友だちを失うということ

     思いがけない再会というものがある。キャンパスからの帰途を急ぐ駅のホームや、ふだんあまり立ち寄らない商店街、通い慣れたコンビニの中など、突然それはやってくる。そういうときは、目を合わせる。不躾に顔を覗きこみながら、一緒にいたときの何でもない一瞬を思い出したりする。その人が発するさまざまな情報を読み取って、思いを馳せたりもする。

     2014年の話を少ししたい。数ヶ月前まで中学生だったぼくは、板橋区にある公立高校に通っていた。校則のようなものはほとんどなく、染髪も可能で、もちろん制服もなかった。そのような校風に魅力を感じて入学したはずなのに、その高校でいちばん厳しく、自由から遠い部活に入部した。

 体験入部で、中学と同じ要領で2つ上の先輩を「くん」付けで呼んでいたら、誰かに諭された記憶がある。今でこそ、日本社会に普遍的に観察される、「体育会なるもの」を認識できるが、当時のぼくは全く分からなかった。先輩たちは高校の3年生だから今年18歳になるくらいの青年だったはずだが、ひどく大人びて見えた。

     同じ中学出身であるKさんから、無謀とも思える誘いを受けたのは、1年生としての、厳しい練習中心の生活に慣れてきた頃だったと思う。なぜそう思ったかというと、歩いて箱根まで行こうと言われたからだ。ぼくとKさんのほかに、地元が一緒の酔狂な友だち2人を加え、4人で3泊4日、徒歩のみで練馬区と箱根を往復するらしい。全国大会の予選を秋に控え、夏休みは部活の練習でびっちり埋まっているはずだ。確認すると、数日間のオフがあった。

 朝の4時に集合し、ぼくたちはまだ真っ暗な道のなかを、高揚感とともに歩きだした。杉並区あたりで日の出を迎えたと思うが、そこからは真夏の日差しが容赦なく照りつける。コンビニで2L の水を買って何回か飲み干したが、全くトイレに行きたくならないのでビックリした。7月の下旬の日差しを浴びながら屋外でずっと歩いてると、水分は汗としてたちまち出ていってしまうのだ。多摩川を抜けると、神奈川県に入った。県境の道は歩道はないうえ狭く、大型トラックがギリギリで横を通過するたびに重い風を感じた。

 4 日間の冒険譚をここですべて述べることは出来ないが、けっきょくぼくたち一行は歩いて箱根まで到着することができた。かっぱ天国で1泊して伊勢原まで歩いた。最終日の朝、Kさんは同室だった遠藤と一緒に、ぼくとホン・ミンギを置いて先に東京に出発してしまった。

 けっきょく2人で、練馬を目指した。足の痛みと疲労に苦しめられていたはずなのに、夜中に僕たちの街が見えてきたときはなぜか笑いが止まらなくなった。よく知った街に帰ってきたのが、たまらなく嬉しかった。もみくちゃになりながら、在日韓国人といっしょに痛みを忘れて走り出していた。あのとき15歳だったぼくには、どこへでもいける確信を手中にしたような、達成感が込みあげていた。

     Kさんとはいろいろな場所へいった。もちろん歩きで。しかし、箱根にいってから1年半くらいで、この活動は終わりを迎えることになる。年の瀬に、山梨県にあるほったらかし温泉まで歩いていき、初日の出を見るという計画をKさんはぶちあげてきた。実際にKさんと2人で行ったのだが、彼は途中でぼくを置いて帰ってしまった。Kさんには人を置いていく習性があるみたいだ。大みそかにほったらかし温泉にほったらかされたぼくは、二度とKさんに会うことはなかった。最近までは。

 絶縁状態になったあの大みそかから約8年後、さんざん通った大学の近くの路上で、いきなりKさんに話しかけられた。首がタトゥーで埋まっていたのでビックリしたが、見た目はぜんぜん変わっていなかった。時間にして10秒足らずの会話だったが、これまで話してきたようなことを、思いだすきっかけになった。彼の背中に張り付いたザックを見つめながら、遠のく意識でなんとか両足を前に出しているようなあの感覚も。

 累計何百キロもの道を、歩きながら会話を交わした。疲労と眠気が極限まで達したときには、しりとりを交わしながら足を前に出した。時には走った。当時のぼくは何を考え、歩ききった先に何を見出していたのだろうか。ふと気になっても、問うべき相手はもういない。もっといえば、彼を通じて引き出されていた「ぼく」が顔を出すことはもうない。絶縁・死別・忘却にいたるまでいろいろなパターンがあるが、友だちを失うとはこういうことなのだ。

 地面からの反作用をこれでもかと受け、無意識レベルではもはや機能を果たせなくなった足を、点字ブロックのうえに意思を持って踏みだしながら(歩き疲れたときに点字ブロックのうえを歩くとほんとうに楽なのだ)、黙々と歩くことに没入する彼の姿が、はっきりと思い浮かぶ。だからぼくは、あの困難な道のりを先導していた中学校の同級生を、どこへでもいける感覚を持たせてくれた彼を、いまだに「さん」付けで呼んでいるのかもしれない。

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