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オキモチ不発動編

後輩が映画館を貸し切って『イデオン接触編・発動篇』の上映会をするというので見に行った。面白い人にも出会えたし、良い会だったと思う。誘ってくれた後輩には感謝しかない。

『イデオン発動篇』は五年ほど前に一度見たことがあった。イデオンのTV版を見終えて、間を置かず見た。登場人物が全員死ぬことや、最後実写映像が流れることもあって、ある種の衝撃を受けた記憶がある。何より一時期心酔していた『AIR/まごころを君に』のラストの流れがここから引用されたものだったと分かって、富野監督の映像構成に対する先鋭的な感覚に驚いた。という印象が大きかった。

さて、改めて見ての感想だが、特段心に抱くものは無かった、というのが正直な所だった。だがそれに対して自分が一番驚いていた。感銘を受けない自分自身に驚いていた。「思いがけず泣いちゃった」の真逆で「思いがけず無心だった」という事がショックだった。

恐らくだが、昔はキャラが死ぬことにまだ薄っすら抵抗があったのだ。それが無くなった今では、熱湯をぶっかけられた蟻の巣を見つめているような感覚で、その全滅をフリにした「願い」や「祈り」的なニュアンスに付き添うつもりになれない。という事なのだと思った。勿論当時の巨大ロボアニメの文脈だったり、SF志向の文脈も無いから、イデオンを作った側としても見るタイミングとして不服な状況だったとも思うし。

画面を見ている間はずっと三幕構成のことや、TVと映画のメディアの温度の違いや、シーンにムードが出る出ないの境界線について考えていた。そこらへんについての技法論には学びがあったが、まあ、日記なのでここらへんで。

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