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読書ノート 「語るボルヘス 書物・不死性・時間ほか」 J・L・ボルヘス

 ノーベル文学賞作家で天才的な記憶力をもつボルヘスの小説は、極度に濃縮された文体の中にありったけの知識と教養がぶち込まれており、読む者を一種の酩酊状態にする。そんなボルヘスが講演をすると、とたんに平易に、分かりやすくなるのだからすごい。なんというか、出来が違うのだ。五つの講演。

  • 書物は人間が創り出した様々な道具の中で最も驚嘆すべきものです。ほかの道具はいずれも人間の体の一部が拡大延長されたものでしかありません。たとえば、望遠鏡や顕微鏡は人間の目が拡大されたものですし、電話は声が、鋤や剣は腕が延長されたものです。しかし、書物は記憶と想像力が拡大延長されたものだという意味で、性格を異にしています。

  • バーナード・ショーの『シーザーとクレオパトラ』の中に、アレクサンドリアの図書館は人類の記憶であるという一文が出てきますが、これが書物なのです。それだけでなく、書物は想像力でもあります。われわれの過去は一続きの夢でしかなく、夢を思い出すことは過去を思い出すことであり、それこそが書物の果たす役割なのです。(「書物」)

 

  • パスカルは、宇宙が無限なら、その宇宙は円周が至るところにあって、中心がどこにもない一個の球体であると考えました。とすれば、今この瞬間には背後の過去、無限の昨日があり、その過去はまたこの今現在を通り過ぎていると考えられます。空間と時間が無限だとすれば、いついかなる瞬間にあっても、われわれには無限の線の中心にいて、無限の中心のどこにいようと、空間の中心にいることになります。

  • 仏教徒は、われわれがこれまで無限の生を生きてきたと信じています。つまり、語の正確な意味での無制限の数、始まりも終わりもない数、言ってみれば近代数学のゲオルグ・カントールの考えた超限数のようなものだと考えればいいでしょう。われわれは今、その無限の時間のひとつの中心―すべての瞬間が中心なのです―にいます。われわれがこうして話をし、私の話を聞いているあなた方がうなずいたり、反撥を感じておられる今この時も中心なのです。 (「不死性」)

 

  • 《スヴェーデンボリほど現実に即した人生を送った人間はほかにいなかった》(エマソン)。その後、彼の身に重大事件が起こります。それが啓示です。夢の内容は公表されていませんが、エロティックなものであったことは分かっています。

  • 他界に移った人々は、なにもかもがわれわれの世界とは比較にならないほど生気にあふれていることに気がつくのです。(「エマヌエル・スウェーデンボリ」)

 

  • (エドガー・アラン・ポーが詩『鴉』のテーマを見出す経緯について)…最初にリフレイン(畳句)の効果に気づいた彼は、英語の音声学について考えはじめます。英語の文字の中で最も効果的で記憶に残る文字はoとrであることにおもい当たった彼は、すぐにnever more(もはやない)という語を思い浮かべます。…やがて別の問題が生じてきます。つまり、詩の連の終わりで、ある人物が規則的にnever moreという語を繰り返すのは論理的でないと考えたのです。その語を繰り返し使うためにそれなりの理由を考え出さなければなりませんでした。そこで、何も理性をそなえた人間に言わせることはない、それなら人語を話す鳥に言わせればよいと考えました。

  • 最初にオウムを思い浮かべますが、荘重な詩にオウムは似つかわしくないので、鴉に白羽の矢を立てます。…ともかく、そうして彼はnever moreという自分の名前を絶えず繰り返す鴉にたどり着いたのです。これが最初の着想でした。ついで、多い浮かぶ中でもっとも悲しいこと、憂鬱なことは何だろうかと考えました。それは美しい女性の死以外にあり得ません。では、その死を誰よりも深く悲しむのは誰か?言うまでもなくその女性を失った男です。そこでポーは恋人と死別したばかりの男を思い浮かべますが、女性の方はnever moreと韻を踏むようにレノアLeonoreと名付けられます。

  • 次は場所をどこにするかです。そこで彼はこう考えます。鴉は黒い色をしている、その暗さを引き立たせるにはどういう場所がいいだろう?何か白いものと対比させればいいのではないか。だったら、白い胸像のそばが良い。では、誰の胸像か?言うまでもなく、パラス・アテナ(ギリシア神話の女神、ミネルヴァ)です。では、どこにそれを配置するのか?これは書斎以外にない。詩に統一感を与えるためには、どうしても閉じられた空間が必要なのだ、とポーは述べています。

  • このようにして、ミネルヴァの胸像は書斎に置かれることになりました。書斎では、一人の男が本に囲まれて座り、失った恋人を以前にも増して恋しく思いながら嘆きに沈んでいます。ついで、鴉が登場します。なぜ窓から鴉を入れなければならないのでしょう?書斎が静かな場所なので、騒々しいものを登場させることで対照の効果を出すためです。彼は嵐を、それが原因で鴉が部屋に飛び込んでくる夜の嵐を思い浮かべたのです。

  • …知的な手法で詩を書いたのだと、ポーはなんとかわれわれに理解させようとしますが、彼の立論を少し検討すれば、その論旨がいかに怪しいものかは容易に推測できるでしょう。

  • 探偵小説擁護のために何が言えるでしょう?現代の文学は渾沌に向かっている、渾沌とした現代にあって、慎ましやかではあるが古典的な美徳を今も保ち続けているもの、それが探偵小説なのです。(「探偵小説」)


  • 時間は形而上学のもっとも肝要な問題である、といったのはたしかアンリ・ベルクソンだと思います。

  • 《時間とは何か、そう訊かれなければ、何であるか分かっているのに、人から尋ねられたとたんに分からなくなってします》と聖アウグスティヌスは言っていますが、われわれはこれからもこの言葉を繰り返し使うことができると思います。

  • プラトン…「時間とは永遠の動的な荷姿」

  • ブレイク…「時間とは永遠の贈り物」

  • プロティノス…「時間には三種類ある。それらはいずれも現在。一番目は今この瞬間、二番目は記憶、三番目は未来の現在で、期待あるいは不安が想像するもの」

  • 時間は《存在》を、継起的な形でわれわれに体験させてくれる

  • ブラッドリー…時間は未来から過去に向かって流れている。未来が過去に変わる瞬間が現在。

  • どうして時系列はひとつしかないと考えなければならないのでしょう?

  • 単一の時間は存在しない、という考え方。

  • つまり、永遠から発生した時間はふたたび永遠なるものに回帰したいと願っているのです。つまり、未来という観念は、われわれの始原に立ち返りたいという願望と呼応しているのです。(「時間」)

優しいボルヘスを感じることができます。

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