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2015-16 カンボジア渡航記 -美しさ豊かさとは-

 この時滞在した村は、現在に至るまででたぶんダントツで非文明的。笑 電気も水道もなく、家畜の鳴き声で起き暗くなったら寝る生活。お風呂はもちろん水浴びで、蚊帳に入ってないと何が出てくるかわからない笑 でも。今までで美しかった景色は?と聞かれると、この時毎日見た地平線からの夜明けと夜の満天の星空と迷いなく答えます。今まで感じた一番豊かな時は?という質問に対しても、この時学校で子供たちと過ごした時間と答えます。何もない、がある。生活用品も学校の道具や科目も最低限だけど、それでもみんな笑顔で豊かに暮らしている。そんな世界でした。

 シェムリアップ市街から車で数時間。(行きも帰りも爆睡で、正確な時間はわかりません笑) ガタガタ道の先に2週間お世話になった小学校があります。4年生と5年生の授業を1人で担当させてもらい、英語と日本語、体育を教えました。先生の数と教科書の数が限られているので、学校は半日で学年を入れ替えて授業を行います。教室は屋根といす・机があるだけのほぼ青空教室でなかなか生徒たちにとっては集中しにくい環境だったとは思いますが、みんな元気よく積極的に手をあげて授業に参加してくれました。休み時間になると大繩やかけっこで遊びました。午前で汗だくになって水浴びをして、着替えて寝て、また午後汗をかくの繰り返しでしたが、生徒たちが自分との交流を楽しんでくれているし必要としてくれているのが感じられてとてもモチベーション高く過ごせました。

 一緒に渡航したメンバーは日本で教員として職務経験があるメンバーが多数。それぞれの授業の仕方や子供との接し方に特徴があり、学べることがたくさんありました。1つの授業に対してシミュレーションしながらたくさんのアイディアを出して準備して、本番は生徒たちの様子や理解度をしっかりと観察しながらフォローしていくその姿はとてもかっこよかったです。日本の学校の生徒たちとカンボジアの学生をつなぐプロジェクトは双方にとって素晴らしい経験になるし、こんな先生が日本にいてくれるのが誇りでした。夜はみんなで一緒にステイして、ウノをしながらそれぞれの人生経験を聞く楽しくて濃い時間を過ごしました。ダントツの最年少でしたが、かわいがっていただき今でも定期的に集まるいい仲間です。

 日曜日は学校が休みで、アンコールワットやその周辺の遺跡群の観光に行きました。歴史が大好きなので、メンバーと楽しく写真を撮りながらも、たくさんの学びがありました。ガイドや周辺のお店の方と触れ合う機会があったことで、生徒たちに言語を教えている自分の仕事のインパクトの大きさと重要性を感じることができました。また、内戦や地雷の展示では、まだ時間がたっていない分人々の心の中にまだ重くのしかかっている負の歴史だと感じました。実際学校付近にも地雷エリアがあったり、手足がなかったり親がいなかったりする方も一定数いて、戦争の負のインパクトの側面も感じ心が痛みました。

 学校のプログラムの中でも、自分が感じた課題はたくさんありました。教科書が古く、カンボジア人にあった例文が使用されていないところも散見されましたし、半日制にしなければいけないのは生徒が家業(農業)に従事しなければならないのが大きな原因でした。農業による収入が不安定な現状もあって、都市部や海外に出稼ぎに行く人が多く、お金は稼いでもカンボジア自体の発展につながっていない印象を受けました。先生の育成も困難で、ポルポト政権下の文化人虐殺の歴史で人・モノ・知識にギャップが生まれ、大学に行くまでの学費や学力を身につけるのがとてもハードな現状があります。何より印象に残っているのが、「子供に勉強してほしくない。えらくなったら家族が離れ離れになるから」というある母親の声でした。教育の必要性もわかるし母親の気持ちもわかる。国際協力の意義について、深く考えるきっかけになりました。

 大学でプロジェクトマネジメントを習っていたので、これらの課題を洗い出し、調査して絞り、問題を解決していくにはどうすればいいかということをリアルな現場で考えるいい機会になりました。この経験があったので、学んだことをすぐ現場で確かめるというやり方はこの後も大学生活を通して繰り返し行っていきました。帰国後JICAや国連がカンボジアで行っている様々なサポートを見てなるほどなと思ったり、自分も問題解決に貢献していきたいという大学より先のプランも見えてきたのが収穫だったように思います。これらの原体験を生かすためには、自分自身のスキルアップが必要不可欠。ということでまだまだ終わらない大学1年生編。冬のカンボジアに続いて、春のヨーロッパ・スペイン留学へと続きます。

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