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スーさんプシュっとチフク

何のことかおわかりだろうか?

これは、過去形edの発音がdではなくてtになる場合の覚え方である。

例えば、passパ「ス」、hopeホウ「プ」

washウォ「シュ」watchウォ「チ」、

laughラ「フ」、askアス「ク」など

これらは、あとに続くedの発音が全て「t」になるのである。面白いと思っていただけたなら、幸いである。

単なる語呂合わせだ。だけど、子供たちにはバカウケだった。私の授業に遅れる子、欠席する子はほぼ皆無だった。

授業中の私の脱線が大好きみたいで、センセーならさんまと勝負できるとよく言われていた。

無味乾燥な中学英語をなんとかしたくて、私は次から次へとこういった手法を繰り出していた。

高校生の英語も特に英文法 などは、私は根本から作り替え、短期間に全てを把握させるようにしていった。

関西中心だったが、私の教え子は京大から四私大(関関同立)まで、毎年8~9割は合格していった。

とにかく、近くに大手塾はあったが、私の塾は大にぎわいだった。

新聞社が二度ほど取材に来られたことがある。取材は嫌だった。だが、強引な女性記者に押しきられる形で応じてしまった。でかでかと、新聞に載ったときは、さすがに自分自身引いていた。f(^_^;ヤメテ

さらに、本にも載せられてしまった。

それに気づいた元教え子たちから、手紙が届いたりした。嬉しそうだった。有り難い。

俗にいう悪い子たちを家で預かっていたことがある。三人ほどを、三年丸々お預かりしたこともある。

最初の頃は、反発はすごかったが、少し経つと、彼らはあっと驚く変身を遂げていった。

学校の番長だったある子は本当に恐れられていた。私でさえ、その子は完全になめていた。

が、その子は卒業の時には私に土下座をしてきた。泣いていた。嬉し泣きだった。

預かった子達の個性は強烈で、ナイフが飛び交うことさえ起こった。私は完全にキレた。静まりかえった。

全員を深夜私の車に乗せ、遠くまでドライブに連れていった。途中屋台のラーメン屋があったので、全員で食べた。みんな黙々と食べていた。見ててなぜかホッとした。

それ以降、彼らの態度は激変した。可愛いやつらだっだ。大好きな連中だった。

休みに昼寝をしていたら、私の腕の中で中学生のある男の子が泣いていた。「パパ」と言ってその子は泣いていた。私は寝たふりするしなかった。その子は私に一番反発している子だったのだが、私も思わず涙しかけていた。

何の話なのかまたもやわからなくなってきたが、まあこれでいいのかも。

これで終わります。


ではでは


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