見出し画像

ボキャ貧

最近、ボキャ貧に頭を悩ませている。

オリジナル脚本を書くと、台詞に個人的な手癖みたいなのがほとんどダダ漏れになる。だからこそ面白いんだけど、奇妙な言葉の偏りが、50%~70%の確率で悪い方に傾く。

商業的に売れたいと思ってるのに、こんなんじゃ駄目だな~とか思う反面、どういう対策を打っていいのかが全く検討もつかない。

結構大きめな壁が現れた感じがする。

脚本家のインタビューの本を買って読んだりしてみる。すると脚本家は「構成派」と「ダイアログ派」の2種類の人間に分かれるというのが定説らしい。

自分は「ダイアログ派」だと思う。オリジナルの脚本を読んでくれた人に聞いても、全員「ダイアログ派」だろうという結論だった。確かに台詞のアラには結構敏感だし、何より今まで書いてきたオリジナル脚本でも構成を考えるのが難しすぎて殆ど構成に時間を取られていた。今度のもそうだ。

でもそれはやろうとしてる題材、というかテーマが、いつも自分の認識の限界ギリギリを攻めたものだから起きている事だとも思う。だから4コマ的な物、日常系だったらアッサリ書けそうな感じはある。でも如何せん日常系に興味が湧かない。その点、コントならいけるかもしれないが……

さて、一方商業の現場では、自分は台詞を褒められることより構成を褒められる事の方が多い。まあ台詞はそんなに弄れないし、原作者でもない以上、魂のノリようも限界があるから、という話はあるのだが。

と、なってくると実は自分がどっちなのかは、よく分からない。75%位で「ダイアログ派」なんだろうと思っているが……

さて、これまた全然別の視点の話があり、台詞を書くにしても、「さらさら読めるオシャンな台詞派」と「ドギツく角張っていちいち引っかかる台詞派」に分かれると思っている。これは通説ではなく自分の見解だが。

で、言うと、自分は「ドギツイ台詞派」で間違いないと思っている。「オシャン台詞派」になろうとした瞬間は所々あったが、必ず失敗した。そもそも普段そっちに対する発想がない。もっというとそんな軽やかに生きてきていない。無理。明確に無能。これは前段の派閥の話よりも絶対確信的に言える。自分みたいな人間は泥水すすって全体重のっけたハードパンチ撃って、手首が折れて咽び泣く、そういう方が気持ちいいし、格好いいと思っている。

とまあ、いいかっこしたはいいが、実際の話「オシャン台詞派」になるには相当量のボキャブラリーが必要で、そしてそれをスラスラ並べるようになるまでには相当量の経験が必要で、つまり今の自分には全くもって不可能なんじゃないか、という予感がある。だから諦めている。

ところが、「ドギツイ台詞派」にも違う意味でボキャブラリーが必要なのだ。それに最近直面している。「ドギツさ」の本質への考察だけでは足りない、足りてない、「ドギツさ」を表現するボキャブラをしっかり集めないと、という焦りがある。解決策は正直まだ分かっていない……

ここから先は

0字

普通のけもの人

¥100 / 月
初月無料
このメンバーシップの詳細

面白かった人、ありがとう。面白くなかった人、ごめんなさい。