読書ノート 「超高層のバベル 見田宗介対話集」 見田宗介
日本を代表する社会学者、見田宗介(真木悠介)との対話集。
対話の相手は、河合隼雄、大岡昇平、吉本隆明、石牟礼道子、廣松渉、黒井千次、山田太一、三浦展、藤原帰一、津島佑子、加藤典洋。
フラグメントを抽出する。
今は疑似祭りばかりで、本来的祭というものはすごく難しい。そして疑似祭もやった人だけが喜んでいる。ほんとうの意味の祭として喜んではいない
病気というのは「身体の祭り」、心の病は「こころの祭り」。本当に良いセラピストは、「こころの祭り」に共感して、あとから「対決」「拒否」「意識化」したりする時にも、常に共感をベースとし、一緒に踊らなければいけない。
メディテーションは、自然に起こるもの。
現代社会は、基本的に言語化できて数量化できて測定できて顕在化できるものだけを評価するシステム。それとは逆の心理療法がそうしたシステムになってしまうことへの危惧。バベルの塔が超高層化したのが現代。(河合隼雄)
個人(主体)⇔社会(客体)という切断された発想図式の近代的な社会了解、この呪縛のうちにある限り、歴史的な社会に内在しつつ、そこから時代の総体に立ち向かう、主体的な実践の弁証法は獲得することができない。
社会そのものの存立構造、それは①即時的なゲマインシャフト(共同体)、②ゲゼルシャフト(市民社会)、③対自的なゲマインシャフト(コミュニズム)、このうち近代市民社会を歴史的な完成態としている。
物象化理論としての『資本論』の論理構成(見田宗介)
フロイトの考え方は、主体の構造論としては、デカルト的な主体了解を転倒する潜勢力を秘めている。 (廣松渉)
ロジスティック曲線:種の辿る運命についての実証的な理論。第一局面では発生後しばらくは増殖する。そのうち、環境によく適した生物種の場合、第二局面となる大増殖期を迎える。環境容量の限界に近づくと、うまくいく生物の場合は、周囲の環境に適合・共存して、第三局面の安定期に入る。第二局面の終わりに生き方の転換ができない生物は、環境資源を食いつぶして滅んでいく。人類はどちらの運命を辿るか。人類はいま第二局面の終盤に来ていると考えられる。
その曲線には二つの変曲点がある。ひとつめは「軸の時代」(ヤスパース〕貨幣経済と都市社会の成熟によって、人々がこれまでの共同体の閉鎖的な世界から解放されて、はじめて世界の無限性を知る(産業革命から第二次世界対戦)と同時にそこに投げ出されことで、哲学や世界宗教が生まれた時期。ふたつめは「現代」いわば「軸の時代Ⅱ」である。
時間の無限性と不可逆性がニヒリズムを生む(ニーチェ)。
この近代的な時間意識の萌芽は、古代ギリシアの都市社会やヘブライニズムにある。抽象的な無限性としての時間という観念は、古代ギリシアの貨幣経済と都市社会から、不可逆性としての時間、過去を帰無していく時間はヘブライニズムから生まれてきた。
情報化・消費社会の弊害・大きな限界は、環境資源問題と南・北の貧困問題。これを解決するために、情報化・消費化をラディカルに徹底させることによって解決しうる、と考える。具体的には、情報に無限の価値を与える(!)。消費をコンサマトリー(「それ自体が喜び」「即時的充足」)にする(!!)。
花が美しいのは昆虫を引き寄せるため。人間の世界も同じである。つまり、この世の中の美しいものは、他者を誘惑するためにできた。現代の消費社会がなぜあれほど楽しくて美しいかというと、資本が大衆を誘惑するために、一生懸命デザインをして楽しくて美しいものを作るからである。
ホルモン…ひとつの生体内での各部分の調和(に関わる物質)。
フェロモン…同じ種の中での各個体同士の調和(に関わる物質)。
シノモン…異なった種と種とのあいだの調和(に関わる物質)。
ペンネームとは、家出。自分を純化して開放する方法。
現代人の「内部問題」は、リアリティ・アイデンティティの解体変容と、現代人は愛しうるか、である。
ミラン・クンデラ「存在の耐えられない軽さ」 (加藤典洋)
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