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例えば明日が来るとして

知っている人が亡くなった。彼女は知り合いの友達で、直接は知らないけれど、SNSでよく見かけるから、名前も職業も彼女が周りからいかに愛されているのかも勝手に知っていた。彼女の死は大々的にSNSに載っていた。彼女がどれだけ愛らしかったか、いい人だったか。残しておきたい瞬間がたくさんの人の心とカメラロールにあって、いいね稼ぎではなく彼女が生きた証拠のひとつとして形になっていた。

時を同じくして、身内の同僚も亡くなった。一人暮らしをしていたその彼は、連絡なしに出勤しないことを不審に思われ、自宅で倒れているのを発見されたらしい。勤勉だったからこそ、発見された。

私は、幸か不幸か身近な人の死を1度しか体験したことがない。それもまた突然の死で、その時の私は本当に泣いて暮らした。ごはんを食べては泣き、お風呂に入っては泣き、ひとりになっては泣き、目が覚めている間はとにかく泣いていた。とにかくしんどくて、全てを辞めようと思った。忌引きが使えなくなる頃、悲しい気持ちが残りながらもようやく涙が止まった。よくできた制度に感心する余裕も生まれていた。

私が死んだら、私のことを思ってくれる人はいるのだろうか。人の死に面してまで自分のことばかりで情けない。でも、考えずにはいられなかった。

「愛してる」この命
明日には尽きるかも
言わなくちゃ言わなくちゃ
できるだけ真面目に

『つぐみ』スピッツ

愛しい人がいる。友達にも、家族にも、わたしはあなたが愛しいと、君に生かされていると言えたらいいのに。明日が来る。1年後も生きている。何の根拠もないのにそう信じて生きている。でも、毎日今死ぬかもしれない、明日は来ないかもしれないと考えて生きるのもしんどい。じゃあ一体どうすればいいのか。そう考えながらも、頭の中では違う自分が来週末の予定を組み立てている。きっと答えは出ないまま、いつかのその日は来るのだろう。

とある本に、広告は明日が来ることを前提に作られているようなことが書かれていた。言われてみれば当たり前。でも、当たり前すぎて気にも留めていなかったことを突きつけられて感動したことを覚えている。今を生きよう、と言うけれど、私たちは線の上を生きている。小さな点と点を繋いで、それぞれの線を作っている。あの映画を観るために、この日は仕事を休もう。シャンプーがなくなりそうだから買って帰らなきゃ。いや、でも土曜まで待てばポイント5倍だな。その日まで、なんとか保たせるか。明日が来ると信じていることすら忘れて、今日も線を繋いでいく。

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