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みょーん: 190310

今日は大まかには映画→コワーキングスペースという流れ。
事前に予定ではサイクリングして映画館まで向かうつもりだったが雨により断念。最近ほんと雨多い、勘弁してくれー。せっかく109の日で安く鑑賞できるはずだったのに電車で行く羽目になって逆に高くついてしまった。これなら昨日にスライドしたほうがよかったか。ま、どうでもいいことか。
コワーキングスペースではいつものように楽しいプロジェクトの話とかできて、刺激になりました。民泊のこととか科学論文のキュレーションの話とか。
でもやっぱりほぼ一日中雨降ってたのは納得いかない()。ほんと最近降りすぎ。人間とか有機的なものに対しては寛容度高いと思っているけど、天気が気に入らないとか信号がなんかタイミング悪く赤になり続けてイライラするとか、無機的なものに対する許容性が著しく低い時がある。そんなことありませんかね。まあ共感して欲しいわけではないんですが。

以下映画についてよくわからないことを書き連ねる


見にいった映画は「サイコパス case3:恩讐の彼方に」。タイトルにあるように菊地寛の「恩讐の彼方に」が作中で登場する。しかし誠に残念ながら(というかある意味当然)僕はこの作品を読んだことがなかったため、鑑賞中にこの作品の本作品における意味づけ等をあれこれ考える楽しみは味わえなかった。少し調べたら菊地寛は明治から昭和初期に活躍した文筆家で、「恩讐の彼方に」は大正8年に発表された作品だそうです。今度読んでレビューするか(本当にするかは本当に未定)。
サイコパス case3は今までの2作品およびアニメ本編と異なり、舞台は日本を離れ、おそらくネパール。万国旗のシンプル版みたいなものが作中で描かれているので。そういった意味では本作は表面上サイコパス感が全くといっていいほど感じられない。ドミネーターも出て来ないし。全編にわたって狡噛が活躍するので狡噛好きにはたまらないことであろう。槙島も狡噛の脳内彼女的に登場します笑。
キーワードは狡噛の「一度人を殺してしまえば殺す前の自分には永遠に戻れない」的な言葉。あとはそれに等しいが「復讐」。狡噛が親の仇を取りたいと願う少女に向けて、「復讐なんて命をかけてする価値もない」というような言葉で諭すシーンがあるが、これは単純に考えれば少女に自分と同じような道を辿って欲しくないということか。
未だになんで最後のシーンで狡噛が日本に帰ってくるっていったのかよくわかっていない。槙島との対話を通して狡噛は自身に何かを問いかけ続けているようであった。過去に囚われた狡噛は槙島を殺すことで復讐を果たした。しかしそれゆえ日本にいられなくなり、異国の戦場に身を委ねた。この部分については、同僚を殺されたことに対する復讐という「過去」に囚われた彼が、それを果たしてしまうことによって目指すべき対象を失ってしまったためと解釈できる?しかし、では今回国連治安部隊のトップ(名前は忘れた、ガルシア?)を殺したことは彼にどう影響を与えたのだろうか。なぜガルシアを殺したあと日本に帰る気になったのか、よくわかっていない。もう少し考えよう。

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