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#2

『またこりゃあ、派手にやったなぁ…。』
『派手にやったのは私じゃないわ。』

つい先日、奥座敷の畳に苔カーペットが出来てしまい、畳の交換のために家主は常日頃から住んでいる古民家の修繕やちょっとした手入れを頼んでいる青年を呼び出した。
またですか、と家主からの電話を受け取った青年はそれでも次には訪問する時間を確保しようと自分の予定を確認してくれている。
出会った当初から思っていたのだが、根が真面目で勤勉なのだ。
『出来れば早い方がいいですよねぇ』
『そうね、その方が助かるわ。どんどん広がってきてるのよ。』
『は?』
そう、苔はどんどん広がってきていた。
見る間にというわけではないが、植物にしては異様なスピードで広がっている。
元は雨と共に恵みを授ける存在から発生したものなので無理もないが、このままでは奥座敷はシダや苔に覆われてしまうのではないかと危惧するほどではあった。
怖くて見れてはいないが、床下はどうなっているのだろうか。
決してガタがきているわけではないが、それでも古くて馴染み深い家だ。
手放してしまうにはまだ惜しい。
『もしかして、ただの畳の張り替えでは済まない用件ですか?』
『そうなる可能性はあるけれど。でも、ただの張り替えで済まされるならそちらの方がありがたいと思っているわ。』
『そりゃ俺だってそうですよ!』
青年は何となく、これまでの諸々から事態を呑み込めたのかその日のうちに時間を作って訪問するに至った。
働き者で殊勝なことだ。
まぁ、後々に放っておけば自分の仕事が増えると思ってのことかもしれないが。
そして、訪問してすぐに現場を確認した青年のつい口から溢れた感想が冒頭の台詞である。

『これはただの苔ですか?』
しゃがみこんで苔を間近で見ながら青年は訝しげに苔を調べている。
その様子に青年に連絡を取る前の自分の姿を思い出して笑いそうになりながら家主は答えた。
『そのようだわ。調べてみたけれど、成長スピードが異様に早いだけでみんなただの植物よ。』
とりあえず得体の知れないものではないと分かると青年は畳を床から剥がしにかかった。
『おっ…!』
手をかけて一気に持ち上げようとしたところで畳は思った以上に簡単に外れた様子を見せ、不思議なことに床板には全く植物が生えていなかった。
簡単に畳が持ち上がったのは、裏側にも伸ばされた植物の根が畳を持ち上げていたせいだ。
後ろで見ていた家主は青年の背中越しに苔の欠片がぽろぽろと落ちてはいるし、濡れて変色はしているが何事もなさそうな床板を見て安心する。
『良かったわ。畳の交換だけで済みそうね。』
『湿気があるんで完全にそっち飛ばしてからですね。しっかし、これは…』
青年の何をしたらこうなるのかという気配を感じて家主はつい先日雨宿りをお迎えしたのだと告げた。
それを聞くと青年も『あぁ』と納得した声を出す。
『あのじいさん、今回はこっち来てたんですね。』
『えぇ、いつからここに座っていたのか分からなかったのよ。本に夢中になっている時に静かにやってきたみたいだったわ。』
青年は先日の染み入るような雨の日を思い出した。
『確かに、先日の雨は霧から始まって雨粒にならないみたいな静かな雨でしたからね。んでも、これだけここにいたって証拠みたいなのが残るのって珍しいですよ。ああいう類いの来訪者って‘そこにいた’って残すものが少ないじゃないですか。雨宿りのじいさんだったら雨上がりの虹とかくらいですよ。それもすぐに消えちまいますけど。』
『よほどお茶請けを気に入ったのかしらねぇ』
『茶請けぇ?』
斜め上からの答えだったのか青年の形の良い眉が片方吊り上がって何とも言えない表情を作った。
事実なのだから、そうとしか言いようがないけれど。
『そうよ、貰い物だったけど。ちょうど色味がおじいちゃんにそっくりだったからお茶と一緒にお出ししたの。』
『はぁ…それで。』
『後でアンタにも出してあげるわ。』
『え!いいんですか!?』
『予定を前倒しで来てくれたんでしょう?それくらいはするわよ。』
それから青年の行動も心なしかテキパキと少しだけきびきびとしたものになった。
苔の温床となった畳を剥ぎ取り、まだ残っている水分をしっかり拭き取って、板が縮んでしまうことを防ぐためにも自然乾燥させることにした床下は周囲の畳も全て剥がして乾燥待ちだ。

