サドル狂騒曲57 慟哭と絶叫

 天雅の打ち下ろした包丁は雄太の左肩を直撃した。しかし、刃は革製のブルゾンについていた真鍮製の飾りに当たり、防護用に厚く作られた表地を半分切ったところで止まった。真っ二つに割れた真鍮の欠片が飛び、雄太の頬に当たると幅2センチの切り傷から赤い血が走った。
 雄太が左手の甲で激しく天雅の手首を叩くと、包丁は手から落ちて床を滑った。そのまま、雄太は両手で天雅の首を握った。
「 青葉はクラブハウスのどこにいる 」
「 離せ… 」
 天雅は雄太の手をほどこうと必死で抵抗するが、雄太は黙って細い首を締めあげる。天雅の悲痛な呻き声が響いた。構わず雄太は頸動脈を圧迫し喉元を押さえつけた。天雅は目を閉じた。
 瞼が上がらない。息が出来ない、死ぬ…
「 青葉はどこだっ! 」
 雄太の一喝にかろうじて白目を剥いたまま、天雅は右手で弱々しく指を3本立てた。再び青葉の携帯が鳴り始める。雄太は電話を取った。「如月チーフ」の表示。雄太は通話ボタンを押した。
「 恭平、俺だ、すぐクラブハウスの3階へ行け!青葉が危ない、俺も後から行く!」
 電話を切ってポケットに押し込むと雄太はレザーパンツの尻ポケットからキーケースを取り出した。天雅は仰向けのまま失神している。

 許さない。お前が今生このクラブに現れる事は、絶対許さない。
 
 ケースからナイフの柄を出し親指ではじくと銀色の鋼が鈍く光を反射する。雄太が天雅の青白い頬に別れを告げると、刃先が音もなく空を切って踊りだした。



 奥のドアが開いて、幣原という男が再び現れた。黒いタキシードと蝶ネクタイの正装を一分の隙もなく着こなしてる。私は渾身の力で睨み返した。
「 おお、まだ私に抵抗する気力があるとは… 元気が良すぎるのか、阿呆なのか 」
 ムスクの強い香水が鼻を覆う。私は思い切り声を張り上げた。
「 こっちに来ないで! 触ったら、死んでやる!」
「 うるさい娘だ。黙って私のペットになれば可愛がってやるのに 」
 テーブルの上にある何かを手に取った、首輪のついた鎖と手錠… 私は恐怖で顔が引きつる。幣原は私の首に首輪をはめて両手のベルトを外すと、両手を後ろに回して手錠をかけた。ものすごい力… 両足首のベルトも外され、私は鎖で引っ張られ床に引き下ろされる。ひどい、まるで動物を扱うようなやり方だ。

 「 まず挨拶を教えてやる。正座してこちらを向け 」
 「 嫌よ 」

 鎖が引っ張られて私の首に激痛が走る。私は何とか踏みとどまろうと自由な両脚を踏ん張った。言うことなんか、聞くもんか。でも、上手く力が入らなくて、幣原の方へ体が…
「 あまり乱暴はしたくないのだ、わからんのか?」
黒く長い何かが顔のすぐ横を走って鋭い音を立てた。鞭だ。全身に寒気が走った。鎖と鞭を持った幣原は、立ち上がって私のすぐ目の前に来た。楽しそうに笑っている。怖い。でも絶対にこの男には負けない。
「 どうぞ、その鞭で打って下さい。死んでも構いません 」
「 見栄を張るな。これはプレイ用の玩具ではない。骨折するぞ」
「 死ねば天国の父やおじいちゃんに会えるわ。その方がずっと幸せ。あんたに犯される前にあの世に行けたらその方がいい。貴族か金持ちか知らないけど、こんなことをする人間を愛する人なんていないわ。あんたなんか最低のろくでなしよ 」
幣原の顔から笑いが消え、鞭を床に捨てると私の胸を足で踏みつけた。
「 痛い! あああああっ! 嫌あ! 」
思わず絶叫しても、固い靴は容赦なく小さなおっぱいを押しつぶす。
「 私は屍姦の趣味はないのだよ。残念だな 」
首も胸もちぎれそうに痛い。ダメ、気を失いそう、そうしたら、処女を奪われてしまう。
「助けて! チーフ、助けて!」
私は力の限り叫んだ。きっと助からない。でも何もせずこの男に好きにされるのだけは嫌。もう気力も体力も限界を超えている。
ああ、意識が、遠くなる。 如月チーフ、進藤チーフ、ごめんなさい、私はもうあなたたちに会えません… 

 涙が出そうになるのをこらえて目を閉じると笑い声が聞こえた。私は笑いものにされて死ぬ。ごめんね、父さん、おじいちゃん…


クラブハウスのエントランスホールに駆け込んだ恭平は耳を澄ませた。

今のは青葉の声だ。間違いない。

ハウスに人影はない。天蓋を飾るシャンデリアの明かりだけが煌々と古い調度品を照らしている。階段を登ろうと手すりを掴んだところで雄太が飛び込んで来た。
「 天雅が、青葉を幣原卿に売った 」
 衝撃で恭平の顔が青ざめる。
「 そんな… 」
「 あの人は鬼だ。逆らったら命が危ない 」
「 今青葉の声がした。まだ生きている 」
2人は同時に階段を駆け上がった。けたたましく軋む木の音を従えて3階まで一気に上がると、2人はまっすぐ突き当りの部屋へ向かった。
「 青葉!いたら返事しろ! 青葉!」
雄太の絶叫が廊下に響いた。樫で作られた重厚な貴賓室の扉の向こうからは物音ひとつしない。だか気配は感じ取れる。青葉と幣原が中にいるのは確実だ。雄太は深呼吸をして息を整えた。

「 幣原卿、指導員の進藤と如月です。お目通りをお許し願えたら光栄で  す 」
「 許す。 鍵はかかっておらん。入れ 」
 幣原の低く威圧的な声がドア越しに届いた。
 雄太と恭平は顔を見合わせ、頷いた。
「 失礼いたします 」
雄太はドアノブに手をかけると、恭平と共に頭を深く垂れたまま静かに扉を開いた。





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