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説明しない

確定申告めんどくせーし、花粉はすげーしで、最悪な春の訪れを迎えてる。

最近ようやく自分の喋り方を取り戻したような気がしている。昨日くらいに書いた日記、アレくらいの温度が誇張なしに自分らしい。

自分は面白いと思うが、反応が薄くて不服なんだよと人に話すと、「タレントとかアーティストぶりたいやつの方がマジョリティだからじゃん?」と言われて爆笑した。5年は早いお笑いをしてしまったかもしれない。

最近ほとほと「説明する」という行為に飽き飽きしている。それは自分の心情を実直に明かす事もそうだし、人のちょっとした勘違いを正そうというのもそうだし、自分の考える世界の関連性を理屈立てて並べることもそうだ。

だるい。まじでだるい。下手に理性を鍛えてしまったせいで、頑張れば説明できてしまうからこそ、その「説明しない」ことに下手に不義理を感じてしまう自分がいる。そういう事もだるい。

でも最近はその誰かの「愚かしさ」に付き合う気が全くない。ちゃんと愚かに生きて愚かに死んでほしい。それしかない。これは見下してるって話じゃない。見放している、という話だ。

更に言葉を足すなら、自分は「明確に」誰かと生きたいからこそ、自分との関係において「誰でもない」奴に付き合う意味も義理もなく、そこはむしろ積極的に分断していこうと思っている。

これはネガティブな話じゃない。こう敢えて言う自分の、その最低限の優しさに気付ける奴とだけ付き合う意味があるんじゃないのっていうポジティブな話。

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