サドル狂騒曲(番外編)青葉と恭平のオフィスラブ29 新しい夜
目覚めると私は大きなベッドに寝かされていた。病院の固いリネンと違う柔らかい肌触りのシーツとふんわりした枕。服も丈の長いパジャマに変わってる。これ、多分シルクだ。左側はソファーセットと大きなテレビがあってその向こうには一面の大きな窓。その向こうに照明に照らされた広い芝生とプールが見える。もう真っ暗。今何時だろう。
右に寝返りを打つと、パソコンや本の並んだ書斎スペースがある。壁側にバーコーナーがあってお酒やグラスの入った棚が並んでその奥には透明なガラス戸で仕切られたシャワーブース。ちょっと待って。ここどんだけ広い部屋なの?私はゆっくり起き上がった。
パソコンの置かれたデスクの反対側に、細長いカウチがあってそこで誰かが寝ている… 進藤課長補佐だ。ラフなTシャツに短パンに着替えてるけど長くて引き締まった手足を窮屈そうに縮めてる。そうか、ここは彼の部屋なんだ。
「 課長補佐、起きて下さい 」
軽く腕が動いて課長補佐は目を開けた。右手の腕時計に目をやると大きく伸びをして上体を起こした。
「 午前2時か。結構眠ってたな 」
「 すいません、ここは課長補佐のベッドなのに 」
「 あれから車で俺の部屋まで運んで、かかりつけの医者に往診に来させた。過呼吸で一時的に意識が飛んだだけだ。頭も打ってないし良かったよ 」
課長補佐は笑って立ち上がるとデスクの煙草に手を伸ばした。エアコンの効いたひんやりした空間は快適で、最期の光景が悪い夢みたいに思える。でも、私は全て覚えている。私と恭平さんは、完全に終わってしまった。最後に笑うことすら出来ず終わった1年と7か月の恋。もう彼の顔は思い出したくない。私たちはお互い別の道を歩いていく。恭平さんの後ろ姿を追いかけることはもう出来ない。それでいい。やっとエンドマークを付ける日が来たんだ。
「 腹減ってないか。昼から何も食ってないだろ 」
「 いえ、それより私の服は… 」
「 とりあえず洗濯に出した。あさイチで届くはずだよ。下着も一緒に持っていかせたから 」
「 えっ、し、下着も?」
慌ててパジャマの胸から中を覗くと、新品の可愛いブラとパンティが見えた。一気に顔が赤くなる。
「 これ、課長補佐が服を脱がせたんですか?」
「 俺じゃない。うちの女中達が体を拭くからって脱がせて着替えさせたんだ。出入りの百貨店にとりあえず一通り持ってこいって届けさせたけど、気に入らなかったら申し訳ない 」
いや、そんな女中なんて人生で初めてリアルに聞くフレーズです。しかもこの部屋、ほんっとに広くて豪華。シティホテルのスイートなんて目じゃない。課長補佐って、マジのおぼっちゃまなんだ…
「 私、どうしたらいいですか。こんな迷惑をかけて皆さんに謝らないと… 」
「 いや、寧ろうちの女どもは大喜びしてたぜ。俺が女を連れてきたのはこれが初めてだからきっと彼女と勘違いしてるんだろう。めんどくさいから説明しなかったけど 」
課長補佐は煙を吐くとリモコンを取って間接照明をつけた。埋め込み式のライトが淡く室内を照らす。胸元からふわっと甘い香りが立ち上った。気を使って綺麗な体にしてくれたのかしら。何だか、全身が熱い。離れたところにいる課長補佐から漂う男っぽい匂いが気になって、息を潜めてしまう。課長補佐も何となく気まずそうで、やたら煙を吐き散らしながら私から目をそらしてる。真夜中に突然二人きりになるなんて予想もしてなかったし、どうしていいかわからない。でも、今私に彼氏はいない。気付いてる。さっきから小さないたずら天使が私の周りをクルクル回っているのを。
「 コーヒー淹れてやるよ 」
課長補佐がしびれを切らしたように声を出した。
「 こっちへ来てください 」
天使たちに背中をくすぐられて、喉にひっかかっていた言葉が飛び出した。
課長補佐はベッドの端に座って私を見た。どうしよう。寂しそうな心配しているような切ない目が、愛しい。.
「 恭平さんとは、お別れしました 」
「 そうか 」
「 もう何の未練もありません 」
「 … 無理するなよ 」
返事の代わりに微笑んだ。真顔になった課長補佐は、私の真横に来て手を握った。
「 俺と、付き合って下さい 」
「 … 大切にしてくれますか 」
「 当たり前だろ… 」
私はゆっくり課長補佐の胸に体を預けた。シルクの布ごしに伝わる体温は温かかった。少しいがらっぽいキスはぎこちなくて優しい。遠慮がちに絡まる舌で愛を伝えあうと、私たちは白いシーツの海に倒れこんだ。
唇を重ねたまま課長補佐はベッドの上に手を伸ばした。カチャリと音がして、窓のカーテンが静かに閉じていく。
愛してるよ、青葉。俺だけのものだ。
聞きなれた声が耳をかすめて消えて行った。胸が震える。でも、もう探しはしない。
代わりに細く固い背を、私はしっかり抱きしめた。
続
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