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娘の進路懇談

 「おカネのことは心配いらないから」
ずっと喉の奥に、用意している言葉。
 今年21歳になる長女は看護専門学校を選んだ。大学1年生の長男は、スポーツトレーナーになると言い体育系の大学を選んだ。3人目は…?
 お金がないわけではない。もうすぐ50歳になる公務員の夫はひたむきに働き、健康で仕事も順調だ。私には専業主婦という選択肢もあったが、夫だけでは余裕をつくるとまでいかず、3人目を産んだあとからは、私も当然のように働いている。週5で働いている介護施設はもう10年目。職場は交代制の休憩時間をきちんと確保してくれて働きやすい職場だと思う。が、そのせいで50歳代のスタッフがなかなか退職せず、40過ぎの私がいつまで経っても最年少だ。力仕事の必要な職場において、20代30代が居ない職場は場面によっては地獄と化する。若者、頼むよ!と全く悪気のない言葉が、イジメか?と一瞬脳裏を過ぎるようになった今日この頃。とはいえ、面倒見のいい先輩方であるから、居心地が悪いでもない。先輩同志のいざこざで板挟みに遭ったり、先輩の自慢話を褒めたりが苦痛になることはあるが。
 子供達の夢は叶えてあげたい。だからいくらでも働くし、苦労してやれる体力もまだなんとかある。
 数年前の長女、長男の進路決定を思い返すと、あの子たちなりの覚悟というやつが親の私に伝わってきて、子も親もお互い頑張ろう、という気持ちに自然となれた。その様子を見ていた3人目だから、それなりに真剣に考えてくれているものだと…油断があったか?
 3人目になる次女が今年高校1年生になり、初めての進路懇談を迎えている。しかし、どう生きて行くか、大学へは行くか、そもそもどんなことに興味があるのか、この子は今まで口にしたことが殆どない。親に遠慮していて内に秘めた何かがあるという感じでもなく、親の目からすると、はっきりいって何も考えていない。そんな3人目だ。

 懇談は木曜の15時から15分間程度で、ということになっている。仕事は午後休をとって13時に上がってきた。曇りの予報だったが雨がぱらついてきて、足早に帰った。誰もいない昼の家に帰ってきて、冷蔵庫にあるもので簡単に昼食をとり、身支度を済ませ、学校へ向かう。なんだか、今日は特別な日のような気がする。
 自転車で行けなくなったから、早めに出よう。予報と違う天気。予想しないことが起こるかも知れない。乗る予定だった自転車はガレージに置いて、朝の予定には無かった傘をさし、徒歩で20分の学校へ早めに向かった。
 途中にある駅前まで来た。ここは最近、お洒落なカフェなどが次々オープンしていて、少し寄り道したいなという気持ちが生まれることは自然なことだ。昼食は自宅で食べて来たが、お腹が落ち着いて来て、正直、ちょっと眠気がさしてきた。コーヒーの一杯くらい飲みたい。ここを過ぎると学校までは5分。まぁまぁ順調に、というか早めに来すぎたかもしれない。この調子で歩くと、学校に着いてから30分は時間を持て余してしまう。ちょっと眠気覚ましに、ブレンドコーヒーを啜っていこう。

 それにしてもこの1週間は、娘と進路の事、結構真剣に向き合ったな。はじめの方なんて…、進路懇談に向けて娘の口から飛び出す「夢」というやつが、突拍子もない方向に跳ね回るから…、調理師になりたいとか、YouTuberやってみたいとか、スタバの定員やってから考えたいとか、水族館のイルカの調教師に憧れているだとか。わかっている、どれも間違いではない。けれど、これではあまりにも考えていないな、と感じてしまう。とりあえずこれにしておこう、という行き当たりばったり感と、決めたら決めたでそれで満足してしまって、それ以降調べようともしないズボラ感。私はなんだか不安になってきた。そして、末っ子の彼女に珍しく激昂したのは月曜のこと。
「おカネの問題では無いの!!もう少し真剣に考えなさい!!自分の人生でしょ!!」
 娘はその日から今日までの数日間、食後をいつものリビングではなく、自分の部屋で過ごした。勉強机に向かってキャンパスノートを開き、なにかを考えている。次女と同部屋の長女が気を利かせて様子を報告してくれた。ノートの中身は見ていないが、表紙には油性マッキーで「人生設計ノート」と書いてあったらしい。
 彼女なりに考えてみた人生設計を、懇談ではじめて聴くことにしようと私は思った。彼女なりに考えてまだおぼつかない人生設計案を、松田先生と親の前で、精一杯発表するのだ。あの子の成長にとって神聖な儀式のような気持ちで当日を迎えた。
 F1レースのピットインよりは寛げたかと思うが、時計を見ながら忙しく啜り終えたブレンドコーヒーは、本当に眠気覚ましの役割しか担っていないなと感じた。お会計を済まそうと財布を開いたとき、ふいにお札と共に入れてあるくじ券が見えた。
 店を出てすぐのところにある売り場は、誰も並んでいない、ちゃちゃっと済まそう。活発で気の良さそうなおばちゃんがいらっしゃいまぁせ!と言ってくるのに被せて、これ当たってるかわからないのでお願いしまーす。と10枚3000円分のくじ券を委ねた。

 さすがに時間がない。ダッシュで学校へ向う。息を切らし、頭が真っ白、でもとりあえず時間に間に合うように走らなきゃ。頭の中で、尾崎豊15の夜のサビが流れていた。

 懇談開始には3分遅れてしまった。雨に濡れ、息を切らして勢いよく入場した私のことを、2人とも責めなかった。むしろ労ってくれた。

 担任の先生は、長女のときにもお世話になった松田寿郎先生。包容力のある優しい笑顔のベテラン先生。少しホッとする。
 そして娘の人生設計発表は、松田先生の質問に答えるかたちで始まった。予想していたより、細かいことまで考えられていたようだ。途中何箇所か、ん?と疑問が浮かぶことはあっても、そこまで真剣に向き合えている彼女の姿は、私だけでなく松田先生にも新鮮に映ったようだった。窓ガラスにあたる優しい雨音が包む教室で、人生設計をおぼつかなく熱弁する彼女は、とても眩しかった。
 娘は友達と自習室で宿題を片付けてから帰るという。帰りは雨が止んでいた。


 カバンの中にしまった書類にもう一度目をやる。夢ではないのだな。
 人生設計を考えよう。夫にも相談しよう。子供たちの進路にも影響するかも知れない。

 どうやって使うべきかよく考えよう。あわてず、無駄遣いせず、なんなら使わなくてもいい。よくよく落ち着いて困ったときだけ使うようにして…

…夢ジャンボ…1等7億2000万円…

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