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「良い」プレゼンとはなんなのか?

最近とある物理学科の学部生による研究発表会(勉強発表会?)が催されたのであるが、その発表と一部の評価を聞いて思うところを、メモ書き程度にまとめてみようと思う。

発表当初

彼ら学部生の発表を参観していた当初は、発表それ自体についての感想は一切なかった。つまり、聞き取りやすい発生であるかどうかとか、話すスピードが適切であるかどうかとか、話の構成が適切かどうかといったプレゼンの基本的な事項について、本当に何も思わなかったである。
したがって、発表を聞いている間、僕は発表内容(つまり、彼らが扱っていた研究それ自体に関する内容)について、あれこれ考えていたわけである。これ自体が、実は特筆すべきことなのであるが。。。

とある寸評

その発表会の後、とある学生と一対一で話している際にその学生は、「さっきの発表、めっちゃうまかったですよね」というようなほとんど内容のない感想を宣ったのである。
僕は彼の意見を聞いてすぐさま適切な、あるいは気の利いた返答ができなかったわけだが、発表それ自体を回想しつつ思案するうちにこの意見が実はとても的を射たものではないかと考えるに至った(その学生がこれから書くことを意識して発言していたかは不明であるが)。

メタ的な何か

例えば、演劇か何かを見ていたとしよう。その舞台に登場する”人間”が苦悩や葛藤にひどく苛まれるのを見て、その”人間”に共感やあるいは拒絶(否定)等の感情を抱く場合とその”人間”を演じている人間の演技について感想を抱く場合があると思う。つまり、前者は聴衆をその劇の世界観の中に住まわせているのに対して、後者では聴衆は物語の外に身を置いているのである。

ここで、先のプレゼンに話を戻そう。僕は発表を聞いている間、一切発表それ自体について気づくことはなかったといった。その代わり、始終研究の具体について思案していたのである。つまり、僕は確かに彼らの発表を聞いている間、彼らの発表する研究内容と向き合い続けていたのである。

良いプレゼンとは

今回の事例は”良い”プレゼンの方向性の一端を示しているように感じられる。月並みであるが、本当にうまいプレゼンは聴衆をその世界観の中に引き込むのである。聴衆はプレゼンに対するメタ的な認知を発生し得ない。
聴衆にプレゼンの感想を聞いて、発表のメタ的な部分に触れた感想をもらったり、発表の具体的な内容に触れられなかった場合、聴衆を自分のプレゼンに引き込めていないということかもしれない。
もちろん、”プレゼンに対するメタ的な認知”という視点は良いプレゼンを行う上での指標の一つにすぎないことを付しておく。

・チェックポイント
  ✔︎ 他者のプレゼンを聞いてメタ的な感想を持った?
  ✔︎ 自身のプレゼンの感想にメタ的な感想が存在した?
   ✔︎ それらのメタ的な認知はプレゼンのどのような点に由来するのか?

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