傷と傷跡と…
こんなに長くNoteが開けられない日々は想定外でした。リモートの仕事中心の生活になり、もう少し仕事以外のことが出来る時間があるかと思っていましたが、時間的なゆとりに飛び込んで来るものは正直「あまり歓迎したくないこと」が優先…。(これについては最後に少しご説明しますが…)
お仕事は在宅中心だと、可能な限り研修やリモート対応のものを積極的にお請けしないと家計にも関わってくるので、気付いたら「1日3件」リモートのお仕事だったことも珍しくなくなってきました。
そんな日々の中、全国的に大雨による河川の氾濫で水害が多発していることが気になっていました。台風の季節がいつの間にか始まっていて、夫の実家である能登半島に“大雨や台風の影響がなければいいな…”と願っていたところでした。
ところが、願いは無残にも打ち砕かれました。
大地震からの復興に向かって落ち着いて歩き始めた能登に、再びの試練です。今月の初めに撤退した自衛隊の皆さんにも、再度能登を助けていただくために集結していただくことになるなんて…。暑さもおさまり始めるこの時期…地震からの復興に向けた活動もようやく捗るであろう季節を迎えるのに。朝晩の冷えは、きっと首都圏よりも先にやってくることが心配です。
お年寄りがたくさん被災されていることも気がかりです。季節的にインフルエンザや完全終息している訳ではないコロナが、避難生活で感染しやすくなることを「被災しながらどれだけ防げるか」専門家のお力も含めて、ご配慮をお願いしたいところです。
傷ついた被災地に、傷が癒えないうちの再びの災害。遠く離れたところで何不自由なく生活していても、見慣れた景色がなくなってしまったことや、その土地を愛して“ずっとここで生きていくことを信じている”人から、大切な人や想いを失った人がいると思うと哀しくて仕方ありません。
結婚してご縁があって「私のふるさとになった能登」もしかするとそれはふるさととは言えないのかもしれません。それでも、結婚するほどの縁があった夫を育てた能登は、広い日本・大きな世界で見たらやはり「特別な絆があったところ」であることに間違いはないと思います。
お正月の衝撃。その後続いた義父母の死。思いがけず震災後3ヶ月の能登に行ったこと。能登に縁があるものの、微妙でかなり「一方的な繋がり」を感じている私なのに、心はかなり被災していたことを後になればなるほど実感しました。夫の実家(古くなり空き家でした)や義父母が住んでいた家の“これから”や、壊れたお墓の修理などのメドが早めについたことで少しずつ心の傷も癒えていたのに、今回の奥能登の水害は傷を開かれて塩をブチこまれるような想いです。
(夫の実家は能登でも南なので、今回の大雨の影響はほぼありません)
傷ついたところは強くなるということを聞いたことがあります。長く生きていたら、多少ケガもしたりして傷が残ることはしかたないかもしれません。
壊れるとか失うということを今年はお正月から経験しました。その中でも「大切な人」を失ったことは心に傷跡を遺しました。親との別れはいつか迎えることですが、災害でお子さんを亡くされた親御さんがいらっしゃることに心が傷みます。
心は傷を受けても「より強くより優しくなるもの」だといいなぁと思います。水害発生のニュースを観た友達から“ご実家は大丈夫なの?ご親戚は困ってない?”と連絡をもらいました。傷を負って傷跡を抱えても「立ち上がろうとする気持ち」を持っている姿は、誰かが見守ってくれて手を差し伸べてくれる…。
じつは今わが家は息子の体調不良と格闘中です。コロナ後遺症で自律神経に影響が出て、抵抗力も低下したタイミングでウイルス性胃腸炎を2回起こして今も普通の食事が摂れません。水分は飲めるので入院せずに自宅で食事管理。レントゲンを撮っても「決定的な悪い箇所」がなく、数種類の薬が頼み。
ぽっちゃり気味の身体はしぼみ、胃をかばう「油と繊維を控えた」離乳食のような食事が2ヶ月目に入りました。私もキッチンにいる時間が長くなりました。(リモート対応中心の勤務のときでよかったです)先の見えない闘病生活に一家で立ち向かっています。私は仕事柄「食で寄り添うこと」は出来ますが、医者ではないので「只息子の不安を受け止めるしか」出来ませんが、
必ず「元の健康な身体を取り戻すこと」を信じて出来ることを続けるだけです。
傷には“痛い!”って言っていい…。傷跡は隠さなくていい…。
がんばろう能登!ここからみんなで「平和なお正月」を目指しましょう。