サドル狂騒曲61 新しい人生、孤独な花嫁

 数年来の寒波に見舞われた東京だが、大晦日の夜は繁華街や神社に多くの人がごった返し、それぞれの場所で新しい年を迎える活気や喜びに溢れていた。日付が変わる頃には雪がちらつき始めたが、寒さよりも雰囲気を盛り上げる演出になって、街角ははしゃぐ人々の喧噪で凍える空も明るく華やいでいた。

 雄太と恭平は寝室でベッドに横たわり、いつものようにそれぞれの時間を過ごす。恭平は本を読み、雄太は煙草を吸いながら海外の馬術競技の録画を観る。二人とも何も話さない。だがお互いを感じながら過ぎていく時間が溜まった緊張や疲れを溶かしてくれる。言葉や仕草で愛を確かめ合う必要はもはやなく、固く結ばれた心は無償の永遠を描き続ける。これ以上足すものも引くものも存在しなかった。
 しかし、青葉の存在は雄太と恭平の関係を新しい世界へ飛ばしていった。孤独や偏見、邪な無理解から互いを守るために心に鎧を重ねて生きてきた二人は今、余計な物全てを脱ぎ捨てて青葉を包んでいる。そして青葉はただ弱く守られる存在ではなかった。雄太も恭平も青葉の剥き出しの純粋さと強い輝きに魅せられて、その中に失ったものや求めていたものを見出した。性別や年齢を超越して3つの魂は熱く共鳴をする。青葉から湧き出る儚さとエネルギーは二人の青年に生きる意味が何であるかを啓示し、同性愛や異性愛という類型化された記号を払拭した。その場所に行きついた喜びを、二人は音もない空気と静かな闇に感じていた。

「 青葉が、起きたみたい 」

 恭平は本を閉じて起き上がりガウンを羽織った。青葉は4畳半の空き部屋を寝室に使っているが、昨晩も何度かキッチンへ出入りする気配があったことを恭平は気にしていた。
「 ほっとけよ。トイレか喉が渇いたんだろ 」
「 寒くて眠れないかも。あの部屋は空調がないから 」
「 北国育ちがこの程度の寒さで文句は言わないさ。気になるならこっちへつれてくればいい 」

 恭平はベッドを出た。雄太は煙草を消してカーテンを開いた。
 雪か… 道理で冷えると思った。もし明日積もったら、元旦は一日部屋でゆっくり過ごそう。買い込んだスイーツを食べておしゃべりする青葉のそばで二人で話を聞いてやろう。初売りで何を買ってやろうか。買い物好きの恭平とはしゃいでデパートを歩く青葉の後を俺は退屈そうに付いて歩く。面白いな。ちょっと変わった家族みたいだ。雄太は一人笑ったが、すぐに真顔になりカーテンを閉めた。

 あのことを恭平に話しておかなければ。進藤の家が仕組んだ罠が、新しい年に待ち受けている。恭平は多分俺の異変に気付いている。全く,幣原卿といい親父といい、年寄は俺にいつも無理難題をふっかける。だが、俺は動じないしうろたえない。俺には、愛する人がいる。

 ベッドにやってくるもうひとりの可愛い家族に枕を準備してやらないと。
 
 雄太はクローゼットを開けて使えそうなクッションと毛布を取り出した。


 私はリビングの窓の前に立って雪を見ていた。上京して初めて見る雪は北海道のそれと全然違う。お芝居で使う紙の小さなかけらがパラパラと落ちてくるみたいな感じだ。本当に、遠いところへ来たんだなと改めて故郷の町を思い出す。家族や馬たち、幼馴染思い出がまだ記憶に残っているけどそこにもう誰もいない現実がいつも私の胸を塞ぐ。1年前の私は、こんな日が来るなんて知らずにスマホを握りしめておめでとうラッシュに浮かれていたっけ。懐かしいけど、もう遠い日の出来事だ。

「 どうしたの。風邪を引いちゃうよ 」
 振り返ると恭平さんが立っていた。手に大きなストールを抱えている。
「 雪を見ていました 」
「 明日は積りそうだね。午前中は家で過ごして午後から外出した方がいいかもしれない 」
「 私って、お二人の何ですか 」
 私は思い切って尋ねた。いつも心の隅で感じていた違和感が別の何かに変わる前に自分を納得させたい。それが希望でなくても諦めでも、不安定な椅子にずっと座り続けるよりましだ。
「 恋人でも友達でもないし、どうして私を助けてくれたりするんですか 」
「 俺たちにもわからない。でも、こうして出会うためにきっと生まれてきたんだと思う。俺がユウと出会ったみたいにね 」
恭平さんはストールを私の肩にかけると笑って頬を撫でてくれた。温かい。
「 人を愛するのに理由なんかいらないよ。大切だからそばにいたい。それじゃダメなの?」
「 私は大切な人なんですか 」
 恭平さんは返事をせずに私を抱きしめた。柔らかいガウンとストールが私を包む。おでこの辺りに漂うミント系の香りは、シェービングクリームの残り香だ。男の人の匂い… 私は今、守られている。
 急に涙があふれて、私は恭平さんにしがみついた。
「 大好き 」
「 俺もだよ 」
「 離さないで」
「 今夜は一緒に眠ろう 」
 恭平さんは私を抱き上げて窓から離れていく。都会の雪が、街の灯りを反射してキラキラ光る。あの粒の数だけ幸せがあるのかしら。溶けて消えてしまわないように、今夜はしっかり抱きしめてほしい。いいえ… 今夜だけじゃない、これからもずっと、何度でも三人で、同じ夜と朝を迎えたい。
 長い黒髪に指を通しておねだりをすると、待ち焦がれた唇が冷えかけた体を熱く染めていく。雄太さんが待っているベッドはすぐそこ。絡めた舌からほんのりアルコールの余韻が伝わって少し酔った気分。こんなに寒いのに、閉じた脚の付け根が凄く熱い。まだ処女なのに… 

 開いたドアの向こうにある新しい景色に期待でもう心は弾んでいる。けどまだ目は開けない。恭平さんの首に手を回して、雄太さんの言葉を待つ。新しい私の生活がそこから始まる。

ドアが閉まる音。今つけたばかりの煙草のフレーバー。もう涙の跡は隠さない。一生忘れない夜が、すぐそこにある。


 同じ頃、参拝客で賑わう湯島天神そばのマンションの窓辺に佇むひとりの女がいた。新年を迎えて嬌声が上がると女は静かにカーテンを閉じた。

 狭い部屋に置かれたテーブルに触れながら、女はたどたどしい足取りで1メートル先のベッドにたどり着く。長い黒髪に隠れる陶器のような透き通った肌が幼さを際立たせるが、長い睫毛と形の良い唇が大人の気品を伺わせる。女は手探りでサイドテーブルの上に置かれた本を手に取る。それは古い聖書だが女は愛おしむように抱きしめ、静かにその中の一説を口ずさむ。女の目の焦点は合っていないが清らかな声色が信仰の深さと敬虔さを表していた。
 
 女の名は、清川美奈子。年が明けたら雄太の元へ嫁ぐ事を宣告された孤独な花嫁だった。




 

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