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1万円 が運んでくれた喜びに気づく回

 イベントのボランティアスタッフのお誘いに協力のお返事をしたら、1万円のチケットだった話の続きです。
 「アホな大人を楽しもう」「わくわくを一緒に」なんていうレベルじゃない何かが、音を立ててやってきます。という設定です。
 諭吉さんお元気ですか。
 私は一喜一憂を旅しております。
 今日は、喜びに気づいたことを書きます。


スタッフグループに参加してはみでる

人を応援することは、潜在的に自分を後押ししていく

 グループに公開された講演者の方と主催者の方との対談を拝聴しました。その中で、zoomの背景は言葉がなくとも見ている側に印象を与え、イベントを盛り上げていく大切な素材になる旨をアドバイスされておりました。できればその背景素材はプロに依頼し、その影響をスタッフグループに学んでもらう良い機会でもあるとのこと。主催者の方は、スタッフグループに依頼をしたいようでしたが、私の勝手な印象として「スタッフはプロじゃないから無理よ」と言われているように感じたのです。
(私の持っている意識が勝手に感じただけです)←きっとココだいじね

私にスイッチが入った

 即座にcanvaで作成。できると思ったから。
 0スタートを1にした、独学のレシピ開発や広告業務はプロに引き継がれた。子育て中の妊婦なのに、田舎で1000人集客のママイベントを作ったり。好きじゃないとやれないことをやった。
 (いや、むしろそれしかできないんじゃ?笑)
 
 「スタッフにもプロ(それっぽいレベルの)いるぜ、なめんなよ」ばりの豪速で、印象を画像に変えて投稿する運びとなりました。もちろん、使う使わないはどちらでもいいことで、私にとって重要だったのは、その制作を即実行することでした。なので、その後プロに依頼していただいて、全く構いません。
 「経験者じゃないと」の言葉に、スタッフの力量の見積もりを感じてしまったこと。それにプロといってもお手軽なココナラであり、それなら自分もと思えたこと。依頼して出来上がるよりもどれだけ早く行うかが勝負に思え、気づいた時には沸いたイメージを作っていました。
 「残〇〇人」っていうのも入ってるといいねと言っていたので、イメージで当時の数を書き加えました。

勝手な応援

 私が応援しているのは、主催者の方、、なのかな?仲間の繋がり、自分のブロック壊し、がんばれーって思います。
 こんなの作ったよーって見せたら、メイングループに投稿して!と喜んでもらえたので早速送りました。
 メイングループのメンバーからいいねのボタンなどいただき、反応があることって心強さと嬉しさに溢れ、勢いがでるなぁと実感。密かに「ウケるね」ボタンを自ら押してみると、同じ反応が増えました。楽しいし嬉しい〜っ♪

 スタッフグループの投稿に予祝が続いていました。
 「やった!〇〇人達成!」
 これに私が投げたのは、上記の背景に主催者を合成したもの、さらに
 「キターー!残り 1人」
 
 ウケるねやハートのマークが並び、
 楽しい!と遊びを楽しんでくれて、私も楽しかった!


勝手に沸いたものの中にある、自信!

 頼まれたわけでもないけど、自分が「できる!」と思って勝手にやったこと。「1万円でよろしくお願いします」ときたら、果たしてできただろうか。
 「わわわわ、私がですか?!」的に、自信無い人になっていたと思います。
 
「0円だけどよろしくお願いします」だったとしても、
 「わわわわ、私で大丈夫ですか?!」的です。
 0円なら自信があったというわけでもなさそう。

勝手な私を、そのままに泳がせてくれてありがとう。
はじめて、自信満々だったと思う。
だって、ずっと独学で磨いてきたものだったんだもん。
それに、楽しい気持ちの時に作るもので、楽しい気持ちを起こしてきたのは実績と言っていいと思ったんだもん。
勝手に動くって、本当に万歳!そういう時はアイデアが勝手に浮かぶ。それは自分でもとても楽しい!


盛り上がり切るための、極上の言葉

「ここでは何をしてもいい」

自分の好きに動いていいという信頼は、とても嬉しい。
所属していて、存在を任されていると、これができると思う。
大いに動けるジャンプ力を発揮することができた。これは全く同じく会社員の時も大きく会社を動かせた。互いの信頼が前提にあって叶うのが、これ。
「ここでは何をしてもいい」
盛り上がり切るための極上の言葉と思う。

「ここではこうしてほしい」

一方で好きに動かれることは、とても怖いことでもある。
良いハプニングだけでなく、悪いハプニングも起きるかもしれない。
言葉に書くと、当たり前に見えるし、目的にも読める。
その場所を作る人の、言わずとも反映されてしまうのが、これ。
「ここではこうしてほしい」
盛り上がり切れない時に潜む、微妙な言葉、、なのかもしれない。

「ここにいるだけでいい」

なんて嬉しいことでしょう。と思うのですが、これが前提であった場合のこと。
例えば、「ここではこうしてほしい」それができなくても「ここにいるだけでいい」というのは、やっぱり振り切れないものがあると感じます。
本当は買って欲しい、それができなくても会員になるだけでいい、というのは、、、使うタイミングを間違うと誤解を招くかなと思うわけです。

極上にあって、ごく難

「ここでは何をしてもいい」
簡単なように書くけど、これは心情的に、本当に難しいんじゃないかな。
この言葉のままに応援してくれていた当時の上司と、
これを前提にしているオンラインサロンに入っていて気づける。
そういえば、私の母もまた同じなのかもしれないなぁ。。。


次回、傲慢に気付いて落ちこみます。笑
続きが書けたら、ぜひ^^

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