見出し画像

見出し画像で悩む。

noteを書き始めて1年そこそこの私は
毎回毎回、思い悩むことがある。

今回の題名にもある「見出し画像」

皆さんは記事を仕上げる時に
どんな順番で作成しているのでしょうか
私は大体、以下の順番で行います。

1)記事を書こうと思う
2)出来事を頭の中で振り返る
3)いきなり書き始める
4)題名を本文の後で決める
5)おもむろに立ち上がる
6)文章内の誤字を直す(ときもある)
)内容に沿った画を探す

これが私のnoteの書き順

7つ目の最後の工程となるのが
「見出し画像」ということになります。
これが悩む悩む。

もちろんnote側で親切にも
みんなのギャラリーを用意してくれていますが
探し方が悪いのか、どうも、こう、
「ピタッ」っとくるものが
中々見つからない時があります。

皆さんの記事を拝見していると
素敵なお写真やイラストが使われていて
テーマにも合致して世界観が表れている。
「すごいなー」なんて思ってみて見ると
それがみんなのギャラリーだったりするんです。

もちろん私もお借りすることが多いですが
あれって、ちょっと悩むんです。

作者の意図と違う使い方に…

と、小心者のリトル1号は思うのです。
あそこに上げられているのは全てが「作品」であり
作者の込めた意図や情念の様なものが
必ずあると思っています。

立派な作家さんや、強noterの方に
使われるのであれば、見出し画像クリエイターも満足でしょう。しかし、私みたいな、どこの馬の骨かわからんような人間に、いや、そもそも人間かどうかも怪しい存在に自分の作品が使われたら、テンション下がるかな…と。

仕方ない時は自分で描く

猫の写真が無い時は、仕方なく手描きします。
見るに堪えないミミズの行進だと自覚しているものの
背に腹は代えらないのです。

往生際の悪さに定評がある私ですが
そんな理由から、記事完成から公開までに
画像で悩み過ぎて旬を過ぎた記事もいくつか。

なので、たまには順番を変えてみようかなと
考えたりもするわけですが
画像から記事を書くなんて、大喜利じゃないんだから
難しいこと、この上ないです。

記事が先か、画像が先か

にわとりが先か、たまごが先か、

それはたまごでしょう。
にわとりの要素を含んだ鳥が
ある日突然「ハイ、おれニワトリぃ!」
と宣言して細胞変化が起こったとは考えにくい。

やはりここはニワトリ成分を持つオス鳥と、ニワトリ成分を持つメス鳥が交尾を行って、ニワトリ成分が色濃く出たD.N.A.を含んだ卵を産んだと考えるのが妥当。その卵から出てきた生物こそが、始まりのニワトリであり、それ以前の親たちはニワトリ成分を持ってはいるものの、現世においては表面上には現れることの無いニワトリクス(?)を保有しているだけであり、そのままでは、およそニワトリと定義づけるにはいささか無理のある鳥。ニワトリの始祖とは呼べない代物であろうかと思う。考えてみればもしもニワトリ成分を持ったオスが、ニワトリ成分を持たないメスと交配しようものなら、Wニワトリ成分の合成は行われないわけで、やがて綿々と受け継がれていくであろう父鳥のニワトリ成分は代を重ねるごとに薄れ、いずれかは自分という存在は一体何だったのだろうかと自問自答を繰り返すようになっていき、このままではイカンなんだかわからないが話が脱線している話を戻さなくてはコケコッコ。などと申しており、筆者の精神状態は度重なる仕事でのストレスに加え、本人でも知らぬうちに蓄積された3年禁煙中のヘビースモーカーとしての生きざまに疑問符を投げかけたものであった。ニワトリというのは個体の努力の結果によるものではないということ。つまりニワトリは卵が先なのである。




ニワトリは関係ないのよ、すっこんでろ!このチキン野郎

ニワトリの話じゃなくて
見出しの話だったはずなんですが
いつもこうです。書き出すと話がそれる。

テーマ、順番、起伏、画像、感情、結末
noteの皆さんは非常に上手く構成されている

私は、皆さんのようにはいかないのです
作文は苦手だし、絵も描けず、写真も撮れない
数字が苦手で、気もきかない、
唯一誇れるのは
この世に生まれて、まだ生き続けていることだけ
人の役に立ったことなどないし
ボランティア活動に参加したこともない

こんな私でも、明日も生きる。
昨日という日を生き抜いてきたのだから
きっと、あしたも、だいじょうぶ。

noteに書き残しておくことにしよう。




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