サドル狂想曲(番外編)青葉と恭平のオフィスラブ34  苦いイベント

「 このカード、今度から使ってくれ 」

フレンチを食べてタクシーで私のアパートへ着いた後、雄太さんがクレジットカードをベッドの上にポンと置いた。手に取ると、外資系高級信販のブラックカードだ。しかも私の名前が刻印してある。
「 何ですか、これ、私の名義? 」
「 俺の身内が使ってる会社だからちょっと無理を言って家族会員扱いで作ったんだよ。ここに置いてる下着とかスーツとか洗濯に出すとき使えるだろ 」
「 こんなカード使えないわ 」
「 なんでだよ… いちいち金を渡すの面倒だし、それで青葉の欲しい服とか宝石を買って見せてくたらいいよ。俺も楽しいし 」
 私は呆れてカードと雄太さんを交互に見た。お金持ちの発想というか、常識が違うというか… でも突き返したら怒らせてややこしくなる。
「 わかりました。じゃあこれは預かります 」
 一応受け取って、カードはパスケースに入れる。満足そうな雄太さんの顔を見てとりあえずは安心。カードは貴重品の棚に入れて封印しよう。
「 でもね、スーツのしわはアイロンで伸ばせるし、下着は私が洗濯するからあまりカードは使わないと思うわ」
「 そう、それそれ 」
 雄太さんはうれしそうに私を抱きしめるとベッドに押し倒す。
「 俺と青葉のパンツがイチャイチャしながら洗濯機の中で回ってるとこ想像したら嬉しくて、アメリカの市場でデイトレやってる時一瞬決済が遅れて800万円損しちゃった。青葉が可愛すぎるのも困ったもんだよ 」

 あのね、そういうのは思っても口に出さないんですよ、課長補佐… 変態丸出し職務怠慢で引きます…

 
 ご機嫌なキスの雨を受けながら、私は週末の見本市を思い出した。土曜日は仕事だ。
「 ね、雄太さん、私土曜日はイベントのお手伝いで仕事なの。金曜はお泊りは無理だからごめんなさい 」
「 イベントって、品川ロイヤルホテルでやる内覧会か 」
「 ええ、女子社員がけっこう接待で動員されて… 」
 恭平さんのことは話さないでおこう。思い出して顔に出てしまう。
「 じゃあ留守の間俺が青葉の部屋を掃除してやるよ。俺、そういうのめちゃくちゃ得意なんだ。自分の部屋はやりつくしたし、ここあちこち汚れてるからやりがいあるよ 」
「 嫌です。そんなことしないで 」
 これはきっぱりと断る。留守中に部屋をいじられるのは不愉快だし、それに…
 私の語気の強さに雄太さんは少し驚いている。この人、相手の気持ちを考えて発言する想像力が少し足りないんだ。やっぱりお金持ちの一人息子だな。でも、その屈託なさが良い所でもあるんだけど。
「 代わりに送り迎えしてほしいの。朝は時間がないし帰りは疲れるし 」
「 いいよ!何時に迎えに行けばいいかまた前の日に教えて!」
嬉しそうな雄太さんの顔を見て安心してから部屋を出る。リビングの収納ボックスからバスタオルを取り出した後、私はタオルの下から新聞紙にくるまれた包みを手に取った。
 開いたら、片方しかないピンクベージュのパンプスが出てきた。あの日横浜の港で倒れた時、片方はその場に落としてしまった。もう使えない靴だけど捨てられない。恭平さんが買ってくれた、一番好きな靴だもの。これを見られたら、雄太さんにバレてしまう。

 まだ、私が恭平さんを忘れられないことを。そして苦しんでいることを。

 急いで靴をしまうと、私はバスルームへ駆け込んだ。


 土曜日の見本市は、思っていた以上に盛況だった。

 「 クロードべス社の掘削機は今回大きくキャンペーンを張っていますが現行モデルは2014年から更新されていません。アメリカ国内の在庫を売りたい思惑があるようですし、部品も数年以内に製造中止になります。今買うのであればそれなら 」
 数人のクライアントの前で私はタブレットを見せた。
「 スイスのモンテール社製の最新モデルがお勧めです。値引きは低いですけど部品の交換保障が10年です。ヨーロッパで評価が高いですから株価もこの通り上がってきています」
「 だが国内での実績は少ない。クレーム対応が遅いと現場は困る 」
「 ご安心下さい。来年日本の現地法人が立ち上がるまでは弊社が窓口で随時交渉を代行します。」
「 うちは公共事業が主だから特殊な建設機械が必要だが去年は出展が少なくて困ったよ 」
「 トンネルやダムの大型機械でしたら国産がベストです。永和産業は中小企業で今回は出展されていませんが青函トンネル建設では湧き水対策に合った大型掘削機を提供しています。お名刺いただけたら後程資料をお送りします」
 お客の頷く仕草に背中を押されて私はどんどん質問に答えていく。昨日はほぼ徹夜で参加企業の概要と担当者を覚えてきたから、話も弾んであっという間に時間が過ぎる。営業は初めて体験するけど、すごく楽しい。お客のニーズを見定めて提案できた時の達成感が半端ない。終了時間までに私は30人の担当者と名刺を交換した。

 「青葉、私先に帰っていい?東部興産のイケメンと情報交換会で1階のカフェでお茶飲むから、じゃあ 」
久美子は完璧な好感度ナチュラルメイクで決めたドヤ顔で走っていく。こいつ、多分下着も勝負服だな… 

 お客はもう帰って、男性スタッフに交じり片付けをする私に広報課長が近寄ってきた。ものすごく機嫌良さそう。
「 北岡君、すごい活躍だったね。お客さんがみんな褒めてたよ。事務職にしておくなんて勿体ないと言われて私も鼻が高かった 」

「ありがとうございます」
嬉しかった。上司に褒められるなんて初めて。それに、こんなに仕事が楽しいと思ったのも初めて。今日は一人で祝杯を上げようかしら。ネットでおひとりさま歓迎の居酒屋探して飲もうかな。久美子をSNSでからかいながら、今日は終わろう。
 
私は、片付けたポスターやチラシを入れた段ボール箱を抱えて控室に入った。これを置いて着替えて、街へ繰り出そう。今日は、とても充実してる1日だった。

控室に入って荷物を下ろした。さあ帰ろうか。すごく素敵な1日!
「青葉」
声に振り返った。恭平さんが窓際で立っている。シルバーのスーツ。私がよく知っている、大好きな勝負服。

恭平さん、そのスーツ私は一番好きです。だから、大切な時は着てください。

分かったよ。ありがとう!青葉!

そんな会話も、もう忘れた。

なぜそこにいるのだろう。

荷物を置いて、私は彼と向き合った。




 

 

 


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