サドル狂騒曲(番外編)青葉と恭平のオフィスラブ38 光の海

 スイートのバスタブはとても広くて、私と雄太さんが入ってもゆったり足が伸ばせる。たっぷりの熱いお湯が気持ち良くて、ウトウトしそうになると雄太さんの手が私の体をいじって目を覚ましてしまう。さっきまでダブルのベッドで何度も叫び声をあげてもう疲れてるのに… 
「 先に上がっていい?髪を乾かすのに時間がかかるの 」
「 じゃ、もう1回ここにおいで 」
 返事の前に雄太さんは私を膝に押せて足を持ち上げると腰を捻った。
「 うん、やだ… 」
 口では嫌がるけど、蕩けるお湯を泳いで入ってきた彼の分身を私は優しく受け入れる。お尻を揺らすと雄太さんの濃い息遣いが伝わって、私は乳房を揺らしてまだ彼を挑発してしまう。
「 う、また出そう… 」
 苦しそうに目を閉じると雄太さんは私の腰を抱きしめた。初めての夜から幾度も私を抱いて、今では普通にセックスを楽しめるようになったせいか反応も素直で落ち着いている。私も精神的にとてもリラックスできて、会うのがとても楽しい。
「 そろそろ食事の時間だわ。ルームサービスが来たら出なきゃ 」
「 構わないさ。セッティングは任せてゆっくりしよう。メインのステーキは冷まさないように伝えてある 」
 私から離れてキスをすると雄太さんは気持ちよさそうにお湯に体を預ける。私はバスタブを出てタオルを巻くとパウダールームのある扉を開けた。
 真新しいローブやハイブランドの化粧品に囲まれた鏡に映る私はハリウッドの映画に出てくるヒロインみたいだ。北海道の田舎から上京して、こんなセレブな夜を過ごすなんて思ってもみなかった。慣れなくておどおどと雄太さんの後をついて歩いた頃と違い、高級レストランやコンシェルジュのいる百貨店の外商も周囲に笑顔で目を合わせられる。御曹司の恋人と呼ばれる事に違和感や居心地の悪さを感じないのは自分に少し自信がついた証拠かもしれない。
 でも… まだ私は心の中で完全に雄太さんに寄り添う覚悟が出来ていない。それは雄太さんも分かっている。鏡の前で髪を乾かす私の背に、黒髪に白い肌の恭平さんがいる。大きな手で私の肩を抱きしめる目は悲しいくらいに優しい。
 
 どうしてそこにいるの?私の事はもう忘れたんでしょ?

 青葉が俺の事をまだ愛しているからだよ。

 私は苦し気に目を伏せる代わりに、彼の面影を黙って見つめる。彼がいつか見えなくなる日が来るまで、私はどれくらい耐えるのだろう。耐えた月日の長さだけ私は幸せになれるのか、それとも永久にこのまま恭平さんに魂を半分握られたまま雄太さんの腕に抱かれるのか。

 答えが見えない。苛立ち紛れに背中の幻惑に別れを告げると甘めのコロンを首にはたいて、私はシルクの下着姿に薄手のナイティを着てダイニングへ向かった。


 大きめのTボーンステーキを二人で平らげた後私はジャスミン茶、雄太さんはブランデーを飲みながら窓に面したソファで夜景を楽しんでいる。暗い空の下を這うように都心のネオンが宝石の海を織りなす。外をみたまま黙っているのが心地いいのは、私と彼が馴染み合っているからだ。熱いお茶を啜って雄太さんの肩に顔を埋めると、精悍なムスクのトワレがセクシーで酔ったみたいに鼓動が熱く高鳴る。
「 青葉、ちょっと話したいことがあるんだ 」
「 何?明日のお買い物の事?」
 私は笑って雄太さんの顔を見上げた。期待に反して彼の横顔は緊張して硬い。
「 一昨日、海外事業部長に呼ばれた。来月転勤の辞令が出る 」
 私は一瞬何のことかわからずに彼の言葉を待った。グラスを置いた雄太さんは私をじっと見ている。気のせいかもしれないけど、目が潤んでいるみたいだ。もしかして… 私はハッとした。
 「 東京を離れるの?」
 「 海外だ。ジャカルタ支店に課長で赴任する。行けば、多分5年は戻れ
  ない 」
 「 別れるのね 」
 私は彼の言葉を待たずに切り出した。出世するんだ。もう私の相手は出来ない。おめでとうって、早く言わなきゃ。でも喉の奥に何か詰まって言葉が上手く出てこない。

 雄太さんは私の頬を撫でた。目にはいつのまにか穏やかな笑みが浮かんでいる。やだ、今度は私が泣きそうになってる。
 「馬鹿だな。俺が青葉と別れる訳ないだろ 」
 抱きしめられた私の体をムスクのトワレがベールになって包み込む。シャンデリアの光にネオンのきらめきが溶けて一気に降りそそいで、息が出来ないくらい美しい。
 
「 一緒に来てほしい。青葉のいない人生なんて、俺にとって何の意味もな
 い 」
「 私が… 」
「 結婚しよう。もう待てない。俺の妻になってくれ 」
 今まで何度も結婚しようと言われたけどその度に答えをはぐらかしてきた。なのに今、私は動けないし何も言えない。彼の真剣なプロポーズはあまりに唐突にやってきて私の思考回路はフリーズしてしまった。
「 もう、部長には青葉の事は話している。来週早々にも正式に報告するつ
 もりだ」
「 待って下さい、そんな急に… 」
「 もう充分待ったよ。青葉、返事は?」
 雄太さんの私をのぞき込む目はいたずらっぽくてとてもこの話が真剣だとは思えない。でも気付いたら私は彼の腕の中にすっぽり抱きしめられていた。もう出ることは出来ない。

 いいえ、出たくない。もう離さないでほしい。私は強く腕を掴んで目を閉じた。

 「 お願い、このまま離さないで 」

 私が叫ぼうとした時、携帯のベルが突然鳴り出した。ダイニングテーブルの上にある雄太さんの電話が低い振動で揺れている。雄太さんはソファから離れて電話を取ると、しばらく黙っていた。背中から、ちょっと妙なオーラが流れて来る。誰かしら…

 「 わかった。10分したら大丈夫だ 」
 
 電話を切って振り返った雄太さんの顔は既に別人だった。私は怖くなって立ち上がった。何か起こったんだろう。

 「 青葉、しばらくベッドルームに行っていてくれ 」
 「 どうしたの、お仕事?」

 「 恭平だ。今からここに来る 」

 雄太さんはブランデーを飲み干してパウダールームに急いで消えた。

 声がする。彼の声が、すぐ私の後ろで囁いている。

 
 青葉が俺の事をまだ愛しているからだよ


 私は耳を塞いだ。天井のきらめきが音の代わりに沈黙の光を容赦なく私の上に降り注ぐ。


 続



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