縁側のガラス戸を開けて網戸にすると板間の障子、奥座敷の襖も全開にして風の通り道を作るように奥座敷の木戸も全て開いた。
一直線に風の道が出来上がった中で板間のテーブルについた青年と家主は先日雨宿りに出したものと同じお茶と茶菓子を囲んで一息ついていた。
体格の良い青年の体を受け止めてアンティーク調の木製の椅子がぎしりと軋む。
動きやすい格好をしている青年とその家具たちとのミスマッチ具合は初めて青年がその椅子に腰かけてから変わらない。
『へぇ、これが。』
目の前に出されたお茶とお茶菓子。
家主が自分で見た目に満足感を得た朱塗りの盆に乗せられて、漆塗りの黒い丸皿と渋い色味の茶飲みのセットで用意されていた。
『なるほど…確かにじいさんみたいだ。』
『でしょう?だから、いらしてくれた際には絶対にお出しするって決めていたのよ。』
『いただきます。』
皿を両手で持ち上げて全方位から菓子を眺め、件の老人を思い出したのかちょっと笑みを浮かべた青年は添えられたフォークを持つと深い緑色の甘味を一口大に切り分けて口の中に含む。
上品な味わいを少し口の中で味わった後にお茶を飲んで喉を潤した。
お茶の温度は飲みやすい温度で、わざわざ家主が時間を見て出してくれたものと容易に知ることが出来る。
『うまい!』
青年が甘いもの好きであると承知している家主は密かに『だからアンタにも出そうって思ってたのよ』と自分もお茶を飲む。
『そうでしょう?でも、おじいちゃんが食べたものの方がやっぱり美味しかったわね。』
『そりゃあ、よっぽど嬉しかったんでしょうねぇ』
ああいう類いと青年は言ったが、そういう存在たちは存在自体が肉体を持っているものと比べると曖昧で、家主が言ったようにいつ家に上がり込んだのか分からないときもある。
それだけでなく、傍にいるのかさえ知るのは難しいときもあるのだ。
そんな存在が何よりも尊び、喜んでくれるのは‘目には見えない贈り物’…例えば捧げられる『祈り』であったり、家主が雨宿りを想ってしたような『心配り』であったり、そういったものの交流を何よりも好み、糧にしている。
そして、彼らからお返しとして還ってくるものもそういった形のものが多いのだ。
それが転じて現象となるのか、物となるのか、どういった形で現れるかは分からないが、コミュニケーションが違うだけで確かに交流はあるのだと慣れれば分かってくる。
美味さの増したお茶と羊羹、雨上がりの虹、そして、畳に出来た苔のカーペット…青年が『よっぽど』と形容したのも分かる。
家の手入れや修繕に度々呼び出される度にこうして自分のような者にもお茶を出したくれるのだから、彼女がそういった存在に好まれる理由がそれだと青年は思っていた。
『また来てくれるかしら。』
『ここならまたそのうちひょっこり来ますよ。』
『ふふふ、もしかしたらアンタもね。』
『うへぇ…。』
自分がここに呼び出される時は大抵何かしらの修繕や修理の時だと熟知している青年は椅子の背もたれにどさっと身を預けて苦笑い。

『勘弁してくだせぇ…。』
ちょっとくだけた口調で漏らされた本音に家主は珍しく声を上げて笑った。

不思議で不思議なお話を書いています。本当かどうかは誰にも分からない。いつかは全ての人が忘れてしまうそんなお話。