同じはずなんです。

時間の概念とは?
なんだか最近、妙に忙しく感じています。
ずっと先の予定だと思っていたことが、気がつくと目の前まで迫っている!なんてことが多すぎるんです。一方で、過ぎ去ったことを振り返ると、「そういえばそんなこともあったなぁ」と懐かしさを感じるのに、実はまだ数日しか経っていなかったりします。

これから起こるであろう未来のことへ想いを馳せたとて、それは現実のものではなく、具体性のない憶測や希望的観測、自己都合に任せたワガママ空想未来でしかない。調子に乗りすぎると、取らぬ狸の皮算用で一日中ニヤニヤして終わってしまうこともある。

過ぎ去りし日々の軌跡を辿れば、現実的に起こった事象や感情が記憶として蘇り、自分の体験であるのに、第三者目線として俯瞰で捉えていたりする。そこに「あそこで右に行けばよかった」「もしステージにゾンビがあらわれていたら」「実はあのときウチの猫は、こんなことを訴えていて」…
なんて空想が混ざってくると手に負えない。

――前者後者ともに言えることだが
この瞬間に我々は時間旅行をしているのではないだろうか?今、この瞬間を、この時間を過ごしているはずなのに、頭の中では未来へあるいは過去へ飛んでいる。事実と空想の間で自分の意識が過ごしている時間は、自分以外の他者が過ごしている時間とは違うものであるとも言える。のではないだろうか?

瞬間タイムトラベラー

まるで安っぽいタイトルの歌謡曲のようだ。いや、今の時代では逆におしゃれに感じられるか?実は私がnoteにハマり始めたのも、この瞬間タイムトラベルを感じることが出来るからだ。

文豪たちの合戦場でもあり、主婦たちのボヤきの場でもあったりして、何故かトラブルに巻き込まれる性分のエッセイストが集まり、共感したり反感したり、ときには宣伝してみたりもする。おしゃれなカフェの風景と、美味しそうなレシピが並び、一方では背筋が凍るほどの体験談が語られる。

それらを何の気なしに読んでみる。情景が浮かび上がり、いないはずの私が同席していたり、急に右肩が重くなってみたりする。


noteは、普段の自分の時間ではない、また別の時間軸を体感できるようで

私は好きなんだ。


―雑記

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