後輩の訃報が届いたはなし

業務中に後輩の訃報が届いた。直属の後輩ではなくて別チームだが、同性の唯一の後輩だった。中途採用の彼は年上で、でもそんな雰囲気はなくて、物腰も柔らかく間違いなくうちの会社に向いているタイプだった。

死因はとある感染症だった。致死率が高く、症状が出てからあっという間に深刻化するという非常に無慈悲なものだった。

その訃報が届いたタイミングは同期ととある会議をしていて、会議が終わったタイミングで同期の1人がその訃報に気づいた。全員がショックで固まり、目に涙を浮かべ、その場に固まってしまった。身近な死というものに慣れることはないのだと感じる。祖父のように死期の近さを悟った死でもかなりダメージがあったのだが、後輩の死はまさかで、病弱なイメージもなく、最初にその文言を見た際には文字を文字として受け入れられなかった。

いま1年目の後輩はうちの部署には計3人いて、今回の訃報を受けて残された2人のことが心配になりメールを送った。もし自分の同期の1人が突然死を迎えたとしたら、恐らく尋常ではないくらいに悲しみに暮れるだろうことを想像すると、何もしないではいられなかった。返信不要ですの使い道を始めて知った。本当に返信不要だと願った。

訃報が届いた後のオフィスはしんと静まり返っていて、仕事も手につかず、新年会も予定されていたのだが、お酒を飲む気分にもなれずそのまま自宅に帰った。フジテレビアナウンサーの宮司さんのPodcast#12を聴きながら帰った。無音では到底帰れなかった。本当にありがたかった。

来週の月曜日はとりあえず出社しようと思う。残された後輩が出社するかは分からないけどとりあえず会社にはいようと思う。こういった経験を今後もするのかもしれないと思うと苦しい。慣れることがないことも明白すぎる。

私たちは生きるしかない。前に進むしかない。今は推敲せずに思いのままを記録してみた。ちょっとだけ楽になったかも。

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