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PRIDE RUNをやるに至った経緯

5月1日から8月29日までの121日間、
1人でPRIDE RUNをやるとツイッターで発表しました。8月29日に答え合わせができるように、なぜ此処に至ったのか、この場をお借りして残しておきます。

 時系列を追って記していきたいので、まずは簡単に、僕が走ってきた経歴から。
①2015年8月30日
 走り始める
②2017年2月11日
 PRIDE RUNの創始者の1人である
   UVERworldのTAKUYA∞さんと初めてお会いする
③2018年12月21日
 正式にPRIDE RUNに加入する
④2019年12月21日
 追いかけ続けた理想を形にしたことで1575日の連続ランをひと区切りし、次の道を探す

 おおまかには以上4点。
④まで自分は「月間の日数×1本10㌔」のランでした。30日の月なら、10㌔ランを30本。④以降は毎日にこだわらず、30日なら300㌔を超えるようにだけ走ってきました。走らない日があることにも慣れていきましたが、自分の中でランの在り方が変わっていったのは確かです。
 そんな中で、2020年の秋ごろからです。
イップスのような症状に悩み始めました。
走っている途中、5㌔を過ぎたあたりから胸がぎゅっとなるというか「不安」「恐怖」のような感情に襲われるようになって、自然とペースが落ちていくのです。うまく説明はできませんが、言葉以上に、ランを続ける上で自分にとって非常につらいものでした。初めての出来事で、症状を自覚したのは年始あたり。
精神病院にも行きましたが診断結果は「所見なし」。病名が付くことはありませんでしたが、いまだにその感覚に陥ることがあります。

①ともに走ってきた仲間が、ランから違う道への挑戦を選び、寂しさを感じていること。
 ②コロナによって我慢が習慣化し、自己表現がうまくできなくなったこと。
 ③気づかぬうちにランに対して退屈を感じてしまっていたかもしれないこと

 思い当たる原因を自分なりに分析しましたが、「本当にランをやめないといけないかもしれない」という現実に直面したことは僕にとって大きすぎる分岐点でしたし、当たり前だったランの存在を考え直すには十分すぎる機会でした。そしていかに自分がランと向き合い、PRIDE RUNの一員である重さ、ランに対する想いを、自分の中でも再確認しました。
 僕は日記用のツイッターに、1月6日にこう記しています。

※一部加工

 走ってきた仲間がランを正しく終えて、自分だけがいる「孤高」の領域。もう一度ランによる、ランのための証明できるはずだと、PRIDE RUNをやることを選びました。

(写真撮影・山田汰雅)

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