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アボカドの友人

 無職になったアヤからアボカドをもらう。近くの八百屋で15個300円で売っていたのでお裾分けだという。

 うちに帰り、袋から出そうとアボカドに触れた途端、皮がぶよっとへこんで腐っていると分かる。切ってみると断面には黒い筋が無数に走り、種には白いカビのようなものが生えていて食べられる箇所はない。3個中2個がそんな具合で、残りの1個はかろうじて食べられそうなので、種をくり抜いたへこみにオリーブオイルを垂らし、あら塩をぱらっとして、スプーンで実をすくって口に運ぶ。傷んではないものの、熟しているところと固いところがまだらにあり、なんだか噛むほどに不安な気持ちにさせられる。

 わざわざ人を電話で呼びつけて、うれしそうにアボカドをくれたアヤの、笑うと口元からのぞく八重歯が頭に浮かぶ。黙っていれば端正な顔立ちをしているから、八重歯がのぞくと、そこからその完璧な顔がほつれるような感じがして、それがアヤへの親しみの一因になっているように思う。

 アボカド選びについての私の考えをアヤに伝えるべきだろうか。

 店頭でアボカドを選ぶときは、そっと触れるのがマナーだ。強く指で押したりするとそこから傷んでしまう。その上で、皮と実のあいだの弾力など、傷んでいるサインがないかは確かめなければならない。アボカドをやさしく包みこむように手のひらに置き、手のひらの感度をあげてその感触を慎重に吟味する。ヘタのまわりは指先でなでるように触れて確認。少しでも皮のぶよつきが気になったら、そっと元のケースの奥の方に戻す。

 それか、まだ若い緑色をした固いアボカドを選ぶのも一考だ。固ければまず傷んでいることはないので家で熟させればいい。ただ、うまく熟さず皮は緑色のままなのに、実だけ腐ってしまうこともあるから気は抜けない。カリフォルニアの寿司店て働いていた板前さんに聞いたところ、アボカドが置かれている環境の温度変化が関係しているそうで、熟させる場所の温度は購入した店と同じ(常温か冷蔵か)に合わせておくとよい。そこまで気をつけていても、長いこと緑のままなことを不審に思って切ってみたらすでに手遅れなこともある。

 これら失敗をなるべく回避するには「今日すぐに食べるには少し固いが明日には熟しそう」という頃合いのアボカドを狙うことだ。傷んでる可能性が低く、熟さずに腐る心配も少ない。黒々とした皮にほんのりまだ若気の緑色が感じられるものをまず目視だけで探す。そしてくだんの感触を確かめる。

 その眼力を養うには、やはりトライ&エラーの積み重ねしかない。手練れともなれば数あるアボカドの山から光る一つを一発で見つけられるかもしれないが、己のアボカド眼に慢心していると不意打ちをくらうことになる。どう見ても、どう触れてもベスト・コンディションなはずなのに、切ってみるとあの黒い筋が。これにはしばらく落ち込む。

 それよりも確実なのは、紀ノ国屋で白いネットに包まれているアボカドを財力にいわせて買うことだ。それなら目をつむって選んだって大丈夫。おそらく、鍛え抜かれたアボカド眼を持つバイヤーがいるのだろう。ちまたのスーパーのアボカドの4倍の値段を払う価値はちゃんとある。

 そう、アボカドに絶対はない。なのでこちらはいつだって謙虚に立ち向かわなければならない。

 いまのアヤに、覚悟なしにやたらとアボカドに手出しはするなと助言するのは酷だろうか。しかしまた、雑にまとめ売りなどをされたアボカドにうかつに引き寄せられるとも限らない。

 アヤは決して雑な人間ではないし、むしろ繊細すぎるくらいだが、いつも目の前のものを素直に信じてしまうところがある。他人にお得だと言われたらお得だと思う。そのアボカドが傷んでいるかなんて疑うことはしない。そしてその未知なる恩恵を人にも嬉々と分け与えようとする。

 そんなアヤの徳が、黒い筋となって彼女自身を覆っているいまは、何も言わないでいた方がいいのかもしれない。いつの日か、「あの時はクサってたね」と、笑える日がくることを願う。

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