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読書ノート 「なぜあの人と分かり合えないのか」 中村隆文


  なぜあの人と分かり合えないのか、嫌いだから。腹立つから。自由市場を支えるのがリベラリズムであるなら、こちとらも、リベラルに腹が立ってもいいはず、誰にも迷惑をかけていないならば。誰か私のこの稀有な腹立たしさに価値を見出して、100万円くらいで買ってくれないだろうか。


 配慮に欠けた言動や、そうした言動を許容するような商業主義は、「金持ちが生きる領域」と「金持ち以外が生きる領域」とに公共圏を分断する。その結果、人々の政治的関心をも──決して交わることのない形で──分断し、解消し難い対立を招いてしまう。互いに、共に苦労し、共に喜びを分かち合うことがなくなってしまった状況では、互いが互いを、公共的関心を共有する「隣人」というよりも、それを全く共有することのない異なる「他人」とみなすであろうし、政治もそれに巻き込まれる形で、社会的分断状況へと至ってしまうであろう。

「序章」


 「甘えている」と「いい気になってる」のたたかい


 「お金=リベラルだと思われていた商業主義」による分断の兆しが、そこここに現れてきていると著者は言う。
 教育、偏差値、大学、成果主義、外見主義、年齢主義、犯罪者の扱い、「異なる他者」との関係の構築に、ひとはどれだけ失敗してきたことだろう。ユダヤとアラブ、ゲルマンとロシア、大陸と島国、白人と黒人、東洋と西洋、侵略者と非征服者、分かり合えない理由は数多あるのに、分かり合えた事例は一握りだ。
 ルソーの主張する直接民主制、ミルの思想・言論の自由、バーリンの消極的自由にヒントがあるのだが、それらは「経済」との関連で息も絶え絶えになっていると言えるかもしれない。とりあえず、公共圏の可能性を考える上で有意義な著作である。

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